日記を書いていることは,2003年か2004年に出した本の中で公表し,私の素性を知らない人には,「想定外」との指摘を受け,そうでない長いつきあいの人には,「やっぱり」との感想をもらった.
携帯で文章をしたためるほど,進化していないが,日記には二通りある.
このブログはあくまでも公表されるもので,そうでないものも今はPCで書いている.その前は,大学ノートにしたためていた.つまり,この文章は大いなるフィクションということになる.
大学の学部の2年からだから相当の蓄積があるが,通常は,読むことはないし,稚拙な想いに振り返るほど年老いていないと思う.いや,高校の時から深夜,80年代のラジオを聞きつつ日記は書いていた.
しかし,仕事のなかで論文のメモを日記の中で書いて,まとめの段階でその記述を利用しようとするなかでは,思いのほか役だった経験はある.
しかし,今は,敢えて業績交換などの郵送物の送り状は「手書き」にしている.そうする方が,想いが伝達すると思うし,指がペンを持つ行為に適応できなくなる.
そんなことを,遠心分離器のコダマを聞きながら考えていた.