自分を説明する「困難」

いろいろ精力的にがんばっているグループから依頼を受けて、同時並行的な原稿その1をまとめている。

通常、研究者において評価の対象としてもっともポイントが高いのが、「査読(閲読)つきの学術誌」であることは、ひろく共有されている事実だろう。

しかし、今の「困難」は、高校生以上を対象とした雑誌である。「ムラ」と称される研究者集団間では、卑下の意味を込めて「雑文」と称される方のいるが、わたしはそのようにはとらえていない。

根本的には、研究者集団という「ブラックボックス」をオープンにするべきだ、という想いがあるが、研究者の思考プロセスなども公開したほうが、科学や学問を孤立化させないためにも、大事な仕事だととらえてること。さらに、私たちの世代、もしくは以下にはこのような意識は共有されているだろし、その力量も研究者にとっては大切な行為だ。

もちろん、研究者にとって論文として成果を公表することは、義務でもあり、大事だ。

しかし、いま格闘しているのは、自らが「おもしろがっている」研究を、一般の方々を対象として1)平易な文章で、かつ、2)短くまとめること。

年度末の慌ただしさを理由に、充分な推敲を行わず、編集委員会の力量に「たよって」「あまえて」脱稿し、頭の記憶のなかからデリートしたが、「うならされる」コメントが帰ってきたのだ。

つまり、「自分のことを、自分で説明すること」で、自己の思い込みと、異分野間で共有されていない情報を、どう噛みくだいて書くか、ということ。

しかし、「自分のことが一番よく分からない」

・・・・というジレンマ。

「ん・・・・。さすがだ」というコメントと同時に、自己を見つめ直す機会を与えていただいて「感謝」だが、他のたまった性格の違う原稿と同時並行は、なかなか、「しんどい」と、相変わらず行ったり来たりの悶々とした日々が続く。(オチ無し)

 

Everest Beer from Nepal

"Everest Beer" from Nepal. Photo by Shinji MIYAMOTO

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もう、数ヶ月前だが、都市の再開発によってうまれた「隙間」に形成されたネパール料理屋で飲んだネパールのビール。

約2年前の12月、インドからネパールに入り、底冷えするカトマンズ市内で、それも、ストライキでホテルの一室に幽閉され、原稿を書いているときに出会ったビールと日本で再会。

ただし、高いし、少ないし、日本で飲むとそれほどの感激がなく。。。店主のネパール人に「いちゃもん」を入れた。いわれなき批判で店主はこまった顔をしていたが、友だちになった。

ヘタなネパール語を話す変なニッポン人と思われているだろうが・・・