何から手をつけるか

めちゃくちゃ忙しい.

いつも,出国前はそうだが,出国に限らずそうでもない日々.

こいいったブログを描く暇があったら,仕事しろと言われそうだが,家でも,休みでも仕事している身には,その余裕はない.

こなせば,こなすほど,新たな仕事が降りかかってくる.(こなさなければ仕事はこない,という指摘もあるが・・・)

組織で仕事をしている上では,「トンチンカン」な人や発言にも,笑って,こころで怒って仕事に励もう.


・・・・よくはないなあ.


あえて,余裕を「想像」しようと思う.
関空や機内では,仕事ができる.

(オチなし).

ああ,また今日も午前様だ.

研究の方向性

たまに「宮本さんのブログ見てますよ!」と指摘され,返答に困って,「まもともなこと書いてない」.と反省しています.


来週からアフリカを皮切りとした海外出張があり,手をつけないといけない仕事と,追い寄せる仕事に我を忘れています.


...と言い訳です.


ちょっとマジメなお話しを.

昨日,京都の某研究所の猛暑の京都での研究会に参加でき,刺激を受けた.というのは,考古学者(考古学の人は,考古学徒?)の研究の方法論の発表.

数年前,当方も悩んだこと(題名が拙論と同じ)と同じで,共感と連鎖を覚えた.

結論としては,「そういう時期もあるのだと思った.」

自己の専門分化した方法論で業績を蓄積し,その間,専門分化した領域と研究者仲間での議論を,就職なりして,立場が変化した時,自己の研究をどういった表現や文脈でアッピールするのか?.を悩む時期だと感じた.
そこで,失敗してほしくないと思った.

・・・ただし,安易に「役に立つ」とか無理をして「こういったことの可能性がある」との指摘は,結果として(あくまで),無理が生じる.


科学100年以上の厚みはほんとうに大事だと実感した.学生さんには,その楽しさをしって欲しいとも感じた.



研究史を紐解き,先人の知見に学ぶ「余裕」が必要だと感じた(私もである).

このときは,猛暑にもかかわらず,ビール(本物)の誘惑を排除して帰宅した.


考えること多き一日だった.

まだ,余裕がある証拠だろうか.ないんだけど.

お父さんも「宿題」

出張前に休みを消化しつつ,仕事に励むが,子供の午前中の夏休みの宿題最中に,PCを前に悶々としていたら,子供は,おやつの時間になり,まだ宿題「終わっていないの!」と指摘された.

「そうなんだ」.「たくさんあってね」

・・と批判を受けつつも,子供がいるといろいろな場所へ移動させられ,夕刻に家人を職場へ迎えにいき,今日の顛末を話すと,「主婦の苦労がわかるでしょ!」との批判.

そうですね.たいへんです主婦は.


私も大変だったのですが・・・・・・

名古屋の「おまけ」

炎天下での出張はつかれる.

某学会の仕事で,先日,夏休みの行楽客を縫うように新幹線経由で,名古屋へ.

食欲も失せるくらいの,今年の最高気温の日,涼もうと,仕事をしようと,そして食事をしようと思ってはいった喫茶店.

「おまけ」がなんとも豪勢な「お菓子」

・・・名古屋って.

仕事をする気も失せて,早々に会場に入った.

「夜」があけるまでに.

持ち帰っての仕事で,日をまたぎたくはない.

・・・とおもっていたら,もうすぐ今日がやってくる.(きた).

今日は,午前中に各種事務処理後,情報システムの研修で刺激を受け,途中退場して,バスと電車を経由して猛暑の旧都へ.

暑くて,しんぼうなりません状態が,アフリカ研究者の院生や「先輩」の会話で刺激を受け,その後,旅行会社に9月のインド調査の残金を託し,祇園祭でにぎわい都を避けるように近江へ帰宅.
 
 なんでも,「ひとり」で事務処理など全部していると,電卓の履歴が理解できなくなる.秘書となる研究補助の人はほしいが,そのお金は,別の次元で消費したいという思いは続いている.

 特に途上国の海外調査だと,そのお金は「生きるための人のため」と思い,自分でできることは,他人に頼らず,何事も自己で可能な限り,すべし,というのも教えだ.(・・・嫁はしてくれないが.)

 自分でできることは自分ですべきだと思う.(できる時はだが).世界の現状を肌で感じると,そうもできないだろう.そういう共通理解は,途上国を研究対象としても,博物館で通りいっぺんの標本資料や,行政資料を机上で漁ることししか術のない人でなく,生活に近い場面に遭遇するフィールド・ワーカーには理解してもらえる.

 要は「甘えるな」ということだと思う.

「多忙を理由にすべきでない」という先輩の本日のご教示も,刺激だが,喫茶店で原稿の推敲はしたくないなあ.けど,落ち着く時間.

出国前までの「量」は考えたくない.

今日も.今日になった.(つつある).

でも,発見は「現場」にある,と「愚直」に思い続けたいと思う.

持ち帰って仕事

母親の「血」を受け継いだのか,どうかわからないが,几帳面さは,A+型の私には身についているのだろう.(こんなことを書きなぐっている時点で,【科学的でない】との批判があると思うが,研究者だって人間だからしょうがない).

日記とメモをつける習慣(クセ)が身に付いている関係上,研究室を後にするきには,明日,職場ですることを野帳(フィールド・ノート)か,机上のメモに残す.


翌朝か,帰宅後,順次,集中して処理していこうと思うが,できなかったことは,ストレスの元凶になる.


院生時代の先生は,「ダラダラとした時間より,朝から集中すべし」とのご教示をいただき,その後一週間くらいは,院生時代でも午前中に大学に行くようになった.(継続しなかったが).


給料をもらうようになって,規則的な時間生活スタイルは確立された.結果として,上記の目的は達成されたが,いかんせん,自己の無能力で,合理性に欠けるが,仕事中は,会話を排除して,集中したいと行動している.




なにをする義務もなく,思索にふけることが許されない時代だが,そんななかにも,時間を創って,「何もしない時間」を作る努力をしたいと思う.


老婆心だが,学部学生時代のモラトリアムの時代は,何もしない時間に充てるべきだと感じている.つまり,情報が多すぎて,学生が忙しすぎる.その忙しさを求めているのは,大人である.


わたしは,たぶん,過去,なにもせず,悶々としていた.

ただ,その「悶々さ」に耐え切れず,バイクに海外に「逃亡」した.

それが,許される時期もあってもいいと,「14歳のバスジャック事件」のニュースを聞いて思った.


打算的でない生き方を学ぶのも,人からである.

少々,海外調査前はいつも疲れる.

アフリカとインドからとグチ

いつの間にか,今年も半年終わって,7月.

各種事務手続きに合間に,調査手続きなどで海外の研究者や学生にメールをだすと忘れた頃に返信がくる.

インドからは,アッサム語の本の草稿ができて,指導教官のカウンターパートに見てもらい宮本がくる冬までに出版できている,という便り.

こちらは,同じアジア・モンスーンの雨季で,もうすぐ夏だ.こちらも論文を書いて,国際学会も・・・と,競い合って.

アフリカからも,ニュースレターや,何時くるんだというメールも.

こう書いていたら,楽しそうだが,TVで見た,日本の大学生のネットを通じたコピペのレポート.

次からは,「手書きレポート」でと思う.

とにかく,フィールドに出たい.

・・・と結んでおこう.


公開できない「グチ」は,たくさんたまっているが,ここでは書かない.が,打算的であること・人は,私にとって排除の理論が適用される.

グチは,10年以上前に,友人達と言わないでおこう,と決めた.

ああ・・・しょうもない.