ヒマラヤ再度

明日からも別件の近江を舞台とした「ワクワク」プロジェクトが始まるが,

2月4日〜18日まで,インド北東部(アルナーチャル・プラデーシュ州)の調査です.

風のが強い影響で,鼻炎がここ数日,酷く,思考回路が・・・・低下中.・・・・・

【オチ】

気合い.しかないか.

でも,はまります.

掘り出し物と,科学の厚みと,やるせなさ・・

さいきん,グチととらわれる話しが多いので,「しょうもない話」をしましょう.ランダムに...

1.テレビは見ない

ので,街中,とくに,人混み,Tokyo(正確には,神奈都民)に院生時代にいたにも関わらず,シンドイ.つまり,「雑音」だ.

スペインに学会で行った時,地下鉄の案内は「会話」だった.街にでると,雑音であふれている.

しかし,我が家もデジタル化が進み,IP電話で誰が電話をかけてきたかが記録され,番組の選択肢も増え,欧米スタイルになった.

これは,いい.今日,夜に単車で帰宅した後,BSの世界遺産の番組は,画面の洗面祭とともに,良質で,感動した.TVも悪くないし,海外にでたときに一番好きなTVは,もちろん地理屋なので,National Geographic TVとBBC(近江ではなく)だ.

2.余裕

・・は,いつもない.時間があると,いろいろ見つけて,忙しくしてします.

家人に言わせると「たのしんで研究という職業を選択したのだから,もっと,笑いなさい!?」だ.

ほんとうに,そう思う.ただし,原稿モードになると,もう,いつもシンドイ.

3.趣味は,新聞切り抜き

・・である.新聞.毎日新聞の書評は秀逸だ.

なにより,【想い】が感じられるレトリックや文脈は,好きで,書斎には読めなかった,新聞(赤が入った)ものが山積し,スクラップは山となっている.

書籍も,この,書評を読んで.基本的に専門外の領域は購入することにしている.

ただ,お金はないので,古本を探す癖は,いつもながら.

4.単車

もう,20年もまたがっているので...オタクである.

”KAWASAKI is Word One!?...である.

単車の良さは,自己と向き合えることで,その集中力はストレスの解放にもなっている.また,季節や天候,年齢によって,【乗り方・またぎ方】も一様でない,アナログ感が,また,秀逸である.

・・・・オタクだ.

5.斉藤純と山田深夜,と沢木耕太郎

これは,4に関係する.一読されたい.

最近は,斉藤純の「オートバイライフ」を再読している.

・・・再読どころか,朱入りまくり・・・

6.装丁と良書の価値,科学に厚み

古本を探すが,今日,帰宅途中に,昔からほしくても手が出なかった,3万円の一冊にであった.

装丁も秀逸で,一家に一冊の良書だが,価格は,・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【105円】.

学術書は売れないと卑下することでなく,いいものは,それなりに労力,((ロマンチックに表現すると汗と涙)がかかっているので,この価格で売られると,・・・・・・・・・・・・・・・正直,日本という国に幻滅する.

「科学は,文化である」.

(この一冊のために,どれだけの時間がかかっているかと思うと,作者に対する冒涜ともいえる価格ではないかと,この店の見識さえも疑ってしまう).→「憤慨」

7.解放

・・ネット環境が整備され,いちばんの利点は,「個人」が見えることになったことだと思う.

情報の・・・はあるが,閉鎖された領域を解放する意味がある.

だから,小生のような,アナログ派でも,ネットを多用する.

換言すれば,「研究者というブラックボックスを知ってほしい」という,想いだ.

8.若者の感性

・・疲れてきたが,今日,某大学の講義のレポートをみていて感じたのは,「感性」は重要だと.

それも,若い時のだ.

私は,「先生」に,20歳の時,オランダのスキポール空港近くのトランジット宿で,先生が4時に起きて仕事されているときに,「若い時に本物を見ろ!.ミヤモトと」

・・それは,真実だと,思う.

・・・というような,めまぐるしいくも,刺激的な一日だった.

・・・・といったら,「明日」だった.(オチ).

一人に,ひとりに,独りになること

こういう時間をすごす回数を何度,人生(まだ若手の自覚ですが)で,経験したのかと,深夜には,ときどき,【妄想】してしまう.

ただ,すこし歳をとって,「経験値」はあがってきたので,その効用はあると思う,というのが今日のブログの主張だ.

(本心は,規則正しい生活を標榜しているし,家人は心配してくれている).

その,効用をメモにしよう.


・だれにも邪魔されない.

・メールも見なくても,批判されない時間(レスを書かなくてもいい時間

・雑音がない,時間.

・自己に向き合える時間.

なにより,


思考できる時間.しかし,→妄想の時間.まあ,無駄な時間だろう.合理主義からみたら.

・・・・・・・・・

メモが消化できないことに,いちいち,いらだちを感じても,「まあ,しょうがないと」しか,思えないと,という時間.

まあ,いつもの年度末と,海外出張前の忙しさはありますが,まあ,なるようにしかならないと,経験として,なるように仕向ける自分は,「自覚」している.

そういう,日々なので,ストレスはある.ただし,このように,文章化することによって,職業研究者としてのストレスは,幾分かは,発散されるのだ.(マゾのようだが,事実だ).

【オチなし】

追伸

もうちょっと,野帳に書書き留めたような,アイデアをもとにしたブログを「書からなあかん」(関西弁),とも思います.

若者の感性と信頼,そして「楽しむ」ワクワク感

ムスリムの世界遺産

忙しいのは変わりないが,商売も同様で,暇な時は,よろしくないだろう.

・・・と考えていて,

「研究していて,なにが楽しいですか?」

とよくは聞かれないが,地理学=フィールドを重視し,自然と人間との関係性の学,と信じているもの(かたくなにだ)のとって,説明しないといけないだろう.

思いうかぶまなに列挙しよう.

・旅が好きだ.

・ヒトの行動はおもしろい.

・「なんで,こんなものが,ここにあるの?」

・空気の違い.

・空気は生もの.

・刺激.

・ぶれない.

・発見.

・感動.

・異分野との見方の相違をフィールドで確認したり,教えてみらうおもしろさ(視点・視角の転換)

・・・・・・ほかにも,いろいろあるが,

なにより,

【あ・・・・そうか!・・・・・「わかった!!!」】という瞬間だろう.

だが,たいてい,その【わかった瞬間は】,あとで調べてみて,たいした事でない方が,大半だが,...そのスリルは,病みつきになる.

ここは,「私が見てきたのだから,事実なのだ!」

という度胸も,力量もないが,なによりも「ワクワク」「楽しむ」ことができる感受性を維持するには,フィールドしかないと,フィールド科学としての地理学を志向する立場は,そう実感している.

広義の「地域研究」へと.

【オチ】

上記の中で,楽しむというのは,いくつでてきたのでしょうか(苦笑).

もちろん,その楽しみは【享楽的な楽しみ】では,決して,ない.

写真は,バングラデシュの世界遺産.手元に野帳がないので,場所が出てこない,オヤジの仲間入り(苦笑).

余裕とデッドラインと原稿と発表と・・・

「多忙さ」を理由にしたくないが

なかなか,シンドイ日々.

その中にも,暖かい励ましに,アラフォーは感じいる.

以下の,行事で参加はできないのですが,発表するタイトルなど.

作業しているうちに現地のカウンターパートの顔や表情,

それよりも「ふるまい」が思い出されて,「がんばらないと」,と

思います.

他にも,バングラデシュでの学会誌に投稿作業を行いました.

日本語の原稿も再会するために,ワーキングペーパーに目をとおしていたら,また「感じ入る」レトリックに,・・・・感動しました.

文章は,「大事」です.

追伸

写真は,11月の夢のようなブータン調査の一コマ.

(この時点で,2週間以上山にいたので,「匂い」はたいへんなものだったと思うが,たのしかった).

Shinji MIYAMOTO (Lake Biwa Museum, JAPAN), Kazuo ANDO (Kyoto University, JAPAN), Nityabanda

DEKA (Gauhati University, INDIA), Abani Kumar

BHAGABATI (Gauhati University, INDIA) and Tomo RIBA (Rajiv Gandhi

University, INDIA)

“Historical Land Development in Central and Eastern Himalayas”

International Workshop “Integrated Studies on the Susutanable Agriculture and Rural Development toward Research and Education” in Myanmar at Yenzin Agricultural University.

日本海型気圧配置の集中講義

いま,「ワカモノ(若者)」に鍛えてもらっている

逆説的な表現を用いれば「遊ばれている(苦笑)」だろう.

でも,刺激がある.

彼ら,彼女らの【感性】は,「おもしろい」し,大事にしてほしい,と思う.

それが,80年代に自己形成をした世代としての表現では,

「志(こころざし)」

だ.

ぜひ,小生のような「変人」の【縁】をきっかけとして,チャレンジしてほしい!.と思う.

・・・ああ,Just 40 か....と(苦笑).

キモチは,20代なのに・・・・・・・・(さらに,苦笑).

・・・と思っていたら,午前様・・・.ハア・・・・・・・(脱力感).

【結論】

Face to Faceでしか「伝わらない」【信頼】をつくる国際的なテクニック(=まあ,度胸ですが),身につけてほしい,・・・・と老婆心ながら,・・・思います.

ただ,

「たいしたものだ」と思います.

私の方が勉強させていただいています.

【刺激】という・・・・・・

【オチ】

ただ,めちゃくちゃ,「寒い」!!

「ひこにゃん」の本場で集中講義

毎年恒例の,年始明け,「自然地理学」の大学集中講義.

毎年,感じるが,「まじめ」だなあ,というとだ.

それは,決して否定的な意味ではなく.私自身が,「若手」の感性を信頼して,期待していることの裏返しの表現だ.

ただし,「勉強」と「研究」.もっと展開すると,「学び」は,まったく違うことを,早く認識してほしい,と老婆心ながら,思う.

なぜなら,【大学での「学び」】は,義務教育(これは,親に責任があるということ)ではなく,自己責任に世界にあることだ.

したがって,時間の使い方も,自己責任という「ルール」のなかで,時間を紡ぎ出してほしいと思う.

私が,師匠(=先生)とよべる(よばしていただける)方は,みな,共通して若手に「あかるい」(先生)ばかりだった.

「つなぐ」ことを毎年感じ入る.【ひこにゃん】の集中講義だ.

追伸

いかんせん,【芸風】はまだまだだと,自己反省の期間でもある.

・・・・・・

でも,学生さんと接していて,【自分が学ばせて頂いている】という,「育児」の心境や【感謝の本心】もある.

ただし,まったくに近くくらい「大学のジュギョウを「ブッチ」していたことにやりがいをみいだしていた世代として,立場が逆転した「キモチ」は,いまでも「とまどい」なのである.

・・・

つまり,講義の意味や,作法さえ,大学によりつかない世代として,困惑なのだ.

何していたかといわれれば,「海外にいっていた」としか,答えようがない,「自己史」なので,

「こっまっています」(笑).

文章で自己表現することの「喜び」と「伝える」こと

いつの間にか,年,歳!?を越した.

このような,ネット環境が整備されるまでの遍歴(人とヒトのつながりを維持するツールという意味)は,下記の通り.

・10代の高校生時代

新聞のロカール面や,全国版投稿面,さらには深夜ラジオでのハガキ投稿での応募で,こずかい稼ぎステージ.

(その要因として,極度な管理教育への反動で,「教師」などへの反発.

・大学学部時代(古都)

お恥ずかしい思春期特有の行動で,交換日記世代での自己表現

(その要因として,根本的にお金もなく,電話という手段さえ,お金との算段だった)

・院生時代(首都郊外)

お恥ずかしい思春期世代の延長で,携帯電話さえなく,また海外に出ても連絡手段さえ,レターの世代で自己表現

(その要因として,根本的に買いたい本は「目をつむって」買ったが,食費などには一切投資せず,先生や先輩に群がった).

・就職時代(かつての古都)

上記の行動パターンは抜けきらない.

(その典型的行動パターンとして,3000円以上の本は,コピーするか,ネットで古本で探すかの算段に30分は今でも悩む.)

・・・というような遍歴はあるが,「文章を書くことは,10代から好きだった」.それ以前に,小学生時代から,考古学に関する本は,親にねだって専門書を買ってもらっていたし,その本は,研究室の奥に大切にしまってあり,1年に一度くらいはなにげなく見る.

そのねだっている情景(片田舎の書店の片隅で誰にも買われないような明日香村の遺跡紹介の一冊)は,鮮明だ.

また,日記の習慣は,恥ずかしい世代においては,交換日記だったが,一時期は同世代の研究者(院生を含む)は,今日の出来事や読んだ本の感想や,書き始めたロンブンの交換を毎晩,その日の決めごととして交換していた.

いまも,弁当箱(PC)で,メモをするが,あえて,手書きも必要だと感じている.

行間の味わいや,文章の乱れ,乱文なども,考える時間を確保する上で,大事だと思う.

したがって,ネットで安易に手に入れる(手に入る)情報の「ウサンクササ」は今でも感じるし,実際そうだと感じている.

研究レベルでは,「役に立つ」「即効性」が強調されるが,【科学の厚み】,【文化としての科学】のオモシロサを伝えていかないといけない世代(トシ)だとも感じている.

ただし,日本という国では,定式化されたものへの信仰のようなもの(国民性という表現は適当ではないが)があり,【学ぶ楽しさ】の機会が少なすぎたのだとも思う.

いい意味で「成熟した社会」のためには,「学び,自己が変遷,変化する喜び」を伝えてゆく役割も,私たち,職業研究者の役割だと,感じ入っている.

たまに見るTVで,やはり,「イチロー」「IHIRO」はかっこいい!

プロである.

彼の発言は,染み入る.

【オチなし】

プロなので,原稿の締め切りは守ろう!!(自己照射

謹賀新年

29日まで出勤し,サンプルの処理,研究室の片づけ,休日中に行うべき原稿書きにかんする書籍の持ち帰りなど・・・で,年末.

30日は,大掃除.しかし,蓄積した疲労のためか,今一つ集中力に欠け,切りのよいところで,お開きにして,持ち越しへ.

31日は,何もしない予定が,大雪で急遽雪かきやなどが入って,紅白をみながら仕事の段取りを確認していたら,除夜の鐘がなるころは極度の疲弊感.

1日は,目的とするものだけの初売りに行くが,ヒトが多く,それに疲れ,いつの間にか睡眠について,朝早い,2日の朝となった.

ここ数日,家人らと過ごしていて気付いたこと.

・普段はほとんどTVをみないが,たまにみると「新鮮だ」.

・子供の成長を「コトバの成長」で実感できる.

・日本の四季は,きわめて「明確」だ.

・この四季に準じた日本の各種イベントもすてたものではない.

・・・というように,日本という国をエンジョイしているが,いかんせん,原稿が頭から抜けず,いつも頭のどこかでそのことを考えて,メモとペンを手放すことができない.また,本もだ.

....というように,今年は.

「楽しく,楽しむ」

「ファーストハンド・データ」

「ヤクのような歩み」

をキーワードに,着実に歩んでいきたい,と思っている.

本年もよろしくお願いいたします.

【追伸】

写真は,今年の年賀状で用いた写真.ブータン調査(2010年11月)のトレッキング調査の風景.ブロッパの人々と過ごした日々は夢のようだった.