自分の時間は深夜

ここ数日,各種の〆切があり,不健康な生活で,疲弊している.

休日も仕事モードだと,ほんとうに精神的にツライ.

ただ,こう言った中にも,敢えて「笑う」ことを意識している自分は,すこしは,経験というものを自覚してきた.

もっとも,家人からは,「オトナゲナイ」「ジコチュウ」「ジブンチュウシンシュギ」との,ののしりを受ける.


研究だけでなく,一般の仕事や生活もそうだが,人と人との関係性で成立している.某,M新聞で,某長距離走者の引退会見の記事を,本日読んだ.そのなかで,「人生に無駄はない」.と.

そう思うし,そう思いこみたい.

余裕がなく,自宅の机上に山積した本や,新聞を少しだけ読め,一部は切り抜いたりできるだけで,知識欲がすこし満たされ,精神的に満足感が得られた.本の場合は,「気合い」を入れないと読めない本は,眠るための一冊にもなっている.

すこし,精神的によろしくない状態で,家人に建設的な批判を受け,限界を意識した.



ただし,自分の本当の時間(独りになれる時間)は,バイクに乗っている時と,深夜に結果としてなる.


もうすこし,年齢を重ねれば,朝方ぬいせざるを得ない状況になるのでしょうね.


オチナシ.

まだ,午前様ではない.

言いたいことは面前でか?

昨日に継続して某古都の研究会.
朝早く起きたが,連絡(バス,電車,電車,電車,徒歩)悪く,かけ足でも,少々遅れたが,まだ始まっていない.

こういったとき,地図では,滋賀と近い距離なんだが,「小旅行」になってしまう.が,その,電車・バスの時間は,いまの私にとって,とても貴重で,集中して本や新聞が読める「至福」の時間.

・・・と,早朝から,行楽の観光客をしりめに,汗をかきつつ・・・到着.

セッションの感想は,書きたいことは「山ほど堆積」しているが,これは自己用の日記に記す.

抽象度を目いっぱいあげて評価を表現するれば,

「方法論と,その自覚」,「緊張感」の,大切さ,を再認識した,時間えもあった.

でも,刺激を受ける場面もあり,喫煙場では,韓国の研究者と水田の立地条件の相違について議論できたことは,大いなる収穫であった.

そのご,さらに家族づれの観光客の帰宅を尻目に,いちもくさんに近江へ.

眼精疲労が激しく(活字をおっているので),目薬を求めた.その近くが,本屋であった.

「お宝」,という,いまたまたま熟読していた,南アフリカのアパルトヘイト政策のジャーナリスト本と,東南アジアの国家論の関する新刊本を発見し,・・・・購入.現金がなくカード.カードを切るとき,家人の顔が・・・・



・・・・・・・と,本人はよき本と出合って,ウキウキしながら,バスで帰宅.手には,ビニール袋の本.説明せずに・・・.(笑).そのうち,通帳で・・・.

帰宅後は,科研費の「待機」(海外からのメールか電話待ち),で某,四国と古都との待機組と,【協議】・・・で,いま,午前様.

「長い・・・」は松山・・だが,「長い一日」であった.まだ継続だろうか(笑).

ただ,たいへん濃い一日ではあった.