【沖津 進先生追悼エッセイ:Dedicated to Prof. Okitsu】(2016年5月4日)

今日(4月28日)は,千葉大で沖津さんの追悼シンポなど.追悼文集に寄せた駄文.

会はとても沖津さんを慕う人々で,よいものでした.それを少し体裁を直しました.

 

【千葉大学 沖津 進教授 追悼エッセイ】

こんな文章,こんなに早く書くとは思いませんでしたよ.沖津さん.

(ここから)

沖津さんと「まったり」時間

宮本 真二

岡山理科大学・生物地球学部

 沖津さんにはじめてお会いしたのは,都立大学の門村 浩先生の「系」に入れていただいて,M1の最初自己紹介発表をゼミでの時です.緊張したなか,「それって,ほんとに多雪な環境だった?」という質問で,たじろいだ記憶があります.たまたま用事で都立にこられていたことを後ほどおうかがいしました.先生と呼んだのはこの時だけですが,沖津さんは「記憶にない」とのことでした.
その後,水野一晴さん(京都大)のナミビア科研に入れていただいて,フィールドで標題の日々が始まりました.たくさん想い出が多すぎて書ききれないですが,①「グラフの●」,②「まったり時間」について記します.
①はすこし学術っぽいものですが,ナミビア隊で,沖津さんのご著書が話題になって,水野さんが「沖津さんのグラフ●でかいやん〜」とチャチャを入れ,ローテク達人沖津さんは「船からの観察で,しょうがねえじゃん.」.「それでいいんだって!」との受け流し.まだ,院生時代の怖い先生のイメージが残っていたので,この時間でイメージは一新されました.
沖津さんの意図は,「不適切なデータの頭数をさえそろえても意味はない」.「適切な場所で,的確なデータこそが必要だ」ということだと思います.その後,ナミビアでは,山縣耕太郎さん(上越教育大)と沖津さんとのAxab調査のお手伝いや,広域調査のモパネ調査でのGPS読み担当など,サポートさせていただき,「地を這うフィールド・ワーカー」を身近に感じることは,とても感謝しています.ここまでが,マジメなお話です.
つづいて②は,沖津さんは,「酒好き」ということです.それぞれの各人のフィールドの調査が終了し,合宿やキャンプ生活のなか沖津さん料理長で,的確な指示でした.料理はもちろんですが,夜の酔いがまわったときの「まったり」は,いろいろ耳学問をさせていただきました.ワインの「ウンチク」は私にとってとても大切な経験です.

一番の記憶にのこったことは,南アフリカへの道中の小さな宿で,「まったり」とした深夜に「「フィールド・ワーク教本」を絶対出版せなあかん」ということでした.自己の身を守る行為,外国人研究者との関係性などなど....まだ果たせていませんが,学生にフィールド・ワークを教示する立場になって,その意味を考えています.その後も,学生質問をメールで沖津さんにアドバイスをいただいたことが何度かありました.その時にいつもメールの最後の文面は,「機会があれば,岡山で痛飲しよう!」でした.

「沖津さん.岡山で痛飲できず残念です」.

でも,「ほんとうに,ありがとうございました」.