敢えて、「役にたたない研究」を!?(1月14日)

「ヤクニタツケンキュウ」

・・・・は、誰にとって、何が・・・という疑問。

 

そもそも、研究という知的生産活動は、役に立つのだろうか?・・と。

 

学ぶという行為に対して、打算的な行為が加味される「ヤクニタツ」言説が整合的であるのかと・・・。逆説的に考えてみて、継続性という観点からは、応用科学から離れた基礎科学の寿命期間は長い、と思うし、「学び」の観点からも、このことは事実だろう、と。

 

志の中で、研究の動機は「明らかにしたい、という人間の本能」や「欲望」?。

 

「役に立つ研究」という言説に踊らされてきた研究者(モドキ).

 

もっと展開すると、自己の「行い」にたいして自覚なき研究者を生み出した社会は、このような言説の流布ではないかと、妄想する。(無論、震災以降の・・敢えて、という前提)

 

・・・のようなことを(1964)の紀要論文を、読み返してきた感じた。

 

・・・・迫力があった。