日常と家庭と過程

今日は,家人と子どもと過ごした一日.

子どもを通じて,いま住んでいる場所とのつながりが,唯一ある状態は,100点満点パパとは言い難いだろう.

午前からの授業参観日である.子どもが小学校に入学して,年一度は,不定期ながら学校に男性の私が参加している.長期に留守にすることが多く,父親向け行事もほとんど参加できないため.

子どもの成長を実感できる時間をもつのは,正直少ない.そういった意味(そんなことに意味を見いだす必要もないが),貴重な時間でもある.
家でPCと格闘していたら,そばで漫画本を読んでいる光景は多々あるが・・,こちらとしてはオジャマムシだが,子どもにとってはそうではないのだろう.

わずか,数十分ながら,子どものパブリックな時間での行動を通じて,過去の時間が迫ってきた.感想は,敢えて書き留めない.

その後,さらに子どもの夏休みの行事の打ち合わせで,家人を同伴して,移動し,待ち時間に,知らない世界の梅雨空を散歩した.

・・・という,子どもを「だし」にした社会性の勉強の一日だった.

私の小学校低学年は,家で勉強した記憶がなく,朝,父親に宿題で泣きついていた記憶しかない.

そんな父親が,「勉強しなさい」,とは自信をもって指摘できない.

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