「日本」の考古学:Archaeology as Science?(2016年3月6日)

「日本」の考古学と科学や,研究者の矜持を,時々考える.

 

40歳世代として「なぜ,考古学は,「日本」考古学,という「 」のがつくのだろうか?,と機内で考えていた.

 

→「王道」と称する考古学は,発展段階論を唯一の(ように)ふるまって,「 」つきの考古学の唯一性を声高に主張し,その言説に酔ってきてきた(いまだに).

 

しかし,考えましょう,と.

 

「日本」考古学は,【ねつ造】を生みました.それは事実です.

 

研究レベルの業界の社会的な意味(埋蔵文化財の行政職員の研究者(らしく)としての振るまい?!)を精査し自覚的な振る舞いは必要だと最近感じます.あまりにも,研究や論文と主張される紀要?論文もどきが税金を使って精算され続けています.

 

「研究って,プロの成果です」.

 

なぜ,上記のように思い,書き留めた訳は,以下の怒りです.

 

結論

前職の琵琶湖博物館に考古学の「研究職」ポストは無くなると...その意味です.

また,不都合な関係のヒトと共著にするヒトとか....そういう情報を,ソトに出ると,聞こえてきます.

「矜持」の意味を考えています.