仕事がおさめられない状況だが,一本は脱稿し,年明けの仕事も始めないといけないと思いながらも...
前職の滋賀からの便りなどもあり,関西弁がなつかしい.
思いながらも,ブータンの友人や,南アジアのことを考えている.
仕事がおさめられない状況だが,一本は脱稿し,年明けの仕事も始めないといけないと思いながらも...
前職の滋賀からの便りなどもあり,関西弁がなつかしい.
思いながらも,ブータンの友人や,南アジアのことを考えている.
古いファイルを探す用事があり,古いPCを探っていると以下の様な,文章が出てきた.ラディカルな投書への返答を,決済をもらって公的に返信したもの.
自覚的であることが必要だが,説明できる学芸員としての「力量」が求められよう.
(ここから)
1.経過と目的
琵琶湖博物館フィールドレポーター(以下,FR)の2003(平成15)年度第1回調査として「庭を訪れた蝶の調査」と題した,参加型調査を行っている.その過程において,FR参加者から,調査用紙に下記のような「意見」が提示された.
この意見は,①琵琶湖博物館の資料収集方針に関係する課題であること.そして,②琵琶湖博物館の基本方針を再確認する意味を検討するうえでも,たいせつな指摘である.
したがって,資料という博物館活動においいて,もっとも重要な対象について一定の理解を形成する必要がある.
2.参加型調査参加者からの「意見」−Aさん(60代男性)の意見−
上記分布調査の調査用紙参考事項(ご自由に感想等ご記入下さい)欄から
標本を作ることには反対です.1匹の成虫(蝶)に対し,その下で何匹が成虫になれずに死んでいるか?知っているでしょう?
全ての野生生物が絶滅の危機にあるなか,やっと成虫になったものを人間の都合で殺すことには絶対反対です.絶滅を速めるもの.
以前ハ虫類の講習会(貴方博物館)を受講したことがあるが,実習と称して周辺でカエルを捕まえ,殆んど標本にするため殺していました.絶滅寸前のダルマガエルも殺してしまった.研究者が平気で指示している.(皮肉にも野生生物の保護について知識を得るための講習会であったが納得できない)この件について貴方の見解を回答下さい.
3.琵琶湖博物館の姿勢
a) 研究と標本
Aさんのご意見に対して,博物館としての見解を申し上げておきます.
生き物を野外で採集し,標本にする目的は「研究」するためです.つまり,本当に生き物を調べたり,知ろうと思えば思うほど,生き物を採集し標本を作成し,それをじっくりと調べないと分かりません.
標本は昆虫の名前を詳しく調べるために必要不可欠です.昆虫の名前は,ひと目見て区別できるような種を除いて,採集し標本にし,後でじっくりと調べなければ分かりません.昆虫類は種数が非常に多いからです.今回のFRの調査「庭を訪れた蝶の調査」の目的は,いつ,どこで,どのような蝶を見たのかを報告していただき,身の回りの自然を調べていただくことです.調査票に蝶の名前調べの手助けのために,身の回りで見かけそうな蝶を数種写真で添付しています.しかし,蝶は種数も多く写真にない蝶がいた時,種を同定できないので,標本を送っていただくようお願いをしたわけです.写真でも可能だとしましたが,本当に蝶の種を同定するためには写真では非常に困難で,標本が必要です.
名前を調べるためには標本が必要ですが,それだけでなく標本は形やDNAを比較することで,その標本となった生き物の進化の歴史の解明などの研究に利用することができます.博物館は,研究にとって必要不可欠な標本を,収集し何十年も何百年も保管し,研究や展示などに利用しています.
b) 自然環境の記録としての標本
標本はいつ,何が,どこにいたのかの重要な証拠となります.標本はそれ自体に,付随するデータが添付されています.そのデータによって,その生き物がいつどこにいたのかが分かります.標本はいつ,何が,どこにいたのかを残し,それを後でまた確認することのできる証拠なのです.そして,標本に基づいた根拠のある調査が,科学的にも意味のある調査になるのです.
標本を作り,残していくことは,自然環境を記録していくという大きな意味を持っています.人はこれまでに多くの生き物の生息環境を改変し,その結果として,数多くの生き物を絶滅に追いやってきました.このような人による自然環境の改変は,知らないうちに身近な場所で起こっています.人のさまざまな活動の結果からもたらされた改変は,「破壊」とまでに表されるまでになっています.しかしもし,どういう生き物が,どのような自然環境に,そしていつの時代にいたのかといった記録が残っていれば,その情報が,自然環境を保全するための材料となりえます.標本は環境保全のための重要な証拠となるのです.1つの標本が残っていることによって,その生き物が生息している環境を残すことができ,その環境に生息している何千匹という生き物の命を守ることができる可能性もあるのです.
今年の2月,大阪府高槻市の????さんが蝶類標本36,196点を琵琶湖博物館に寄贈されました.この標本の中には,現在,琵琶湖のまわりで少なくなった蝶の標本が含まれています.村山さんは「昔のチョウと比較するなどして,琵琶湖周辺の自然の変化の研究に役立ってもらえれば」と言われて寄贈いただきました.??さんのように長年蝶を研究してきた方だからこそ,その標本を残すことで,琵琶湖のまわりに生息する蝶の環境が将来残って欲しいという想いも強いのだと思います.
つまり博物館のような機関でも,あるいは個人の場合でも,標本を作り残すことは,絶滅の危機にある生き物や身近な生き物が,どこにいたのかを示す証拠を残すことです.そしてこのことが,それら生き物の生息環境を保全していくことにつながることをご理解いただきたいと思っています.
c) 標本を作ることと生き物の絶滅
私たちは生き物を採集し,標本にすることが,絶滅を速めることにはならないと考えています.昆虫はこの地球で最も繁栄していると言われているように,ものすごい繁殖力を持っています.庭に飛んでくる蝶の何匹かを標本にしたぐらいでは,その蝶の絶滅を速めることはないでしょう.昆虫はそんなに弱い生き物ではありません.むしろ,昆虫の絶滅を速める要因は,多くの場合その生き物の生息環境がなくなることであることをご理解いただきたいと思います.
もちろん人間が採集することによって減少する希少な生き物がいることは事実です.そのような生き物について採集し,標本にすることは,十分に注意を払わなければなりません.研究調査が目的の採集だとしても,その目的のために何個体が必要なのか,そして採集によってその個体群はどうなるのかを十分意識して標本にする必要があります.つまり,むやみやたらに採集するのではなく,目的にあわせた節度ある(必要なものだけ)採集を心がける必要があります.また博物館としては,希少種保護のために希少種の生息場所が外部に漏れないように十分注意しなければなりません.
研究者は研究のためとは言え,生き物を殺し標本にします.これは人の都合でやっていることです.そのため,何のために標本にするのか,そして少なくとも生き物を殺しているという自覚は持ち続け,生き物を殺すという行為に麻痺しないよう,常に自らの行為を振り返ることを忘れずにいたいと思っています.私たち人間は「害虫」として,ゴキブリホイホイをしかけたり,農薬をまくなどして,多くの昆虫を人の都合で殺しています.しかし,このことは,問題にされることはないようです.
d) は虫類講習会について
ご指摘されている爬虫類講習会について調べました.土木交通部監理課が主催の平成XX年度生物環境アドバイザー研修動物コースを指しているものと思われます.この研修の目的と講義内容は,「滋賀県生物環境アドバイザー(動物担当)」を養成するため,地域の生物環境を構成している両生・爬虫類および魚類の分類や生態,滋賀県における分布などの概論と調査法,種の重要度と評価法を学ぶことです.1日目の両生・爬虫類の研修は,平成XX年8月10日にあり,会場は博物館の会議室および津田江湾周辺の田園地帯で行われました.内容は,両生爬虫類の調査法,識別実習,野外実習,標本作製法です.講師は>>>>>>>>>>>,助手が>>>>>>>,??????>???さん(日本爬虫類両生類学会会員)でした.この研修について,講師の松井さんにお聞きしたところ,ダルマガエルを標本にしたのは,①何がどこにいるのかの証拠を標本として残すことの重要性を学んでいただく意味.そして,②標本作製法の中でDNA分析用にアルコールに保存する方法を学んでいただくためだと話しておられました.またやみくもに標本にしたわけではなく,標本にした残りのものは生きたまま放したと言われておられますので,私たちはこの件に関しては何ら問題があるとは考えておりません.もし,XXさんは,意見があるようでしたら直接お願いします,とおっしゃられていますので,どうしても私どもの意見に納得されないようでしたら,直接XXさんにご意見されてはいかがでしょうか.
標本を収集し,いつも使えるようにしておくことで, 名前が分かり,そのことで深く自然に親しむことができる人を育てることができます.そのような人の育成が,強いては「自然環境の保全」にとって,もっともたいせつな行動ではないでしょうか.このような目的や意味も,この講習会にはあったのではないでしょうか.
4.説明すること
これまでの琵琶湖博物館は,いわゆる「交流」を重視し,さまざまな博物館活動を行ってきました.しかし,上記いたしましたような「説明」が十分であったとはいえません.
今回いただきました意見は,ありがたくうけたまわり,博物館が「地域だれでも・どこでも博物館」を目指していくために,今後,博物館が標本を採集し,残すことについて,十分に説明し,誤解を招かないように注意していきたいと考えております.
今後とも,よろしくお願い申し上げます.
しないといけないことは多々あるが,受験勉強のように...
関西文化圏には,毎月のように来ているが,「関西弁」は,やはり【違和感なし】.
でも,人が多い.
学会の合間に,関西では伝統的に名をはせている自然史博物館を10年ぶりに訪れたが,博物館の業界を離れたからこそ感じ入る閉塞感を思い出した.
琵琶湖博物館について話した先月の広島の会話を思い出した.
以下の発表を行ったので,業績欄に追加した.
広島大学では,琵琶湖博物館時代にお世話になった方ともお会いした.
課題と到達点を認識した学会だったが,たいへん勉強になった.
七夕は,「文部科学省科学研究費補助金,基盤研究B(海外)「東アフリカにおける「早すぎる高齢化」とケアの多様性をめぐる学際的研究」(研究代表者:長崎大学環境科学部・准教授:増田 研),(研究分担者)」の第1回打ち合わせで,甲南女子大学に出張した.
甲南女子大学は,前職の2001年度,滋賀県立琵琶湖博物館企画展示「鯰(なまず)ー魚がむすぶ琵琶湖と田んぼ−」の調査で,1999年頃から本草書の調査で通って,写真撮影等をした思い出の地.その思い出は,「The 女子大」というカルチャーショックの記憶もさることながら,Kobe・神戸という地も鮮明な思い出も印象深いもので,約10年ぶりの甲南女子大学の訪問だった.
この企画展示の成果は,私にとっては大きく,編著二冊,論文二本,学会発表5本程度と,30代初等の異分野つながりを構築しようとした段階では,とても印象深い仕事だったし,琵琶湖博物館自体も若い博物館で,組織として勢いがあったことは,部外者で共有できる部分がある.
このプロジェクトで切磋琢磨した前畑政善さん(魚類生態学)も,牧野厚史さん(環境社会学)も,博物館を離れ,新天地の大学でご活躍(神戸学院大学と熊本大学)されており,私もがんばらないといけない,と感じ入った機会でもあった.
研究会は,代表者の増田研さんにとっても,私にとっても新鮮なもので,「自分の役割」について考える機会となった.これまで参加させていただいた異分野のプロジェクトでの経験を活かして,私自身が新鮮で楽しめる機会にしたいと思いながら,帰路についた.
増田さんつながりでいうと,共通項はいまわなき「東京都立大学」出身と言うことだけだが,研究科も違う(人文と理学部)が,タマタマな接点がめぐり巡ってという,関係.
そういった意味において,他もメンバーの方も同様で,「たまたま」つながりですが,普段の専門性(否定的な意味においては,ギルド社会)のなかでは,うまれてこないグループだとも感じ入った.
【写真】梅雨のおわりを感じさせるような快晴の神戸を眼下に.(実は,汗だくになって大学にたどり着いた).
いろいろな締め切りや、催促などで忙しいなかでも、出張などが続く。
(忙しいなら、出張するなということは、フィールド・ワークをするな同義!?である。)
このところの動きは、以下の3つ。
1)共同研究のあり方
2)岡山の考古学
3)琵琶湖とエコトーン研究
1)共同研究のあり方
昨日までは、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所における共同研究
「社会開発分野におけるフィールドワークの技術的融合を目指して」
(代表:長崎大学・増田 研)に、一年ぶりに参加した。
昨年は、海外調査との日程が合わず参加できなかったが、刺激的であった。
その前の週には、広島大学で開催されていた文化人類学会に人生で初めて参加して、
以下のようなことを感じ入った。
(仲間へ流した感想の一部。地理学者は一人だけ)
1)「実際的に、方法論が(ある程度)融合させられたモデルとなる地域 (フィールド)調査を構想・計画する段階」にある。 ・・ということです。机上において、異分野との研究者で、いまの現状に納得できないフィールド志向 の(話せる)研究者同士が、うだうだ議論することは必要ですが、実際の成果を 見せる段階になっていると思います。(若手(次世代)を意識した地域調査の一つのあり方の提示) 既存の領域との技術的データの精緻といった観点から、批判することはあまり融合を志向する立場からは、
生産的ではないように感じます。それよりも、データの加工段階で、異分野の視点から、解釈の多様さを議論する ほうが、生産的だと考えます。
2)「もっとも共同研究を苦手とする文化人類学(宮本、2011)は、「問い」(問題意識)を他の領域でも共有で
きるものとして、地域(フィールド)調査を企画・立案する段階」です。 そのなかで、保健医療や公衆衛生を「大きな問い」として、融合させた地域調査は、この共同研究の「落としどころ」かもしれませんね。
2)岡山の考古学
岡山の考古学といえば、「考古学研究会」?。・・・・思うところは多々あるが、入会した。
フィールドを開拓しないといけないが、日本考古学(そもそも、「日本」と冠する意味はあるのかと??大いに疑問)とは違う視点での研究を展開したい。
3)琵琶湖とエコトーン研究
共同研究を持ちかけられているので、前の職場(琵琶湖博物館)や、県内の大学関係者のネットワークを活かした調整も再開する予定。
・・・ということを、琵琶湖の上(下の写真)から考えていた。
以下の商業誌・報告書?が公表されたので,追加した.
ネットにおいても公表予定らしい.
宮本真二(2012)「〈琵琶湖の地形と歴史〉地形」.琵琶湖ハンドブック編集委員会編「琵琶湖ハンドブック(改訂版)」,滋賀県環境政策課,106−107.
しかし,
・奥付は,3月末で今頃公表,それも先の所属・肩書きで・・・,
・・・昨年度の仕事の処理がまた継続・・・・・・(^u^;) ハアというキモチ.
・・・あれほど,確認したのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・この経緯も公表しようかと・・・・・・
本日付で,標記の職場を退職し,明日からは岡山県の大学に勤務します.
10年以上勤務しましたので,いろいろ感じ入ることはあります.
いま思い浮かぶことは以下です.
1)琵琶湖博物館の内定通知をもらったとき,深夜になぜか涙があふれたこと.
(大学院生時代は,経済的にも精神的にもしんどかったことが多々)
2)近江は,やはり「水辺」(=エコトーン)であること.
(環境史研究)
3)近江は,やはり,「深い」こと.
(歴史性)
しかし,私の今にとっては,感慨深いというよりも,次のステージ(展開)が始まったという認識.その理由は,
1)研究という仕事の面では,今後も近江の環境史研究の面々との仕事は継続するし,フィールド調査や大学の非常勤の
仕事,大学人として琵琶湖博物館にかかわることも継続,近江で知り合ったプロの仕事人とも仕事は継続.
2)研究者として職場を移す(せる)ことも評価基準(=移せるような研究業績を残す=市場価値の維持)という自覚.
・・であることは,先生たちの教えであったからで,「第二幕」という期待感が大きい.
明日からは、博物館人から大学人です.
気負いすぎることなく,「フィールド・ワーカー」として,地道(=地を這うフィールド・ワーク)に地理学からの地域研究を蓄積
してゆきたい,と思います.
最後に,
琵琶湖博物館は,ほんとうに,刺激的な博物館です.
ミャンマーに出かける前のバタバタの状態時に掲載されて記事(校正前原稿)です.
11月末にバングラデシュ南部のハティア島で調査を行っている時の夕刻,ゲストハウスの屋外で,蚊と格闘しながら日本に送った原稿で,思い出深いものです.(通信速度との格闘も)
※またこれまでの一連の連載は,Webでも公開されるようです(イラストがなかなかよいです).
(ここから)
これまで海外調査の期間中、何度も博物館を訪れました。そのなかで、アフリカの国々の場合、1960年代以降に多くの国家が独立を成し遂げています。しかし、その過程で紛争を繰り返してきた国々が多く、「国家」を説明する場は、博物館です。
いまこの原稿をバングラデシュという国で書いています。この国も、1971年に独立した若い国家で、国立博物館で独立戦争の実態を詳しく説明し、国家の存在意義を強調しています。
ここまで述べてきまして、考えたいのが博物館の役割です。これまで私が訪れてきた途上国の国々では、「国家の説明」や、「国の存在意義」を表現し、活動する拠点として博物館が大きな影響を持っています。一方、国際学会の合間に訪れた米国の博物館は、市民の自然保護や環境保全運動の拠点になっており、多くの市民はボランティアで活動し、その拠点になっています。
この違いは明確です。一方が強く国や行政の庇護を受けながらも表現や活動が制限され、他方は国の支援をうけず、市民や企業の寄付のもとに運営し、その活動に制限はありません。
バングラデシュの友人の学芸員と議論していて、バングラデシュでは国の政治的な意図や政策によって、展示や活動が制限されるが、日本では?と質問されました。もちろん、「ない」と中立を意識していても、博物館の運営費の大半を税金に依存している体制では、大きな影響を受けているでしょう。
博物館活動では、活動の「自由」が保障されなければ魅力的な活動はできないでしょう。博物館が「自由」であるために、今、その運営システムさえも再検討する時期が琵琶湖博物館も含めて、日本の博物館全体に到来していると強く感じています。
そのためには、どういった博物館像を利用者が描けるかが、今後の博物館の命運を握っているといっても過言ではありません。
「博物館は、赤字でも、なくてはならない存在かどうか」を、今、日常生活の中で考えていただきたいと思います。
(主任学芸員)
2012年1月12日
みなさまへ
環境史研究会
宮本真二
このたび,標記研究会を下記の内容にて開催しますので,お気軽にご参加ください.なお準備の都合上,ご参加いただける方は,下記の連絡先まで可能な限り,E-mailでお知らせいただきますようお願いいたします.
それでは,よろしくお願いいたします.
記
1.日時:2012年1月29日(日)
13時30分 〜 17時00分
2.場所:滋賀県立琵琶湖博物館 1F会議室(正面入り口入って左すぐ)
住所:〒525-0001滋賀県草津市下物(おろしも)町1091番地
経路等の詳細は琵琶湖博ホームページ(Web)でご確認ください:http://www.lbm.go.jp
JR東海道(琵琶湖線)線「草津駅」西口からバスで約25分(420円).
※ご注意:博物館への公共交通(バス)は以前より大幅に本数が減少しています.上記Webなどでご確認ください.
3.報告者と演題:
古関 大樹さん(京都女子大学・非:地理学)
「日野谷の開発と戦国大名蒲生氏
—地籍図による景観・水利の復原調査から—」(仮題)
橋本 素子さん(京都光華女子大学・非:歴史学)
「日本中世における茶の生産について」(仮題)
4.その他
終了後,草津駅近辺【懇親会】を行いますので,こちらもお気軽にご参加ください.
ご連絡先:
宮本 真二(みやもと しんじ)
〒525-0001 草津市下物(おろしも)町1091番地
滋賀県立琵琶湖博物館 研究部 環境史研究領域(地学研究室)
Tel: 077-568-4811(代) Fax: 077-568-4850(代)
E-mail: miyamoto@lbm.go.jp