思考パターンの理解

振り返ることなど,その余裕など,日常にないが,このブログもよく継続しているものだと,自己感心.

・・・こういった場を用意していただいた,某人の感謝.

・・・は,いいが.

この時期は,研究者(くどいようだが,ちゃんと研究しようと思っている人)は,研究資金申請のため超多忙な日々となる.
 ただ,こういった時期も,年間スケジュールで読め,自己のふがいないな(あくまで私)を省察するのによい時間である.

海外のフィールド対象とする研究者も,この時期は日本にいるので,連絡が取りやすい.(この意味は,搾取型海外研究者ではもちろんない.)

前提が長文となったが,この時期,このお上に出す書類ですは,「仲間」が必然的にも,結果としても必要だ.それを狭い範囲の,(なかよしこよしby修士課程の先生談)で,すませようとしている人や,そうでなく,外でよりよきものにして,共同研究をしようと思っている人の,「人物画像」が,結果として楽しい.つまり,最中は,いつまでもしんどい.

この期間でも,私にかかわっていただける方に見てもらったり,見たりの作業.

その過程で,「思考パターン」はよく理解できる.とくに,ドラフト段階で.論文は査読が入っていることや,査読論文になれた研究者の文章は,レトリックから読み込める,癖や思考が理解しづらい.

「人の文章を読むことは,結果として自己の文章の鍛練になる」という教えは,いづれの時期に師事した先生の共通した教えだった.

そのように感じながら,徹夜しつつも,意識しないで返信したり,受けることができる環境に,「ありがたい」,とつくづく思う.

本人(私)自身が,生意気だった(なので:継続),当然だと感じていたことが,共有されない事実もある.

研究は,自己の思い込みでは成立しない領域である.だが,超個人的な「行為」でもある.

この一見した矛盾は,ベッカーの著作に詳しい.(要は,緊張感ある打算なき議論の上に,研究は成立するということだ)



ここで,オチに展開しよう.

海外期間中に,野帳に書き留めたメモを読みかえると,読まねばならない本が羅列されている.その本を,勢いに任せて,ネットの古本(お金は,基本的にない)で検索して,注文し,読み始めると,本棚に・・・・,1994年購入と書いて,サインまである文庫本が,鎮座していた.

・・・あああ,またやってしまいました.

【重複購入】


100円の文庫本(古本価格)でしたが,本人にとっては,けっこうな精神的衝撃.

ただ,家人にはカード決済は秘密です.

また,午前様です.

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