持ち帰って仕事

母親の「血」を受け継いだのか,どうかわからないが,几帳面さは,A+型の私には身についているのだろう.(こんなことを書きなぐっている時点で,【科学的でない】との批判があると思うが,研究者だって人間だからしょうがない).

日記とメモをつける習慣(クセ)が身に付いている関係上,研究室を後にするきには,明日,職場ですることを野帳(フィールド・ノート)か,机上のメモに残す.


翌朝か,帰宅後,順次,集中して処理していこうと思うが,できなかったことは,ストレスの元凶になる.


院生時代の先生は,「ダラダラとした時間より,朝から集中すべし」とのご教示をいただき,その後一週間くらいは,院生時代でも午前中に大学に行くようになった.(継続しなかったが).


給料をもらうようになって,規則的な時間生活スタイルは確立された.結果として,上記の目的は達成されたが,いかんせん,自己の無能力で,合理性に欠けるが,仕事中は,会話を排除して,集中したいと行動している.




なにをする義務もなく,思索にふけることが許されない時代だが,そんななかにも,時間を創って,「何もしない時間」を作る努力をしたいと思う.


老婆心だが,学部学生時代のモラトリアムの時代は,何もしない時間に充てるべきだと感じている.つまり,情報が多すぎて,学生が忙しすぎる.その忙しさを求めているのは,大人である.


わたしは,たぶん,過去,なにもせず,悶々としていた.

ただ,その「悶々さ」に耐え切れず,バイクに海外に「逃亡」した.

それが,許される時期もあってもいいと,「14歳のバスジャック事件」のニュースを聞いて思った.


打算的でない生き方を学ぶのも,人からである.

少々,海外調査前はいつも疲れる.

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