博物館と大学:学芸員と大学教員(2014年1月3日)

 大学に移って,2年目になり,博物館との関係などについて,聞かれることが増えてきたので,以下にまとめる.

 1.どうしたら博物館の学芸員になれますか?

・博物館勤務時代は,どうしたら学芸員になれるのですか?,という問いであったが,以下のように返答していた.

・論文を書いて,研究業績を蓄積すること.

→研究職でない博物館はこのような返答ではないと思うが,研究することが認知されている博物館では【真実】である.

→私自身積極的に学芸員を目指したのではなく,結果としての職業選択であった.

→しかし,考古少年で,学芸員という職種の存在は,小学校から知っていた.

 

2.どうして博物館から大学に移ったのですか?

・研究者として職場を移ることは,プロの世界の常識.

→とむかしから思っていたし,恩師,先輩,後輩もそうであった.

→博物館から移動しないという選択肢はなかった.研究の進展具合や,業績の蓄積具合によって職場を移すことは本人のみならず,元の職場にも寄与できる.

・移れない人には,それなり理由がある.

→事実なので,誤解も何もないが,サッカーや野球という,プロの世界と同じ.

→日本のワークスタイルの変化という環境変化ももちろんある.

・多様な条件で,恵まれていること.

→少なくとも,先の職場では,大学から博物館へと職場を移した人はいない,という事実がこれを端的に表現しているだろう.

・博物館であろうが,大学であろうが研究の「らしさ」の違いはあるが,研究することは同じである.

→したがって,研究を博物館で思考する場合は,その職員の業績評価がより積極的になされることが,経験として今の博物館に強く求められ,それは専門性を高める行為にでもある.

 

3.今後,学芸員(博物館)を目指す人へ

・研究ができること

→研究条件が博物館が悪いとは,労働条件云々の議論は,研究ができること(業績の蓄積)の上に成立する議論であり,継続的な研究論文が蓄積できる能力が第一条件である.

→研究は「超個人的行為」(by 川那部浩哉(元 琵琶湖博物館・館長)であるが,他の多種多様な仕事と同じである.

→「超個人的行為」であることは,精神的な自立が必要である.

・流動的であること

→研究はエキサイティングな世界で,「個人」の評価が問われる世界である.その個人の評価を組織として構築する必要がある.公的機関にありがちな,方便がまかり通っている場面が多いように?というのは,言い過ぎではないと思う.

・趣味と博物館

→博物館は研究が必要である.

→研究は趣味ではない.仕事である.仕事である以上結果が求められることは,他の仕事と同じである.

・学芸員の仕事

→上記した研究以外の仕事は「雑芸員」と称されるように多様だと反論されるが,両者を経験した私にとって,大学も多様であり,私には方便にしか聞こえない.プロである世界の緊張感がよい成果をい生むのは,職業研究者という業種に限定的な議論ではない.