プロ論とアマ論

いろいろ仕事が集中し煮詰まっているが,まあ,どうにかなると思い(願い)つつ,休日もPCに向かう.

表題だが,結局は,言説に「責任」がもてるかどうか,だと思う.

→意味不明なので,補足すれば,研究を自覚する人間同士の関係において,である.

だが,これは研究者集団という世界だけでなく,どの世界(業界)でも共通する【前提】だと,つくづく思う.

したがって,「フワフワした」または,80年代用語だが「軽い」,または「軽薄」な,さらには「最先端」だとか,「最新」のという,キャッチ・コピーは,・・・・・・・・である.


そう,宣伝して(されて),今は・・・という人や,無責任な・・・・・という人を経験してきた.

また,「プロ論」という言説が,美化されたり,拡大解釈されるが,本質的には,日本でもプロとは「自覚」と「責任」だろう.


そういった意味に於いて,「地に足のついた」という姿勢と,自己を自覚しつつ発言する姿勢や言説に共鳴なり,共感できる研究者(だけでなく,ヒトだが)に,【信頼】である.



【打算は,薄さを強調させる.】



そう,アラウンド,40(某,院生に指摘された(泣))に近くなると,経験主義で,そう感じている.



写真は,ペルーの海岸部,半乾燥地域に分布する遺跡で説明をしてもらった地域のアマチュア遺跡解説者の方.迫力(いや,押しの強さか?(笑))から愛を感じた.
すてきな,カットだ.


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