【改編:命を預けた仲間】(松林公蔵先生退官 Retirement Party:2016年3月25日)

昨日(3月24日)の松林先生の退官のお祝いの席に参集された方々のお話や,振る舞いをから標題を思い出した.

小生の大学院博士課程(東京都立大学大学院理学研究科地理学専攻)は,氷河地形がご専門の岩田修二先生(東京都立大学・名)の研究室(環境変遷学研究室)で,「山男」が集積していた.

結果的に山を研究場に選んだ「街になじめない野郎ども」が集まり,そして「死」は,決して遠い話題ではなかった20代初頭...

 

標題にもどろう.

 

松林先生を慕う方々は,ご専門の医学に関するお医者さんばかりでなく,小生も含めた多彩な面々であった.その理由は,「命を預ける場面」を経験した山を愛する人々であるからだろう.

また,「登山と研究が表裏一体」という京大的な言説も,京大出身またはその方々に近しい方々に育てられた小生にといっては,心地よい空間である,感謝でもある.

 

そんな楽しい一夜で,記憶がないほど泥酔したが,爽快な朝だった.

またそれぞれの春が訪れ,新しい出逢いを予感させる,ヒトの動きも感じる一日でもあった.

 

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業績追加:ナミビア新刊本:New Book(2016年3月20日)

 

  ①世界最古の砂漠,ナミブ砂漠,②ナミブダイヤモンドで著名な南部アフリカ地域の「ナミビア共和国」の地域研究の一冊が刊行されました.
 分担執筆しています.

水野一晴・永原陽子 編著『ナミビアを知るための53章』.明石書店,¥2000 (税抜)

「日本」の考古学:Archaeology as Science?(2016年3月6日)

「日本」の考古学と科学や,研究者の矜持を,時々考える.

 

40歳世代として「なぜ,考古学は,「日本」考古学,という「 」のがつくのだろうか?,と機内で考えていた.

 

→「王道」と称する考古学は,発展段階論を唯一の(ように)ふるまって,「 」つきの考古学の唯一性を声高に主張し,その言説に酔ってきてきた(いまだに).

 

しかし,考えましょう,と.

 

「日本」考古学は,【ねつ造】を生みました.それは事実です.

 

研究レベルの業界の社会的な意味(埋蔵文化財の行政職員の研究者(らしく)としての振るまい?!)を精査し自覚的な振る舞いは必要だと最近感じます.あまりにも,研究や論文と主張される紀要?論文もどきが税金を使って精算され続けています.

 

「研究って,プロの成果です」.

 

なぜ,上記のように思い,書き留めた訳は,以下の怒りです.

 

結論

前職の琵琶湖博物館に考古学の「研究職」ポストは無くなると...その意味です.

また,不都合な関係のヒトと共著にするヒトとか....そういう情報を,ソトに出ると,聞こえてきます.

「矜持」の意味を考えています.