水辺を想う(中日新聞滋賀版2011年9月)

ブータン出張中に掲載されたらしい新聞記事の、本原稿をアップします。

(ここから)

水辺を想う

宮本 真二

 近江に職を得て、もう10年以上です。こちらに職を得るまで、近江には縁もゆかりもなかったのですが、住む場所を決めるために近江を歩いた時の印象は今でも鮮明です。

その印象とは、「水に勢いがあり、水辺が近い」というものでした。ちょうど、田植え前の時期で、田んぼに水を入れるために、水路には澄んだ水があふれていました。それまで、東京に住んでいたので、その影響もあるのかもしれませんが、「なんて、水が美しい場所だ」と感じ、近江で生活できることに感謝しました。

学生時代から毎年、海外調査に出かけています。月並みですが、海外の実態を学ぶにつれて、日本で当たり前に感じていたことが、実はそうでない事実を学ぶことになります。たとえば、バングラデシュという国は、毎年のように洪水やサイクロンにみまわれ、甚大な被害を被り、その一部の情報は、貧困問題とセットで日本に報道されます。しかし、この洪水の歴史などを調べていますと、日本では害として報道される洪水さえも、バングラデシュに住む人々が利用してきた事実さえ浮かびあがってきます。つまり、雨季のある一定期間の水があふれ、土砂が田んぼにたまることによって肥沃な土壌が形成されるという事実があり、洪水も利用価値があるということです。バングラデシュでは国際的な援助プロジェクトによって、洪水防御対策のため河川改修などが頻繁に行われてきましたが、現在ではこのような公共事業によって、逆にいったん災害が起きると、その規模が肥大化することから、「洪水とともに暮らす視点」が重視され、大きな見直しが行われています。

一方の琵琶湖周辺の水辺や流入河川では、洪水の問題が人命にかかわる問題として指摘され、大規模な公共工事が実施され、自然は大きく改変されてきた事実があります。その善悪をここでは論じませんが、冒頭で述べたように、私のような「よそ者」が感じる。琵琶湖や周辺の自然の美しさは、おおきな財産であり、引き継いでゆく責任も感じます。

バングラデシュの夕日はとても美しいです。日中の調査を終え、宿に向かうリキシャから、バングラデシュの農村に映える夕日の美しさに見とれていると、思い出したのが、琵琶湖の夕日の美しさでした。

広大な水辺をもつバングラデシュから、琵琶湖の水辺を想いました。

(主任学芸員)