機上でなく机上

アフリカ学会後の高揚感も一瞬で消え,再度,もだえつつ,不健康な生活が続いている.

つまり,「これだ!.分かった!!」という快感がみえては,「やはり,そうではないかも・・」の落胆の周期的繰り返し.

着飾った表現だと,「思考実験」だが,実際は【もだえる】状態.自己に幻滅することの繰り返し.

ただ,他人にとってこの状態はわかりやすいようで,寝言でも,ナミビアの・・・・・とほざいていたらしい.

ただ,わからないからこそ,面白さがあるのは事実,と凡人は考える.

集中力と厄日

いまだ,気持ちだけでは20代の大学院生時代と変化ないと,常に自覚しているが,衰えは【認識】しはじめた.

フィールドにでているときは,高揚しているのでそうもないが,PCの画面で文脈を理解しようとする行為は,ドライアイとの闘いの段階になった.


しかし,院生時代や学部学生時代は,そうでなかった.

PCなど高値の華だったし,ほぼ活字に埋没する生活だった.(いまもそうだが).

そうしたい自分がいるが,そうできない自分との格闘かもしれない.
(でも,もっと集中したい)

追伸
昨晩は,帰路途中バイクのライトは消えて右往左往するし(以前は,吹雪のなかで発生したが,今回は農道で,コンビニに駆け込んで,ハイビームを下げるためガムテープの購入で無駄な出費),国際学会の要旨はネットで送信できない(返信がこない)で,厄日である.

アフリカ学会

参加の度に感じるが,アフリカ学会は活性化している.

それは,1)緊張感あるフィールドを対象としていること,2)学際的であるからだろうか.また,3)アフリカが近くなったということか.

ただし,10年前以上にはじめて参加したアフリカ学会は,一つもしくは二つの会場で,猿の発表の次に熱帯病,さらに人類学の発表と・・・・まさしく,日本のアフリカ研究を一会場で堪能できる場であったが,本当に様変わりしたと思う.

ただし,皆情熱をもってアフリカを語る姿は,いつも刺激的である.

日本でもようやく,アフリカの様々な問題が注目されつつある.なぜ,極東からアフリカに着目するのかを常に意識しながら,フィールドに挑みたいと思う.

久しぶりに心地よさに浸りつつも,不規則な生活で体調はよろしくない.

しかし,締め切りは継続する.

カンテツとアフリカ!

日々,順調に時間を管理し,計画的にコトを進めたいが,そうもいかない.(ダメな自分).

明日からは,某アフリカ学会が始まり,発表もある.


昨晩は,久方ぶりの80年代用語の「カンテツ(完全徹夜)」で,プレゼンテーションの準備をした.

マニュアル本には,プレゼンには「一月前から準備しなさい」などど,「とぼけた」ことが記載されているが,そんな経験一度もない.
(本当は,そうした方が良いことは納得済み).

ただし,こういった【締め切り】を自己で強制しないと,次の展開はないし,こういった時間で,課題も発見されてくる効果は学生時代からよく理解している.

そういった意味において.締め切りから隔絶される時間というのは当方に限ってはないのかもしれない.

追伸1
家人には,放任されている.

追伸2
宮本真二(2008)ヒマラヤ地域,高所山岳地域の自然災害問題.ヒマラヤ学誌,9,49-53.
が公表されました.

とても眠い.

空虚な時間と刺激

「年金特別便」が先月,小生に届いた.

長い学生時代は,引っ越しを繰り返していたので,予想はしていたが,職を得るまでの期間は,空白であった.

自分の記憶とそれを証明するための書類の手配は,怒りを覚えるくらい非生産的な時間であった.


その後,なしのつぶてである.


まったく上記と関連性はないが,某研究会で,某人指摘の【活字】の意味について教えられた.

論文はもとより,いろいろな媒体で活字を残すが,活字の活の意味を考えさせられた.
公表の意味は,受け手の多様な解釈をもたらすことである・・・ということは,いつも追われている身にとって,忘れがちである.

何のことか理解不能な文面でしょうが,小生にとっては,刺激的な発言でした.

懲りていない

このところ休日も論文をつくっている.

過程は楽しいことなどないが,自己満足に近い達成感は「一瞬」だけある.

一年前も同じだった.と家人に「休日なのに!」との批判を受けて気がついた.


ただ,窓から見える新緑の景観と人の行動は,趣味として楽しい一時ではあるが,通常は,ドライアイと腰痛との格闘である.

一年前どころか,ほぼ毎年こういった日々だ.

成長していない証拠か,懲りていない証拠か.

写真は,2週間前の越後平野の調査風景.極度の二日酔いにもかかわらず,フィールドワークにいそしんでいる.

これも,懲りていない.