「ひこにゃん」の本場で集中講義

毎年恒例の,年始明け,「自然地理学」の大学集中講義.

毎年,感じるが,「まじめ」だなあ,というとだ.

それは,決して否定的な意味ではなく.私自身が,「若手」の感性を信頼して,期待していることの裏返しの表現だ.

ただし,「勉強」と「研究」.もっと展開すると,「学び」は,まったく違うことを,早く認識してほしい,と老婆心ながら,思う.

なぜなら,【大学での「学び」】は,義務教育(これは,親に責任があるということ)ではなく,自己責任に世界にあることだ.

したがって,時間の使い方も,自己責任という「ルール」のなかで,時間を紡ぎ出してほしいと思う.

私が,師匠(=先生)とよべる(よばしていただける)方は,みな,共通して若手に「あかるい」(先生)ばかりだった.

「つなぐ」ことを毎年感じ入る.【ひこにゃん】の集中講義だ.

追伸

いかんせん,【芸風】はまだまだだと,自己反省の期間でもある.

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でも,学生さんと接していて,【自分が学ばせて頂いている】という,「育児」の心境や【感謝の本心】もある.

ただし,まったくに近くくらい「大学のジュギョウを「ブッチ」していたことにやりがいをみいだしていた世代として,立場が逆転した「キモチ」は,いまでも「とまどい」なのである.

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つまり,講義の意味や,作法さえ,大学によりつかない世代として,困惑なのだ.

何していたかといわれれば,「海外にいっていた」としか,答えようがない,「自己史」なので,

「こっまっています」(笑).