滋賀県立大・8回目の集中講義:8 times parttime lec. (2015年1月5日)

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今年もこの季節が到来.

 

昨年の今はミャンマーに出張していたので,すこし遅れて実施していたが,年始は滋賀県立大学で自然地理学の集中講義.

 

滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員を退職して,大学に勤めるようになってからも呼んでいただき,今年で3回目.

年数回は滋賀に訪問しているが,たまに訪れることによって,その変化に敏感に感じ取ることができるようになった.

 

タイトルにもあるように,滋賀県立大学での講義は,なんと8回目.ここ数年感じるのは,学生さんの変化.最初は,「おとなしい」という印象が強かった学生さんも,ここ数年は,多様で元気な学生さんも.

しかし,こう変化を感じるようになったのは,世代格差を理解できないくなったのかとも・・・!反省.

 

しかし,この底冷え感は変化しない.

湖南(滋賀県南部)に住んでいて,この時期に彦根にくると,もう,耐えれないくらいの寒さを感じた.

 

 

彦根くる途中に,約10年間暮らした草津駅やその近辺などで,知人にも会ったり,彦根でも!!というのも狭い近江の特色だろうかと...と考えてみても.すこしづつ街の変化もあり,その変化を感じ取る旅も.心地よいひとときでもある.

 

滋賀で就職できる前は,東京で暗い院生時代を送り,近江の経験は「開けた」という意味だが,その段階では,今の大学人となってからは,「展開」し「伝える」役割を,年寄りっぽくも感じる.

 

今の職場の岡山も大都会ではないが,数年をそこで生活すると,草津駅がとても小さく感じた一日だった.

たまには,過去を考えるのも悪くない.

 

 

 

 

 

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Oumi, Shiga and Lake Biwa: 【補足】「記憶」としての近江(2014年1月29日)

Minami Kusatsu, Kusatsu, Shiga Prefecture. Jan. / 2014. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Minami Kusatsu, Kusatsu, Shiga Prefecture. Jan. / 2014. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

 毎年恒例の滋賀県立大学「自然地理学」の集中講義で近江へ.

琵琶湖博物館に勤務していた頃は,年始の寒い時期に行っており,その寒さゆえに,

昨年度は初秋に行った.

しかし,今年は事情で,冬にもどした.

 

瀬戸内生活が二年目となると,近江,とくに湖北の冬は寒く感じた.(具体的には,日本海側の冬)

この期間に合わせて,滋賀時代の懐かしい友人に逢い,その道中の近江の様々な景観は,

昨年は感じなかったことだが,「懐かしい」ということと,「めずらしい」ものに自己の中で変化していた.

 

つまり,一年を経過することによって,近江は記憶された時代になりつつあることを痛感した旅であった.

近江の魅力や潜在力を感じ取ることもでき,研究の対象として冷静に観察することもできた.

つまり,フィールド・サイエンス一般にそうだが,「地元」を研究対象化することは,利点もあるが,そうでない

側面もあるということだ.

 

 

写真では確認できないが,比叡の稜線は,とても美しい.瀬戸内も景観も美しいが,この景観は近江ならではで,

今後が楽しみでもる.

最後と、雪の彦根(1月6日)

昨日は、最後の仕事が一つあって、二日前から始まっている、毎年恒例の年始の集中講義。

フィールド科学である地理学を、講義で教えるのはなかなか難しいと、毎年ながら思うが、優秀な学生さんばかりで、昔の自己を照射すると、・・・・・・。

昨日は、職場での最後のイベントがあった。

これも、寒いなか。

 

集中講義は、明日まで続き、次年度も続く予定である。

 

いろいろ慌ただしいことが続いている。

 

 

「ひこにゃん」の本場で集中講義

毎年恒例の,年始明け,「自然地理学」の大学集中講義.

毎年,感じるが,「まじめ」だなあ,というとだ.

それは,決して否定的な意味ではなく.私自身が,「若手」の感性を信頼して,期待していることの裏返しの表現だ.

ただし,「勉強」と「研究」.もっと展開すると,「学び」は,まったく違うことを,早く認識してほしい,と老婆心ながら,思う.

なぜなら,【大学での「学び」】は,義務教育(これは,親に責任があるということ)ではなく,自己責任に世界にあることだ.

したがって,時間の使い方も,自己責任という「ルール」のなかで,時間を紡ぎ出してほしいと思う.

私が,師匠(=先生)とよべる(よばしていただける)方は,みな,共通して若手に「あかるい」(先生)ばかりだった.

「つなぐ」ことを毎年感じ入る.【ひこにゃん】の集中講義だ.

追伸

いかんせん,【芸風】はまだまだだと,自己反省の期間でもある.

・・・・・・

でも,学生さんと接していて,【自分が学ばせて頂いている】という,「育児」の心境や【感謝の本心】もある.

ただし,まったくに近くくらい「大学のジュギョウを「ブッチ」していたことにやりがいをみいだしていた世代として,立場が逆転した「キモチ」は,いまでも「とまどい」なのである.

・・・

つまり,講義の意味や,作法さえ,大学によりつかない世代として,困惑なのだ.

何していたかといわれれば,「海外にいっていた」としか,答えようがない,「自己史」なので,

「こっまっています」(笑).