共有できる規範と想い

大学院生時代に,山の地形を研究している先生の研究室にいた.先生は,根っからの,子ども(お子様)にあこがれの山の名前をつけるような先生で,先生を理解するために,新田次郎など,山岳小説を,博士課程の初期にむさぼり読んだ.

たまたま,そのときにネパール・ヒマラヤに行ってみないかとの話をいただいた.もちろん,即答で「行きます」と.

学部学生時代から,今西などの京都学派の著作を熟読し,「ヒマラヤ」という言葉に「憧憬」(本多勝一的表現)にとって(私),まずは,いってみたいという,【あこがれだった】.

・・よく,歩いた.その顛末のいったんは,『ヒマラヤの環境誌』(八坂書房)という優れた共同研究で,表現されている.


が,私にとっては,自己を形成する多感な時期に,「野放し状態」で,ヒマラヤを歩かせてもらた経験は,かしこく表現すると,「原体験」である.


いま,その想いがより鮮明になってきている.

見えなかった物(地理学的には,景観や,動き)が,アジアを歩いていて目にとまり,受け入れるようになった.


共有できる【仲間】と出会える幸せと,そうではない,「薄いヒト」との違いを,年代層を軸に考えた.


出逢いを呼び込むのも,自己の縁と実力,人徳だろうが,その意味が,「志の高い人々」と接することができ,分かり,消化できるようになったってきた.


要は,打算的でない生き方かもしれないし,結果として,いや必然だろうが,打算でない人に信頼と,「仲間」が集積する.


そう,つくづく感じた一日.寂しさも感じた.

「ウスサ」に関して.

恵まれているとも・・・・・・
(オチナシ)



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