活字に溺れたい(薄いことと踊る)

・・・と,表題のように思う時期だ.調査データをまとめて,ロンブンも書きたい.

流される自分に鞭(ムチ)を入れるため,忙しくてバタバタすると理解できていても,学会の発表は,「無理」をしても入れるようにしている.その無理は,期限があり,その結果としてまとめるときにたいへん重宝するからだ.

・・・というのは,「「のそのそ」「だらだら」歩くフィールドこそが,大切だ」と感じている私にとって,海外のフィールドは,訪問の度(旅)に,「発見」の連続である.その感覚で,「もうすこしすればちゃんとしたデータがとれ,よいロンブンにまとまる」・・ということは「幻想」以外の何物でもないことを,知っているからである.(理解と表現できないのは,すごい人を知っているからだろう).

そういった意味において,某修士課程の副指導教官だった先生は,「若い時に,まだ,沖縄にフィールドワークに行くといって,職場の同僚(自然科学,で工学系)に言っても,理解してくれないんだよね..」と,なげいておられたことを思い出した.

しかし,プロとして考えた場合,自省を込めて,「どんなフィールド(いろいろ制限があったり,むすがしい場所)を調査対象としても,結果を残せないものは,プロではない」と,いまさらながら,正直思う.

ただ揺らいでいる(私ではないが)のは,その結果の場と媒体だろう.あえて批判を受ける覚悟で指摘すれば,研究者の結果発表の場はっ論文である.要は,書いたものである.文章を読めば,だいたいの本人の到達点や,思考,志向は「ある程度」理解できる.(近い,領域の場合だが).

それが,結果として【専門性】に結実するのだと,ほんとうに感じている.

表面的に得られる情報や,はやりの手法で表現される「考察」は,【薄い】.

この「薄い」というのは,巷に氾濫している.

ただ,受け手にとっても,この「薄さ」と【濃さ】を見分ける見識が求められているのが,今という時代なのだと,新聞をよみつつ感じている.

(それは,情報は自らえるものだとか,あふれる情報をどう遮断するのか,などといったメディアの表現で,思考することはできようが).

「踊らされないように」とも表現できようか.

・・・そんなことを,1940年代のフランスで出版された地理学書を斜め読みつつ,午前様に妄想している.

【オチなし】

・・・・・・・・・・・その余裕なし.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です