毎日新聞(滋賀版):12月22日

今日の朝刊(毎日新聞(滋賀版:琵琶湖博物館と世界のフィールドからー))連載記事が掲載されましたので、校正前の原稿を貼り付けます。

 

アジア・モンスーン地域のなかでの琵琶湖

—洪水の歴史から考えるバングラデシュと琵琶湖の低地—

  宮本 真二

  初めて雨季のバングラデシュを訪れたのは、3年前の8月だった。その年は雨がとても少ないと言われていたが、飛行機から眼下に望むベンガル・デルタは一面が水で覆われていた。

私は学生時代から、現地調査のためバングラデシュやインドを何度も訪れている。その問題関心は、ヒトがいつごろ、どのような過程で、定住し始めたのかを地形や地質学的な方法で明らかにしようとするものである。冒頭のバングラデシュを調査地域に選んだのは、世界有数の低地として有名なベンガル・デルタにいつ、どのよう方法や過程で人間が定住し始めたのかを明らかにしたいと思ったからである。

バングラデシュの国土の大半はベンガル・デルタと言われる低地で、毎年の雨季には洪水氾濫が発生し、国土の多くの場所が冠水する。このように洪水が常襲するような場所に、なぜ一億を超えるヒトが居住したのかを明らかにしたいと思ったからだ。

日本に入ってくるバングラデシュの情報といえば、「貧困」や「災害」など、負のイメージを喚起するものが大半である。もちろん、負の側面としての害としての洪水も事実だが、そうでない実態も次第に明らかになってきた。例えば、洪水の歴史的な履歴と、人間の対応関係を調べてゆくにつれてベンガル・デルタに定着した人々が、洪水を「利用」してきた側面が浮かび上がってきた。毎年のように繰り返す洪水によって、水田は冠水するが、この冠水によって、肥沃な土砂がもたらされることを利用して農耕が維持されてきた事実である。また、一度の洪水によってすべての農地が被害を受けないように、水田の立地を高さによって分散させたりして、今で言うところの、リスクの分散も歴史的に行われてきたのである。

一方、琵琶湖沿岸の場合、今でこそあまり洪水の被害ということについて日常生活の中で常に意識することはない。しかし、琵琶湖とそれに関係した歴史を紐解いてゆくと、琵琶湖の沿岸地域は、洪水に頻繁に見舞われてきた事実がある。この洪水は、バングラデシュでみたように、負の側面としての洪水ではなく、琵琶湖沿岸地域の農地に水をもたらすものとしての側面も認識されてきた事実もある。つまり、琵琶湖沿岸地域は昭和の戦前まで渇水に悩まされてきたことが多い地域であり、その中にあって、時には洪水は農地に水をもたらすという利点もあったのである。

このような実態が明らかになるにつれて、私は、災「害」として強調される洪水だが、この洪水を「利用」するという側面は、バングラデシュと琵琶湖沿岸で共通する部分で、アジア・モンスーン地域を特長づける事象だと思うようになった。

バングラデシュの夕日はとても美しい。夕方、日中の調査を終えて宿に向かう最中、リキシャに乗りながら夕日を眺めていることが多い。そのような時に頭の中でよく思い浮かべるのは、同じアジア・モンスーン地域に位置する琵琶湖とその周辺地域の風景である。

私にとって、バングラデシュの調査を行うことによって、琵琶湖やその周辺の今後を考え、また逆に、琵琶湖周辺の調査からバングラデシュなど、アジア・モンスーン地域の国々の未来を思い描くことになっている。

このように、琵琶湖やその集水域といったローカルに閉じた研究ではなく、フィールドワークをもとにした海外との比較研究から、世界の中で琵琶湖を位置づける研究が求められ、同時に、研究者の力量も問われる時代になったと感じている。

執筆者紹介

宮本 真二(みやもと しんじ)

琵琶湖博物館・主任学芸員。博士(理学)。1971年兵庫県生まれ。専門は地理学・環境考古学。小学生時代は、シュリーマンにあこがれる考古少年。バングラデシュ調査ではビールが飲めないので、毎日の楽しみは、ルンギー(腰巻き)姿で、世界で一番おいしいベンガル・カレー(特に、卵入り)を手で食べること。