いろいろなことが同時並行で進行中で,その舞台で踊っているような状態(泣).
「処理」「処理」「処理」・・とPCに向かっていると,人相が悪くなるので,肉体労働を開始すれば,翌日,筋肉痛(苦笑).
まだ,翌日に筋肉痛になるということは,若いということか・・・
【閑話休題】
メインPCを新しいMacに移行したが,ちゃんと新しい構造を理解する前に,惰性的になれている.
しかし,「もう,もどれない」
いろいろなことが同時並行で進行中で,その舞台で踊っているような状態(泣).
「処理」「処理」「処理」・・とPCに向かっていると,人相が悪くなるので,肉体労働を開始すれば,翌日,筋肉痛(苦笑).
まだ,翌日に筋肉痛になるということは,若いということか・・・
【閑話休題】
メインPCを新しいMacに移行したが,ちゃんと新しい構造を理解する前に,惰性的になれている.
しかし,「もう,もどれない」
今日、所用で銀行巡りなどをしていたが、草津市の市議会議員選挙が近くにあるようで、ムラの景観が派手になっている。
というのは、蛍光色を含むのぼり旗が水田などに掲げられ、戦国時代の合戦かなと・・・??
この景観は、近江に移り住んで10年以上になるが、慣れることなく、違和感ばかりが年々蓄積している。
肯定的な想いでなく、逆だが・・・・
写真は、世界を席巻している即席ラーメン。調査途中で食すのはうまい。日本のように、メンの堅さどうのこいうのというものではなく、豪快に1人二袋以上を、卵や野菜煮込んで食す。
先の調査では、ヤクのバターが入り、意味深は味になった。帰国後、日本で料理していると、そのスパイスや臭いに家族から苦情がでた。
は好きな時間。
とくに、国内では地方への旅は心が躍る。
・・・と書けば、美しいが、実際の道程は、普段読破できない論文や、本を抱えたり、原稿の構成や、ドラフトの見直す時間として貴重で、結果として荷物は重たくなる。
・・・と考えて、いま、中国地方に出張中だが、20年前に同じ地に立っていたが、当時はあまりある時間をどう過ごすか、を身につけようとしていたのかも、と一変した景観をみて感じた。
時間を消費しようとする行為よりも、時間に「のっかかった」時間の過ごし方も、と考えている。
なにより、自己満足としての備忘録化したブログの活用は好ましくないと。また、いつも弁当箱(ノートPC)持参の旅も、なんだかなあ・・・と、反省。
好きなこと。1)本に囲まれること。2)本を読むこと、の優先順位は高い。
したがって、意識外に書籍の堆積が進展し、空間を圧迫する(される)。
旅において日常的に持参する一冊は昔からあるが、日常において持参する一冊はない。しかし、本がないと「落ち着かない」。よって、地理的な情報をもたいない場所で時間をつぶす必要があるときは、本屋が一番「落ち着く」空間であり、なにかの活字が帯同することになる。
ただし、読みたいと思って買った本は、必要があって読み込まないといけない活字に追い立てられ、いつの間にか、山を構成してしまう。この山となった本も、意思がもちてと通じると、「迫ってくる」のような気にもなる。
そういう状況で、机に向かっている、が・・・・・。
写真は、20歳のころ京都郊外の埋蔵文化財の発掘現場で使っていたフィールドノート。この遺跡現場はたいへん想い出深く、フィールドノートの表紙にこびりついた泥も想いがあり、自宅の机に置いて、時たま眺めている。
大学の授業にはほとんど出なかったが、遺跡というフィールドで、いろいろな方に学ばせてもらった。いまでも、ほとんどやっていることは変わらない。
震災後の不安定さは列島を覆うが、行楽ムードが、陽気な気候変化とともに感じる日々。
しかし、小生の気持ちはまったくそのモードにならない。よく考えたら、ここ数年は、この時期は原稿や各種の事務作業を集中して行う貴重な時間となっているし、そのような研究者仲間は多い。
しかし、この大型休暇は、歴史的な経験として構築されたのだとも感じる。つまり、1)年度末から年度初めの「あわただしさ」からくる肉体的・精神的な疲労回復。2)季節の変化にともなう初夏へと向かう気候変化からくる肉体的適応時間の猶予期間。
・・・と考え、観光や行楽の意義やその効果(非日常への逃避など)は理解できるが、人混みは、やはり疲弊するのはトシのせいだろうか?
・・・と妄想し、そうではなく、経験として人口が過密する空間(都市)で喜びを感じた経験がほとんどない、事実を思い知った。
平たく言えば、そのような場所・空間は、「たのしめない」のである。
しかし、なぜ、バングラデシュや、インド?。といえば、「おちつく」のである。それは、外国人としての立場性や、旅人としての無責任(注:沢木耕太郎風表現)なのかもしれないが、
そんなことを考えつつ、頭を抱えながらPC(弁当箱)に向う。
備考
ここ数日は、私用と半私用で東京から西日本を往復していた。そのような環境で、大学院生以来となる深夜バスで東京へ。
写真は、2008年の2月〜3月にかけて、バングラデシュからインド北東部へ陸路で越えた時の国境付近の景観。石炭採掘のため、丘陵地形は大きく改変されている(撮影:内田晴夫)。
いろいろ考えないようにしていても,海外から励ましのメールがとどき,それが,結構なところ,重荷にもなるが,あえて,仕事に集中しようとする.
【閑話休題】
右の写真は,数週間前の,古都の鴨川沿いの某大学であった,共同研究の打合せの風景.
(内容は,仲間なので,言いたい放題でしたが,その関係は,いいことだと思います).
・・で,ちょうど,私の・・・歳の誕生日で,思いがけず,写真のようにお祝いしてもらった.
写真奥手のダウンの方は,お医者様,写っていないが,右手には農学者,左手には,院生さん(看護婦さんと栄養士さん)と,ディシプリンは,バラバラ.しかし,このバラバラさが,勉強になるし,プロなので,刺激にもなる.
素直に,ありがたかったし,うれしかった.
さあ,がんばろうと思うが,20代の体力には・・・ほど遠く,集中力と持続力のなさを,最近,痛感する.
・・が,経験(まだまだ,気持ちは,若手なのですが)で,がんばろうと・・・
深夜の「思索」はろくでもないが,あえて,【趣味】として.
このごろ,というか,ここ数年.ネット環境の利便性を享受しているが,「携帯電話では,メールを打ちたくない.
・・・を考え(妄想し)て.
1.「携帯電話」論
2.「携帯メール」論
3.「SMS」論
に,現段階では説明要素として区分できよう.
ここで,まずは,1.
基本的に電話は嫌い.時間を強制的に搾取される.したがって,小生の行動原理を理解していただいている方しかなく,小生にかかってくる電話は,ごくごく少数.
基本的に,サイレント・モード・あの呼び出し電子音は,いまだに慣れないので,たぶん,自分には合っていないのだと思う.
2.への展開.
上記の1のような状態なので,基本的に「打たない」.打っても家族への【了解】のみ.
ここが,重要.
....なぜ,携帯でメール(今は,iphone4だが)を「打ちたくない」と思うのは,【言葉・レトリックが消費されるから】
・・だと,自己分析.
つまり,コトバの【重み】が,消費される,と考えているからだろう.
もちろん,その制度で,コミュニティが構築される過程は,途上国で見ているので,利便性などは理解している.
・・・が,「軽さ」には,たいへん違和感を覚えるし,コトバは大事.
なぜなら,日本語ができないと,外国語はできない.
(説明はいるが,日本語での自己表現方法を理解しないと,外国語へは,展開できないだろう.)
最後の3は,上記二点と関連し,正直
「この更新時間があったら,論文を読みたい」.
・・・というのが,真実だろう.
【オチ】
...と,自己納得の段階(みそぎ?)は終了した?.
要は,フィールドの迫力を無視できない「感性」の必要性だろう.
海外調査を経験したことがないひとはわからないだろうが,出国前も,出国中も,帰国後も,多忙だ.
・・・と書いてきたら,精神的によろしくないので,今日は,出国前から,たまりにたまった振替を用いて,あえて,休日にした.
・・とはいっても,こうして,ネットにアクセスしているので,仕事にスイッチが入ってしまう,自分は・・・・????.
午前中は,昨晩の深夜の勉強モードを抜いて,免許更新.
この場はいつ来ても,「人がコマ扱いされているようで」心地悪い.
・・・が,小生の,10年目のKAWASAKIは,調子がすこぶるよくて,また,天候も,よく,久しぶりの,ツーリング気分になったのは,「うれしい」.
・・・といっても,休日しかできないこと(仕事)もあり,その構想や,古本屋(used book?)によって,しこたま,105円の本を購入する.
休むことも,仕事だと実感しているが,今晩は,原稿を書きたいと,いろいろ妄想している.
週末にゼミのような発表と,週明けにもTokyoで発表.......考えない時間も大事だが,考えてしまう自分は,「嫁と愚娘の攻撃対象」になっている(泣).....
【追伸】
写真は,昨年9月のインド,アルナーチャル・プラデーシュ州の医療キャンプでの「休息」の一コマ.(京都大学大学院・石本恭子撮影)