HappyのあとのUnhappy

昨日は,気分よく帰宅して,自宅で仕事しようと思っていた.

帰宅時に,もう一度メールを開けた.

メールの文面には,某外部研究助成の申請書類に不備があり,この状態では受理できません,と.(が・・・・・ん).

その原因は,WinとMacにあり,Macでダウンロードすると,書類が2倍になると.・・・(一生懸命,長く書いたのに).

・・・とほほ.〆切が迫っていて,Happyは,再度,バタバタと書類をまとめた.


その瞬間,以下の指摘を思い出した.文学部の最終学年で,卒業単位を要求するため,昼間にもけなげに講義を受けていた.その先生は私が受験しようとした,某首都の公立大学出身の若い先生で,専門は違う私でも,その生産量の多さに注目していた.

その先生曰く.

「研究者になりたかったら,事務作業に長け,貧欲であれ」と,訳の分からん(当時は),アドバイスをいただいた.

実際,職業としての研究者になってみると,大半は書類作成や論文の作成に時間を消費する.レトリックや自己の無能さに悶々としながら,「こうでもない.ああでもない・・・」「もうこんな生活いや・・」と,なる.多くの日本の研究者はそうだと思う.

研究だけに没頭というのは,過ぎ去った過去だろう.しかし,社会性が要求される研究者の立場性において,【研究だけ】,というのも,一概に私のような,ポストモダンの渦中にある人間にとっては,「理想」とは言えない.

しかし,研究が,【超個人的】作業であることは変わらず,学問=自己修養は名言だとも思う.


閑話休題


今日は,職場の研究発表会だった.
司会を担当.地理学を専門とする,独自の方法論を持たない当方にとって,いや,もたないからこその役割を考えて司会をした.

ただ,ここの研究の評価が別として,フィールド・ワーカーが行う・出す結果は,説得力をもち,心地よい時間で,刺激を受けた.
批判を立場上行う立場の人も,自分のことは「棚に上げて」という前提があるが,楽しんでるのが分かる.

今の世で指摘される「役に立つ研究」は,その結果として,調味期限が早く切れ,すぐに「役にたたなくなる」.(ここでは,これ以上言及しない).

「役にたたない」研究を志向すべだとは言わないが,フィールドで問題をつむぎだし,設定する研究者の発表は【ブレ】さえも,現場の緊張感で修正するので,迫力がある.(机上の空論ではないということ).

よって,五感を駆使するフィールドから紡ぎ出す一次情報は,より大切なんだと再確認し,初心を思い出した.

今度こそ,よい一日だったが,書類書きで悶々とするのは暫くかんべんしてほしい.(したい).でも,次がある.

また,力も感じた.

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