もともと食べ物には執着がなく,いまでもそうだ.
具体的には,「空腹がみたされればそれでよい」という感覚.
旅先でもそうである.いかに食生活の出費を抑えて,書籍や地図などの現地でしか入手困難なものに,限られた資金を投入しようと画策する.衛生状態というのも,じゅうぶん気をつけているが,旅の最初はおなかの調子が悪くなるのも,【通過儀礼】としてパタン化している.
そういう意味で,そこに住む人々がおいしそうに食べるものを食べたい衝動が抑えきれない,という意味では,執着があるのだろう.
でも,値段が一番の価値基準であることにブレはない.
大学院の博士課程1年のときに,私費(といっても奨学金)で,豪州に調査にいった.超格安オープンチケットで,現地にいる友人とキャンピングで,滞在も超格安だった.とうぜん,風呂など無縁の生活で,帰国前の友人宅のバスルームは,ひどい状態になった.
また,その後,の一週間程度のグアムトランジットでは,お金がないので,泳いでばかりいた.(すごい,チケットだった)
よって,いまでも味覚感覚に乏しく,家人に強く批判を受ける.
閑話休題
写真は,カルカッタ(コルカタ)で,お茶を製作中.誇り高い表情がいい味出しています.