フィールドでの情報は,情報過多で,消化不良に陥る.
その結果として,テンションが挙がる.
そして,そのテンションが落ち着いた「時」に,吐き出す行為(ロンブンの生産)が始まる.
・・・だいたい.フィールド・ワーカーの心境はこういったことではないだろうか.
逆に,自分の感性を維持させるために,フィールドにあえて出向くことも,必要なことだと思う.
某雑誌で,あるベンチャー企業の社長が以下のような発言をされていた.
「社内で完結する仕事のみでは,次の展開はない」「街に出ろ」と.
街を楽しむ習慣や,感性は田舎者の当方にとってはないが,街=フィールドに置き換えると,・・・・・である.
そう,「発見」がある.発見は次に必ず繋がる.
それを,どう評価するのかを,聞いてみたいキモチである.
とはいっても,次の一節に救われる.
「日本の良心は,ある著名なフィールドワーカー(鶴見良行)の文庫本だけをもって,アジアに出かける若者がいる」(正確ではない)という最近斜め読みした一節である.
(実は,私も京都時代に講演会にでかけた記憶がある)
追伸
写真は,インド北東部の夕刻に観察した「火入れ」である.
どういった意味や目的があるかは,フィールドにでないと分からない.また,その迫力も.