環境考古学の「周辺」(2013年6月15日)

研究者を志すようになって,遺跡の現場に頻繁に通うようになったのは大学の二回生になった頃だった.その時の遺跡現場の発掘担当者は,地理学プロパーの方で,考古学の現場で地理らしい研究を展開する意味をよくご教示いただいた.

その頃,盛んに出てきた言葉は,「マージナル=marginal=周辺や境界」という言説.

当時の考古学(日本)において「環境」を対象化することは,「環境決定論」の一言で,怪訝な顔をされたり,感情論的な批判(感情なので批判に相当しない)にさらされたりもした.

 

それから,約10年経過した.

 

考古学(日本という限定付き)が主催する,研究課題,主題などにおいて,環境と関するものがいかに多いことか!(正直,変わり身の早さに唖然する場面の多い)

環境考古学が,地理学の研究史の中で位置づけることが,正確な記述であることは論を待たない(宮本,2013).考古学(あくまで日本)にとって,地理学は「周辺」であったが,周辺から登壇した領域(環境考古学;安田(1980))の魅力を開拓し続けたい.

 

文献

安田喜憲(1980)『環境考古学事始:日本列島2万年』,NHKブックス,270p.

宮本真二(2013)地理学と環境考古学.動物考古学,30,435-442.

師匠・恩師からのメールと,「志(こころざし)」(3月26日)

学部・学生時代に,教示いただいた先生には,墓に持って行きたい本は何か!(感銘を受けた一冊)ということを,酒席で

教示された.

そのなかでも,私にとって,とっておき一冊は,

 

安田 喜憲(1980)『環境考古学事始め−日本列島二万年—』,日本放送出版協会. 

 

・・・である.

 

その理由.

 

1)救われた.

2)いまの職業選択に決定的な一冊となった.

3)出逢い(師匠)の「きっかけ」となった.

 

今でも読み込む時期はあり,私の手元の本自体は相当に「疲弊」している.

 

・・・・・・

 

数日前の,「涙雨」の最終講義は,上記の先生の一日だった.

 

・・・いろいろなことを学ばせていただいた.

私の若さと無知ゆえ,「厳しい」さの言説の深意を読み取れず,やけ酒に逃げた時もあったが(苦笑),先生の学問に対する真摯で,自己に向き合う厳しさ,もっとも,学問にたいする情熱は,「襟を正さないといけない」と最終講義を受講し,感じた.

 

先生が40代半ばで私が20代前半の時に,お会いすることができ,私にとっての先生のイメージは「厳しいママ」ですが,以下のようなメールをいただいた.

 

「ありがたい」,と本厄を迎える年になったも感謝している.

 

要は,「志」の議論になるが,未だに「厳しく」接していただける幾人かの先生をもつ私は,幸せだとつくづく感じ入っている.

(トシだろうか・・・・・).

 

(ママ)

元気でがんばっていい仕事けいぞくしてください。