とぎれなき日常

・・と書けば、「貧乏暇なし」。ということ。

ここ数カ月、いつも締め切りに追われて、格闘する日々。

年度末から年度初めにかけて、1)職場の各種事務処理、2)科研などの各種事務処理、3)編著本の編集や査読、事務連絡、4)新聞記事原稿、5)分担本の執筆・校正、6)一般向け短文原稿執筆修正、7)3)の自己原稿二本で、締め切りのない原稿を創ろうと意気込んでいたら、次の原稿依頼。

で、ちょっと考えたら、ここ数年の動き。一昨年は、国内学会で6件ほど発表やコーディネート)、昨年は海外の学会やワークショップで8回くらい発表で、落ち着く暇がなく、今年は発表より書くことを主体にしようと思っていたら、案の定そうなったが、今度は「デッドライン」の輪廻。

・・・とおもったら、昨年の海外調査時には、3500mをこえるヒマラヤのテントのなかで校正していたり、ブラマプトラ川の船上から原稿の校正を送っていたことも思い出した。

国内の研究会や研究の打合せで、国内出張にでかけると弁当箱(ノートPC)が当たり前になり、またネット端末も持参するようになり、どこでも仕事ができる。逆にいうと原稿を書くは、待ち時間などの喫茶店、本を読んだり、原稿の構成を考えるのは、食事時や移動中の電車やバスのなかが、集中できて、よい。

今日は、休日だが、自宅で原稿を書くことはもう当たり前になったし、先週末の古都への出張も、待ち時間にある程度の難しい問題について、原稿の作業はできた。

こういった行為は私に限ったことではない。共同研究者も海外調査時のトランジットのネットカフェで徹夜で一本の原稿を仕上げていることはママあるし、「甘えたこと抜かしたらアカン」と、自分自身、こころしているが、データをじっくりこねくりまわした論文を書くことに非常に飢えている、という感じがする。

家人には、家に仕事持ち帰って不機嫌な顔になるな!と、いつも指摘されるが、私自身最近は、このようにオンとオフを使い分ける行為そのものが自己へのストレスになると「開き直って」、「追い出し」をくらわない程度に家庭の作業もすすめる。

原稿を書くことはもちろん「自分に向き合う行為」で、精神的に「しんどい」行為だが、書きたい、いや、表現したいことがあり、その立場にいることを考えたら、甘えたことをプロとして慎みたいと肝に銘じている(たい)。

職業研究者として作品として原稿を生み出すことは、義務でもあり、喜びでもある。なにより、書くことによって、次の展開をさまざまに思考する。

・・とブログに書き留めることも、私にとっては一連の大事な行為。

Himalayan Book Deposits at Itanagal, Arunachal Pladesh, INDIA. Photo by Dr. Naoji OKUYAMA・

写真は、高野山大学・奥山直司さん(密教の専門家)ブログ「コンタクト・ゾーン亜細亜」http://okuyama08.blog120.fc2.com/

より転載。

もう2年前以上の奥山さんらとインド北東部、アルナーチャル・プラデシュ州の調査の一コマ。

 

年度あけ

昨日は、一つの原稿を脱稿し、ほかのいろいろな年度末仕事をおえ、疲弊しつつ、帰宅。

自宅で、年度末自己お祝いで、アルコール充電のしすぎで、たまった本を深夜読んでいたら、寝不足で。。。・・・

 

今日は、年度初めで、全て事務処理は年度末で終わったと思っていたら、年度を繰り越して、再度、到来などなど・・・・。

などの合間に、査読や、本の原稿確認などなど。。。。。

・・・というように、年度を無事のりこえることができたことに「チアーズ」と、いきたいが、たまった原稿や、宿題は・・・・・・。。。。・・・・

ただ、来週研究発表をお願いしている方の、発表レジュメが届き、それは、さすがに、一流のプロの研究者のもので、たいへん、感動し、刺激を受けた。

【閑話休題】

写真は、今年2月のインド北東部、アルナーチャール・プラデーシュ州、ボンディラでの宿の一角。

私は、エスプレッソが大好きで、写真のようなコーヒーをドリップで朝飲むのが大好き。夕方だと、エスプレッソをチビチビしながら、研究に関係のない文庫本を読むのが、趣味でもある。

ちょうど、ガラスコップがなく、白いプラスチックの水入れ(インド式の入浴方法の時に使用するやつ)に水道の水をいれ、携帯電熱器でわかして、ドリップし、シエラカップで飲む。

「うまい!」のです。

ささやかなフィールドでの楽しみです。

追記: 衛生上・・・という人がいるかもしれないが、もう、私は気にならない(しない)。