ん・・・・・最近,魔の金曜日かなと思うし,そうじゃないのかとも思う日々.
金曜日といえば,80年代後半から90年代初頭の【泡の時期】は,「花金(hanakin)」という言葉がラジオで流行したが,当方の学部学生時代は,泡=バブルに無縁だった.
・・・と思うのは,以下のような記憶が鮮明だからだ.
当時から単車を愛用し,京都市内を蹂躙していた.(長期ローンだったが).
大学ではなく,ある研究所で先生に分析方法の教示を受けていた.夜帰宅する段には,お金はもちろんないので,夕食がモンダイだった.
そこで,思考がめぐった(生きるため.というか,2日前に専門書を衝動買いしたので,1週間を千円でどう克服するのかという切実性).
1.友人宅に押し掛ける
2.食べない(それは20代前半にはムリ)
3.コメだけ食べる(農家なのでコメの仕送りはあった).
私は,1を瞬時に1と3を選択した.
しかし.
1には「愛しの人」がいた.
それも社会人の.
バブルを痛感した一瞬だった.
その後.どうしたか?
京都市内郊外のハクサイ畑が単車のライトに眩しく映った.
どのように行動したか?
聞くのがヤボです.
追伸
その友人とは院生時代に豪州に海外調査に行った(私費で).超格安で.
友人は・・・・・だった直後のショウシン.
月別アーカイブ: 2007年5月
深夜の田んぼ
深夜に仕事をしていると窓にムシが寄ってくる季節なった.
ここが田舎であることも事実だが,そういう毎年の季節感をこの時間に味わうのも悪くはない.
深夜に書き留める文章は,意図せず感傷的になりがちであることは周知な事実で,恋文論で一般化してきた.
・・・妄想していて,自己を照射すると,経験は語る年齢になってきた.
追伸
深夜にメールを見るべきでないし,仕事もすべきではない.
追伸2
バス車中で斜め読みしたバングラデシュでの研究報告は感性にフィットする良書.共同研究者だが,「想い・思い」があふれる文章に引き込まれた.
そう,今日(昨日)も良い一日だった.
アフリカもアジアも,そして日本も.
人が幸せと「確認」できる世であってほしい.
感傷的な深夜.
深夜と言えば,山田「深夜」の新刊本.でたようです.
セキニンと顔のユガミ
某人(尊敬する某研究者)は,以下のように厠で発言した.
「忙しくしているのは,アンタやろ!」
実はそうなんです!と,思いつつも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(長い).
ハア・・・
【閑話休題】
さいきん,役割について考える(させられる)場面が多い.責任ある人,そうではなく,意見だけ述べて責任のない人(つまり,関西で言うところの,言い逃げ?).
【打算的人間】にはなりたくないなあ,とつくづく思う.
冒頭の「厠」発言にもどろう.
だれが言ったとかの,しょうもないケイハクは発言はしない.ただし,仕事は仕事として割り切ってはよい結果はでない.最後は,いつも「胸突き八丁」である.
ただし,告白しよう.
ワタシ.
「ケイハク(軽薄)な議論,文章,主題,会話,ふるまい等々は,「虫づが走るぐらい?」嫌悪する性質なので,評価基準は保守的だろうか.
顔が歪んでいるのが自分でも分かる.
たぶん,オヤジの疲労なのだろう.
追伸
子供に論理的に説明できない事件は,困る.
日記と記録,そして「過去」
日記をまとめる習慣は,高校生時代にさかのぼる.
・・と書いても,そんなことだれも知りたいと思わないでしょうが(笑),つまりは,このブログの内容はノンフィクションではない.
高校生は,田舎だったので,選択肢がなく,伝統ある進学校で生活した.反面教師が多いと感じた日々で,表面上の成績は良かった.(オイタする(80年代用語)友人が周りにいたが).毎週のテストで,クラス替えがあるような「異常」な高校だった.
そんな日々のなかでの,自己表現は新聞への投稿だった.(ほんとうは,投稿で掲載されると図書券がもらえるのがうれしかったのだが...)
何度か,掲載された.
そのなかで記憶にのこっているのは高校生最後の投稿.内容は受験至上主義での教師批判.いまから考えると青臭いが,掲載後,言われなき批判を受けた.本人は事実を投稿したまで,反省はしなかったが,いまでは反面教師として,いまでも再会したくないが,「感謝」はしている.
日記にもどろう.
ワープロもパソコンも買えなかった学生時代は,手書きの日記だった.いまでは,自分用の日記と,いまのブログと二本立てである.振り返ることは,ほぼないが,論文を書くときなどは,便利でもある.
しかし,日記は事実を記載しない.またこのブログでも,誇大表現がある.
ただ,毎日,文章にするという習慣化は,この職業を選択した結果では,よかったと感じている.
業界用語だが,野帳(フィールド・ノート)の存在をしった時には素直に「感動」し,いまでも愛用している.
ただしである.
過去,あくまでも過去のレンアイチュウの「記録」は・・ハハハ....
back spaceで消去できないのである.
過去のレンアイは別として,上記の反面教師にはあと10年ぐらいしたら再開したいと思う時もめぐってくるのだろうと感じている.
追伸
家人曰く.
「過去の研究をやっているから,過去に執着するのはマチガイ!」(らしい).
ハア.そうですよね.
嵐と悶絶
気圧変化が激しく、自宅の気圧計も激しく変化する。またそれに連動して、田舎の谷には風が激しく変化する。
・・・・・・と原稿をまとめていると、午後になると「悶絶」が始まる。
書くことは困難の極み。顔がゆがむ。眼精疲労。
煮詰まったら、違う仕事とは思うが、そうも単純に行動と思考転換させることができないのが、「どんくさい」ところ。
雲の動きが激しい。
フィールドからの教え
新緑がまぶしい時だと実感させられた一日.また,田んぼの田植えの光景は農家出身としてワクワクする.
湖西地域の庭園遺構の継続調査のためなれない四輪車で同乗(情?)の学生さんを乗せて出発.くどいようだが,好きではない四輪は私なりに,神経をつかう.
ナラの疎林下に時間が止まったように展開する庭園遺構の形成および廃絶プロセスが3回目によってようやく把握できてきた.詳細は研究成果として報告するが,「遺跡らしい遺跡」としてたいへん興味深い.また遺物の検出数が少ないもの特徴的だが,地形を巧みに利用して成立した遺跡としての評価をしっかりと行いたい.
・・・と歩き回りつつ,そして立ち止まって調査を終え,移動後は平野に埋没する弥生中期以降の遺跡へ.まだ調査が開始されたばかりだが,上記の担当者同様に,志ある現場担当者だと意見が指摘でき心地よい議論が展開できる.(そうでない場合も多い).
その後,研究室に帰る途中に,これも地形を巧みに利用した寺院を巡検し,夕方帰る.
同じ対象でも「見方=視点」によって評価はことなる.そこが,研究の醍醐味だろう.と当然のことを,フィールドは教えてくれる.
充実した一日.
疲れはそれどでもないが,家庭重視月間(指示系統は家人)のため,夕刻にバイクを飛ばして帰宅.夕刻,アフリカ隊の隊長(先輩)から電話で緊張.
しか~し.
デッドラインは変更なしで,端末に沈殿する(したくないけど).
追伸
コンビニではもう冷麺がならんでいるんですねえ.
カレンダー
夏休みの宿題の威力は絶大である.(と思いたい).
いろいろなデッドラインは少々つかれるが,夜はカエルの大合唱.
研究室のカレンダーはまだ3月と4月で止まっていた.
・・・と思って手帳をみたら,またデッドライン発見.
あせって,段取りを考える.
・・・・と考えていても,なるようにしかならないし,なるようにしてきた自負はある.
と,ブログを更新している暇があったら仕事しろ!と自分にムチを打ちます.
アフリカ合宿と日常
GWの中休みはアフリカ研究グループの合宿が妙高の大学セミナーハウスで行われた.
毎年,この時期に成果および日程を協議する「合宿」が行われる.
とてもよい季節.しかし,タイトなスケジュールだったので,今回から長期滞在調査
を行っている院生諸氏の発表に刺激を受けた.
みな過酷な地でのフィールド調査を経験しており,入る前と後では大きな変化
がみられ,それを確認するだけでもオジサンは刺激を受ける.
やはり,アフリカの水の威力は偉大なのである.
ただ,目的地までがシガからは長時間であり,アジアより遠い感じが少々こたえる
が,まだ桜が残っている車窓のなかで読む論文は頭に染みこんでほしいものだ(笑).
この隊もふくめて,海外調査隊は【濃密な時間】を経験する.またそれが成長も促す.
巡り合わせというか,
人の出逢いは大切である.
・・・と昨夜元気をもらってきて近江に.
みんな忙しい人ばかりだが,一生懸命な先生,先輩や後輩ばかりで刺激になる.
稚拙な想いだが,大切だと思っている.
ロマンチストは某隊長のテーマだが,あのナミブ砂漠の夕日を見たら最後(笑)である.
今月は,学会発表2件と研究会など発表2件.計4件のプレゼン.
今日もオチはなく,単なる日常暴露でした.
ゴメンナサイ.