帰宅時のバイクはこの時期,ヘルメットシールドにムシが吸着?する.
とくに,田んぼの農道を走っていると・・・前方視界が困難になる.
今日,いろいろな相談を受けた.
そのなかでも,いつもあるが,
「・・・・が見られる,もしくは,採れる場所を教えて欲しい!」気持ちは分かるが,ちょっと,いまの世相を想像してもらったら,返答は想像できるだろう.
「この場所でバッチシいます!」
と言っても,探す楽しみもないし,思い出にもならない.
労なくして・・・である.
結果を求めるのは,結果=正解があると誤解されているからか!
「過程」こそ楽しんで欲しいと感じる.
この【結果重視傾向】.親だけである.
・・・と「打算的」と「無責任」をキーワードとして,人,対象を妄想していた.
月別アーカイブ: 2007年6月
役所の巡検
インドとバングラ,韓国もそうだが,ここ数ヶ月の間で,まともに家人と休みを共有した記憶がない.
今日も,ナツの調査のための必要書類をとるための巡検.
ここ数ヶ月は休みといえば,原稿書きや仕事を休日にしていた癖があり,よろしくない.そういった意味において,今日の様な仕事の延長もよくない.
追伸
強制的に休むのも仕事だと思った.
今週もガッカイ
いまだ,週末は学会行脚で,日帰りできる古都へ.
世は,休日で親子づれや年・若カップルが目についた.
ちなみに,当家の心配をして頂く機会が多いが,いたって本人は健全である.
今回の学会は初参加である.予想はしていたが,【技術論】が大半で,一面の勉強にはなるが,理論的な刺激はない.しかし,現場で頑なにがんばっている方たちとの会話は刺激にある.
某大学の近くにたまたまカンボジア?(東南アジアであることは確か)で発見された墳墓と形態的に類似する墳墓をバス車中から発見し,帰路確認した.実は,数年前,旅のTVで偶然みたのだが,やはり現物は復原があったにも関わらず,迫力がある.
やはり室内では学べないものがフィールドではある.
・・・再確認した.
課題を発見するのもフィールドなのである.
勉強しよう!
追伸
オチなし.
夏のカンサツカイ
人生の勉強になった一日.
県内の某所で,活断層の観察会の一日だった.基本的に雨男なので,結果をそのように予想し,対処していたが,逆で,ナツだった.
距離的には,フィールドワーカーとして,たいしたものではなかったが,気疲れはあった.しかし,さまざまな人生の先輩から学ぶことは多く,充実した一日だった.(先輩だけでなく,子供の感性にも).
その中で,近江の図書館論,強引に展開すると「文化度」についての車中議論があった.
「あたりまえのことを,あたりまえに感じると,そうでなくなったときの反動は大きい」
「段取りされた【答え】ほど,深く,学びのないことはない」
・・・と,想像力?高まる議論が展開された.
考えてほしい.
結論
いま,当然となっている対象物や現象の意味や過程(歴史といってもいいのかもしれない)を思考することこそ,【知的】ではないか.知的な生産活動は【想像力】である.この【想像力】,他者への『おもいやり』にもつながる.
そう,メイテイしながら,「まとめ」入っている.
図書館論
近江は図書館が充実している.
そう感じ,その恩恵を【実感】している人は,それほど多くはないだろう.
それが,残念である.
京都で,学部学生時代を過ごしたが,上記のことは院生時代の東京でも【実感】せず,こちらに就職して『驚嘆』した.
その後.家人の司書講習のテキストや,日々の生活でこの『驚嘆』と【実感】は,確信に昇華した.本が身近にある日常はたいへん,貴重である.とくに,途上国と呼ばれ,政治的に不安定な場では,読みたい本が公的機関で保証されている空間が存在すること自体が,驚異でもある.
そういった意味において,
享受されている環境の意味や,価値についてゆっくり妄想する場と空間,さらには時間は大切にされてもいいのではないかと思う.
さらに,展開すると,それに携わっているいる人々は,その「幸福」を考える時でもあると思う.
安易な「サービス論」ではなく.
自戒も込めてである.
追伸
「本がなくなる日常は想像できますか」