近江は図書館が充実している.
そう感じ,その恩恵を【実感】している人は,それほど多くはないだろう.
それが,残念である.
京都で,学部学生時代を過ごしたが,上記のことは院生時代の東京でも【実感】せず,こちらに就職して『驚嘆』した.
その後.家人の司書講習のテキストや,日々の生活でこの『驚嘆』と【実感】は,確信に昇華した.本が身近にある日常はたいへん,貴重である.とくに,途上国と呼ばれ,政治的に不安定な場では,読みたい本が公的機関で保証されている空間が存在すること自体が,驚異でもある.
そういった意味において,
享受されている環境の意味や,価値についてゆっくり妄想する場と空間,さらには時間は大切にされてもいいのではないかと思う.
さらに,展開すると,それに携わっているいる人々は,その「幸福」を考える時でもあると思う.
安易な「サービス論」ではなく.
自戒も込めてである.
追伸
「本がなくなる日常は想像できますか」