「学芸員」論:Curator?, Research Scientist? or Researcher ?:(2017年7月22日)

すごく,アクセス件数と問い合わせがある内容で,何度も返答します.

(ここから)

2017 年度版(アクセス解析したら,なかなかおもしろいですが,まあまあ)

*「文化学芸員」論や兼務職歴からアクセス件数が増加していますが,評価の部分を補遺しました.今後も継続します.

 

(ここから)

私は5年前まで,滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員でした.標記の問いには,大学に職を移しても継続的に回答しないといけないので,ブラッシュ・アップ継続回答とします.

 

岡山理科大学 生物地球学部 では,学部独自で学芸員の資格が認定される「野外博物館実習」も始まりました.

 

*以下,Q&A方式の回答ですが,定式はないので,個別の回答・相談には応じませんが,反論できる人はいないと思います.

 

1.どうしたら博物館の学芸員になれますか?

・琵琶湖博物館勤務時代は,「どうしたら学芸員になれるのですか?」という問いであったが,以下のように返答していた.

→「論文を書いて,研究業績を蓄積すること」に尽きる.

→研究職でない博物館はこのような返答ではないと思うが,研究することが認知されている博物館では【真実】である.

→この力は,どの職種でも活かせる.

→この力があるという意味を理解する.

→琵琶湖博物館は,学芸員=Curatorではなく,Research Scientistとしたことに,志がある.その意味は深い.

→私自身積極的に学芸員を目指したのではなく,結果としての職業選択であった.

→しかし,私は考古少年で,学芸員という職種の存在は,小学校から知っていた.

 

2.どうして博物館から大学に移ったのですか?

・研究者として職場を移ることは,プロの世界の常識.

→このように学生時代から思っていたし,恩師,先輩,後輩ら,さらには博物館時代の一緒に仕事をした同僚の一部の「生き方」もそうであった.

→博物館から移動しないという選択肢はなかった.研究の進展具合や,業績の蓄積具合によって職場を移すことは本人のみならず,元の職場にも寄与できる.

・移れない人には,それなり理由がある.

→私の経験をもとにした事実なので,誤解も何もないが,サッカーや野球という,プロの世界と同じ.

→日本のワークスタイルの変化という環境変化ももちろんある.

・多様な条件で,恵まれていること.

→少なくとも,先の職場(琵琶湖博物館)では,大学職員から博物館へと職場を移した人は日本の博物館にはいない,という事実が日本の博物館の実態を端的に表現している.

→私が15年間在籍した間に大学職員へ移籍した学芸員は約10人であり,日本の博物館としては異例の研究を重視し,流動性の高い博物館であったことが理解できよう(上述).逆の立場性を主張した人も個人的な経験でいたが,その実態は研究職でない立場であったことが説明されていない.

・博物館であろうが,大学であろうが研究の「らしさ」の違いはあるが,研究することは職種・職場を変えても同じである.

→したがって,研究を博物館で志向する場合,職員の業績評価がより積極的になされることが,今の博物館に強く求められ,それは結果として,専門性を高める行為につながる.

→このことは,大学という職業研究者集団の組織でも同じである.

→できないヒトは・・・です.が,(ネット時代なので科研費データベース.Web名前検索で研究業績は通知票のように明確です.なかには,本人はWikipediaに書き込んだヒトも!)

 

3.今後,学芸員(博物館)を目指す人へ

・研究力

→研究条件が博物館が悪いとか,労働条件云々の議論は,研究ができること(業績の蓄積)の上に成立する議論であり,継続的な研究論文が蓄積できる能力が前提である.

→研究は「超個人的行為」(by 川那部 浩哉(元 琵琶湖博物館・館長;現 琵琶湖博物館 名誉学芸員)であるが,他の多種多様な仕事と同じである.

→「超個人的行為」であることは,職業研究者としての精神的な自立が必要である.

・流動的であること

→研究はエキサイティングな世界で,「個人」の評価が問われる世界である.その個人の評価を組織として構築する必要がある.公的機関にありがちな,方便(言い訳?!)がまかり通っている場面が多いように?,というのは,言い過ぎ(過言)ではない!?.

→このような公務員としての学芸員というスタイルは,今後大きく変化することが容易に想像され,より専門性が問われる時代になることは確実である.

・趣味と博物館

→博物館は研究が必要である.

→研究は趣味ではない.仕事である.仕事である以上結果が求められることは,他の仕事と同じである.大学も同じ.

・学芸員の仕事

→上記した研究以外の仕事は「雑芸員」と称されるように多様だと反論されるが,両者を経験した私にとって,大学も多様であり,私には方便にしか聞こえない.プロである世界の緊張感がよい成果をい生むことは,職業研究者という業種に限定的な議論ではなく,「仕事」(=労働論)で説明できる.

 

4.今後の学芸員

・評価

→やはり,公務員制度として位置づけられていた学芸員は,評価外にあった.それは,ソトからの「個人」評価の対象でなかった,という意味においてである.

→組織としての評価が制度化されつつあるなか,次は,「個人」である.

 

 

5.文献

上記に関わるこれまでの議論は,

宮本真二(1997)博物館における自然地理学の役割.立命館地理学,9,77-81.

宮本真二(2010)博物館と地理学.地理55(10),12−19.

宮本真二(2011)インタビュー博物館の地理学者10 滋賀県立琵琶湖博物館 宮本真二さん.地理,56(9),古今書院:90-91.

にもある.

岡山理科大学 生物地球学部 入試:examination(2016年10月1日)

私立大学は,出先の仕事ですが,標題でと,いろいろネットでヒットしますよね・・・その答えは,ないです.

 

がんばってください.

 

たぶん,入学されて,教育システムで不満足であると,いうことは絶対ないとおもいます.選択肢も,フォローもそれ相応に.

 

がんばってください.

 

 

 

 

大学院の選択と修士&博士 の選択:Master & Doctor Teacher(2016月5月19日)

大学院に「入院」される時には,想像外でしょうが,指導教官の所属先(本務)が,修士&博士教員かは,指導を受ける上で,大きな違いです.

 

その意味と評価を理解の上での進学をオススメいたします.

 

進路選択の時期。

【追悼(一周忌)】:河角龍典(To Dr. Tatsunori KAWASUMI):環境考古学:Environmental Archaeology(2015年4月29日)

Environmental Archaeology

河角龍典(左)&宮本真二(右)(写真:小野映介 撮影(新潟大学)).(2000年頃.滋賀県,守山市,下之郷遺跡)Environmental Archaeology (Photo by Dr. Esuke ONO, Niigata Univ. )

もう一年.でも,まだ認められない一年.

河角 龍典さん(かわすみ たつのり.享年 43才)

「河角」と一年後輩なので,20年以上呼び捨てしていた関係は変化なし.

研究者を志して約20年.

安田喜憲(1980)『環境考古学事始ー日本列島二万年ー』,NHKブックス(日本放送出版協会).

 ・・に出会って,研究者を志して,今に至った.あこがれの先生でもあり,師匠である.

 振り返るほどの過去はないが,この一冊. この著者を師匠にもち,関係していただいたさまざまな方々の影響で,研究者として生き残ってきた. しかし,地理学者との共同研究は行ったことがない.つまり,周辺(あくまで地理学に)の隣接科学の方々の共同研究でいままで生きてきた実感がある.

 さらに強調して指摘すれば,「日本」考古学は環境を対象化してこなかった(できなかった)事実が指摘できる.

 そう言った意味で,マージナルなサイエンスを,地理学者がほとんどいない日本の博物館にも所属したし,今の職場もマージナルなフィールド・サイエンスを志向する場でもある.

 【河角の話に戻ろう】

 冒頭の,20年前,写真に写った研究者(左.具体的には,一年下の後輩.筆者は右)と遺跡巡りや調査などで,いろいろ遊んだが,その彼は最近亡くなった.

 その彼と冒頭の著作を共有し,夢を語り合った.

 冒頭の「環境考古学」である. 日本考古学の,研究者はいまでこそ,環境を我が物顔で語るが,日本の「環境考古学」を,上記の地理学者が提示した事実を,研究史上で位置付け,第二世代の私達が引き継いでいなないといけない現実を目の当たりした.

 追伸

 河角とは,彼が19才の大学の入学の時から知り合って,20年以上.上記と重なる.いろいろな齟齬はあったが,酌み交わした杯は,私の人生で,君が多分いちばん多い.説明できなことは沢山あるが,..というのが言い訳で.....

「旅立ち」の季節(Graduation Thesis and Re: Start,2016年2月25日)

岡山理科大学 生物地球学部 の一期生を送り出す季節になりました.

・・と同時に,小生も大学人,4年が経過したということになります.(まだ岡山の街は新鮮ですが.)

 

世間で認識されているほど,いまの大学がヒマではありませんが,4回生の顔をみると感慨深いものがあります.

 

トシか?

 

この学部は,類例が日本ではありません.順調に成長,もしくは育っているという実感が,おべんちゃらではなく,発言を選んでいるわけではありませんが,教員の私にもあります.

 

やはり,「フィールド」はヒトを育てるのだと,実感しています.

 

それは,自然であったり,宇宙であったり,ヒトであったり・・・

 

伝統が蓄積することを,教員ができることは,見守ることだけなのか,とも感じています.そういうときに,師匠のいろいろなコトバが,思い浮かびます・・・(トシ?!)

 

追伸

「旅立ち」松山千春は,世代を感じますね.
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Curator, Research Scientsit or Professor?:博物館学芸員と大学教員(2015年8月22日)

*更新時告知時にアクセス数が多く,いつも聞かれるので...誤植更新に..

 

 ※学生さん,もしくは,これから博物館学芸員(美術館は領域外)を目指す方は,経験に裏づけされた「事実」ですので,レトリック上や認識のうえでの反論は受けつけますが,以下は,事実ですので,ご参考にしてください.

 

1.どうしたら博物館の学芸員になれますか?

・琵琶湖博物館勤務時代は,「どうしたら学芸員になれるのですか?」,という問いであったが,以下のように返答していた.

→「論文を書いて,研究業績を蓄積すること」に尽きる.

→研究職でない博物館はこのような返答ではないと思うが,研究することが認知されている博物館では【真実】である.

→この力は,どの職種でも活かせる.

→琵琶湖博物館は,学芸員=Curatorではなく,Research Scientistとしたことに,志がある.その意味は深い.

→私自身積極的に学芸員を目指したのではなく,研究活動を行った結果としての職業選択であった.

→しかし,考古少年で,学芸員という職種の存在は,小学校から知っていた.

 

2.どうして博物館から大学に移ったのですか?

・研究者として職場を移ることは,プロの世界の常識.

→このように学生時代から思っていたし,恩師,先輩,後輩の「生き方」もそうであった.

→博物館から移動しないという選択肢はなかった.研究の進展具合や,業績の蓄積具合によって職場を移すことは本人のみならず,元の職場にも寄与できる.

・移れない人には,それなり理由がある.

→私の経験をもとにした事実なので,誤解も何もないが,サッカーや野球という,プロの世界と同じ.

→日本のワーク・スタイルの変化という環境変化ももちろんある.

・多様な条件で,恵まれていること.

→少なくとも先の職場では,大学から博物館へと職場を移した人はいない,という事実がこれを端的に表現しているだろう.

→私が15年間在籍した間に大学に移籍した学芸員は約10人なので,日本に博物館としては異例の研究を重視した博物館であったことが理解できよう.

・博物館であろうが,大学であろうが,研究の「らしさ」(様相)の違いはあるが,研究することは職種・職場を変えても同じである.

→したがって,研究を博物館で思考する場合は,その職員の業績評価がより積極的になされることが,経験として今の博物館に強く求められ,それは専門性を高める行為でもある.

→このことは,大学という職業研究者集団の組織でも同じである.

 

3.今後,学芸員(博物館)を目指す人へ

・研究力

→研究条件が博物館が悪いとか,労働条件云々の議論は,研究ができること(業績の蓄積)の上に成立する議論であり,継続的な研究論文が蓄積できる能力が前提である.

→研究は「超個人的行為」(by 川那部浩哉(元 琵琶湖博物館・館長;琵琶湖博物館 名誉学芸員)であるが,他の多種多様な仕事と同じである.

→「超個人的行為」であることは,職業研究者としての精神的な自立が必要である.

・流動的であること

→研究はエキサイティングな世界で,「個人」の評価が問われる世界である.その個人の評価を組織として構築する必要がある.公的機関にありがちな,方便がまかり通っている場面が多いように?というのは,言い過ぎではない.

→このような,公務員としての学芸員というスタイルは,今後大きく変化することが容易に想像され,より専門性と結果が問われる時代になる.

・趣味と博物館

→博物館は研究が必要である.

→研究は趣味ではない.仕事である.仕事である以上結果が求められることは,他の仕事と同じである.大学も同じ.

・学芸員の仕事

→上記した研究以外の仕事は「雑芸員」と称されるように多様だと反論されるが,両者を経験した私にとって,大学も多様であり,今の私には方便にしか聞こえない.プロである世界の緊張感がよい成果をい生むことは,職業研究者という業種に限定的な議論ではないだろう.

 

4.そのほか

上記に関わるこれまでの議論は,

宮本真二(1997)博物館における自然地理学の役割.立命館地理学,9,77-81.

宮本真二(2010)博物館と地理学.地理55(10),12−19.

宮本真二(2011)インタビュー博物館の地理学者10 滋賀県立琵琶湖博物館 宮本真二さん.地理,56(9),古今書院:90-91.

にもある.

Geogr. and Archaeology: 地理・考古学の旅(2015年6月22日)

フィールド・ワークを重視した本学科では,金曜から週末は毎週のように多様な分野で実習が繰り返されます.

・・ということで,今年は地理の実習らしく,受講者のなかに鉄道好きの学生さんの提案で,団体割引を駆使した実習を行いました.

しかし,腰が痛くなった一日でした.

 

「地理・考古学実習」でローカル線の旅  2015年06月20日

3回生の実習科目「地理・考古学実習」(地理2回目,人文地理編:宮本先生担当)で,ローカル線に乗って,「備前」,「美作」,「播磨」を1日で旅しました.途中の景観からは,中山間地域や,津山の中心商店街,城下町,佐用町の災害痕跡などを観察したり,フィールドへのアプローチの仕方を学びました.
何に注目するのかも,感性や知識が問われます。
「乗り鉄?!」も満足?な,10時間の鉄道の旅。
長大なレポートが待っています。

【写真 左】1:200,000「地勢図」から旅程を把握します。
【写真 中】1両編成の姫新線は,実習生約20人で「貸し切り」
【写真 右】佐用町では,209年の洪水災害の痕跡を確認しました。

fiscal year 2015: 新年度開始(2015年4月13日)

 

「あっ!」という間に,春休みは終了し,新入生を迎える季節なり,講義も開始された.

私自身にとっては,4年目の瀬戸内生活がだ,いまだ新鮮で,いろいろなアイデアが浮かぶ.

 

この時期は,大学の教員にとって,赴任情報が公開される時期で,「よかったね!」,「やはりね!」という感じで,収まるところに世の中うまく,という感じがする.

苦労して研究を継続してこられた知人の吉報は,自己へも照射される「何か」を感じる春である.

 

【写真】3月末の大学から撮影した岡山平野.瀬戸内のなかでも広域な面積をもつ沖積平野が見渡せた.

Ous View

New Project: Reserch Center for Historical Science of Earth and Planetary Environments; 地球惑星環境科学研究センター(2014年7月3日)

以下のプロジェクトに加えて頂くことになりましたので,リンクをはりました.

東京都立大学の大学院・博士課程の在籍時は「環境変遷学研究室」であったので,思考を戻しながらの作業となりますが,勉強になります.

 

さて,なにが出てくるのか?,というワクワク感も!?

いつの間にか,7月....................

 

私立大学戦略的研究基盤形成支援事業 研究拠点を形成する研究 

「鉱物の物理化学特性から読み取る地球,惑星の環境変遷史」,岡山理科大学

Reserch Center for Historical Science of Earth and Planetary Environments, Okayama University of Science

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