「学芸員」論:Curator?, Research Scientist? or Researcher ?:(2017年7月22日)

すごく,アクセス件数と問い合わせがある内容で,何度も返答します.

(ここから)

2017 年度版(アクセス解析したら,なかなかおもしろいですが,まあまあ)

*「文化学芸員」論や兼務職歴からアクセス件数が増加していますが,評価の部分を補遺しました.今後も継続します.

 

(ここから)

私は5年前まで,滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員でした.標記の問いには,大学に職を移しても継続的に回答しないといけないので,ブラッシュ・アップ継続回答とします.

 

岡山理科大学 生物地球学部 では,学部独自で学芸員の資格が認定される「野外博物館実習」も始まりました.

 

*以下,Q&A方式の回答ですが,定式はないので,個別の回答・相談には応じませんが,反論できる人はいないと思います.

 

1.どうしたら博物館の学芸員になれますか?

・琵琶湖博物館勤務時代は,「どうしたら学芸員になれるのですか?」という問いであったが,以下のように返答していた.

→「論文を書いて,研究業績を蓄積すること」に尽きる.

→研究職でない博物館はこのような返答ではないと思うが,研究することが認知されている博物館では【真実】である.

→この力は,どの職種でも活かせる.

→この力があるという意味を理解する.

→琵琶湖博物館は,学芸員=Curatorではなく,Research Scientistとしたことに,志がある.その意味は深い.

→私自身積極的に学芸員を目指したのではなく,結果としての職業選択であった.

→しかし,私は考古少年で,学芸員という職種の存在は,小学校から知っていた.

 

2.どうして博物館から大学に移ったのですか?

・研究者として職場を移ることは,プロの世界の常識.

→このように学生時代から思っていたし,恩師,先輩,後輩ら,さらには博物館時代の一緒に仕事をした同僚の一部の「生き方」もそうであった.

→博物館から移動しないという選択肢はなかった.研究の進展具合や,業績の蓄積具合によって職場を移すことは本人のみならず,元の職場にも寄与できる.

・移れない人には,それなり理由がある.

→私の経験をもとにした事実なので,誤解も何もないが,サッカーや野球という,プロの世界と同じ.

→日本のワークスタイルの変化という環境変化ももちろんある.

・多様な条件で,恵まれていること.

→少なくとも,先の職場(琵琶湖博物館)では,大学職員から博物館へと職場を移した人は日本の博物館にはいない,という事実が日本の博物館の実態を端的に表現している.

→私が15年間在籍した間に大学職員へ移籍した学芸員は約10人であり,日本の博物館としては異例の研究を重視し,流動性の高い博物館であったことが理解できよう(上述).逆の立場性を主張した人も個人的な経験でいたが,その実態は研究職でない立場であったことが説明されていない.

・博物館であろうが,大学であろうが研究の「らしさ」の違いはあるが,研究することは職種・職場を変えても同じである.

→したがって,研究を博物館で志向する場合,職員の業績評価がより積極的になされることが,今の博物館に強く求められ,それは結果として,専門性を高める行為につながる.

→このことは,大学という職業研究者集団の組織でも同じである.

→できないヒトは・・・です.が,(ネット時代なので科研費データベース.Web名前検索で研究業績は通知票のように明確です.なかには,本人はWikipediaに書き込んだヒトも!)

 

3.今後,学芸員(博物館)を目指す人へ

・研究力

→研究条件が博物館が悪いとか,労働条件云々の議論は,研究ができること(業績の蓄積)の上に成立する議論であり,継続的な研究論文が蓄積できる能力が前提である.

→研究は「超個人的行為」(by 川那部 浩哉(元 琵琶湖博物館・館長;現 琵琶湖博物館 名誉学芸員)であるが,他の多種多様な仕事と同じである.

→「超個人的行為」であることは,職業研究者としての精神的な自立が必要である.

・流動的であること

→研究はエキサイティングな世界で,「個人」の評価が問われる世界である.その個人の評価を組織として構築する必要がある.公的機関にありがちな,方便(言い訳?!)がまかり通っている場面が多いように?,というのは,言い過ぎ(過言)ではない!?.

→このような公務員としての学芸員というスタイルは,今後大きく変化することが容易に想像され,より専門性が問われる時代になることは確実である.

・趣味と博物館

→博物館は研究が必要である.

→研究は趣味ではない.仕事である.仕事である以上結果が求められることは,他の仕事と同じである.大学も同じ.

・学芸員の仕事

→上記した研究以外の仕事は「雑芸員」と称されるように多様だと反論されるが,両者を経験した私にとって,大学も多様であり,私には方便にしか聞こえない.プロである世界の緊張感がよい成果をい生むことは,職業研究者という業種に限定的な議論ではなく,「仕事」(=労働論)で説明できる.

 

4.今後の学芸員

・評価

→やはり,公務員制度として位置づけられていた学芸員は,評価外にあった.それは,ソトからの「個人」評価の対象でなかった,という意味においてである.

→組織としての評価が制度化されつつあるなか,次は,「個人」である.

 

 

5.文献

上記に関わるこれまでの議論は,

宮本真二(1997)博物館における自然地理学の役割.立命館地理学,9,77-81.

宮本真二(2010)博物館と地理学.地理55(10),12−19.

宮本真二(2011)インタビュー博物館の地理学者10 滋賀県立琵琶湖博物館 宮本真二さん.地理,56(9),古今書院:90-91.

にもある.

【論点整理とアクセス解析】琵琶湖博物館学芸員による研究活動上の不正行為(盗用)の認定:Plagiarism(2017年5月7日)

元職の「怒り」を覚える出来事を認識しました.以下,文部科学省Webからの引用です.

 

http://www.mext.go.jp/a_menu/jinzai/fusei/1379785.htm

【論点整理】
 1  風通しの良さ。
     小生は琵琶湖博物館時代から世間の眼が入ることが重要との立場で,すべてを公開する立場での研究活動を旨としてきましたので,敢えて再録します.
     敢えて指摘しますが、琵琶湖博物館の学芸員の個人webサイトの少なさも 注目点です。
     研究者の評価基準は明確化です。科研費採択率の公表とか。
2  博物館活動と盗用。
     個人的には,こんなことは...ですが,盗用で維持されてきた博物館活動は二度とゴメンです.
3  資格制限
      科研費の申請制限が。小生は二度ほど琵琶湖博物館から申請、すべて採択されました。忸怩たる思いです。いま、もし琵琶湖博物館に小生が所属していたら。。。科研費は研究者の成績表です。
4  管理責任
      知事への窓口もあります。長く確認してゆかないといけません。また、事実、いや真実か。?
5   アクセス解析しています
      また、結果も公表しますね。公務員論。。とか?

(ここから)

 

滋賀県立琵琶湖博物館学芸員による研究活動上の不正行為(盗用)の認定について

 

【基本情報】

番号 2016-03 特定不正行為の種別 盗用
不正事案名 滋賀県立琵琶湖博物館学芸員による研究活動上の不正行為(盗用)の認定について
不正事案の研究分野 陸上昆虫学 調査委員会を設置した機関 滋賀県立琵琶湖博物館
特定不正行為に関与した者等の所属機関、部局等、職名 滋賀県立琵琶湖博物館 研究部 総括学芸員
特定不正行為と認定された研究が行われた機関 滋賀県立琵琶湖博物館 特定不正行為と認定された研究が行われた研究期間 平成22年4月1日~平成23年3月31日
告発受理日 平成27年9月29日及び平成28年2月3日 本調査の期間 平成28年5月6日~7月13日
不服申立てに対する再調査の期間 報告受理日 平成28年10月5日
特定不正行為が行われた経費名称 平成22年度科学研究補助金(研究成果公開促進費)

【不正事案の概要等】

◆不正事案の概要
  1. 告発内容及び調査結果の概要
    本件は、平成27年9月及び平成28年2月に「原色日本甲虫(こうちゅう)図鑑(2)」の著作者の一人から、滋賀県立琵琶湖博物館に対し、同博物館のホームページに公表されている「日本産環境指標ゴミムシ類データベース『里山のゴミムシ』」が「原色日本甲虫図鑑(2)」の著作者の著作権を侵害している旨の通報を受け、同博物館による予備調査(平成28年2月~3月)の後、琵琶湖博物館調査検討会(以下「調査検討会」という。)を設置し、データベースと当該著作物との照合、被通報者及び関係者からのヒアリング調査などにより事実関係の調査を行ったものである。調査の結果、研究活動における不正行為である「盗用」(著作権侵害)が行われたものと認定した。【通報者から申立てのあった不正の態様及び不正行為であるとする理由】
    (1) 不正の態様
    被通報者と館外の研究者3名の研究グループが、平成22年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)を受け平成23年4月に作成した「日本産環境指標ゴミムシ類データベース『里山のゴミムシ』」において、「原色日本甲虫図鑑(2)」に記載されている文章を盗用した疑い。
    (2) 研究活動における不正行為であるとする理由
    被通報者を含む研究グループが作成した上記データベースにおいて、既存の著作物である「原色日本甲虫図鑑(2)」のゴミムシの「形態」の記述とほぼ同一の文章である箇所が確認されたが、当該箇所に出典の明示やかぎカッコ等による区分がないこと。
  2. 琵琶湖博物館における本調査の体制、調査方法、調査結果等について
    (1)調査検討会における体制
    6名(内部委員3名、外部委員3名)(2) 調査の方法等
    調査対象
    ア) 対象研究者
    琵琶湖博物館学芸員及び本研究に参画した研究グループ員(館外の研究者)
    イ) 対象著作物等
    日本産環境指標ゴミムシ類データベース「里山のゴミムシ」
    1) 調査方法
    琵琶湖博物館において事前に行った調査結果の精査、及び当該データベースと「原色日本甲虫図鑑(2)」の記載内容を比較検証するとともに、被通報者及び関係者へのヒアリング等を実施した。
    2) 本事案に対する調査検討会の調査結果を踏まえた結論
    通報者から著作権の侵害(盗用)の疑いがあると指摘があった、被通報者を含む研究グループが作成したデータベースに関し、調査検討会による調査結果を踏まえた琵琶湖博物館の結論は以下のとおり。(結論)
    日本産ゴミムシ類のうち里山環境に生息する297種の種ごとの「形態」「分布」「生態」などの情報と画像から構成される「日本産環境指標ゴミムシ類データベース『里山のゴミムシ』」のうち、「形態」に関する記述の一部について、「原色日本甲虫図鑑(2)」からの「盗用」(他の研究者アイデア、分析・解析方法、データ、研究結果、論文又は用語を当該研究者の了解又は適切な表示なく流用すること)が行われたものと認定した。
    また、本件不正行為については研究グループ内の他の研究員の関与はなく、琵琶湖博物館学芸員の単独によるものであると認定した。
    (注)ゴミムシ297種の「形態」について、ほとんど又は全部の記述に不適切な引用が認められたものが214種、一部の記述に不適切な引用が認められたものが62種。(認定理由)
    1) 被通報者を含む研究グループが作成した「日本産環境指標ゴミムシ類データベース『里山のゴミムシ』」は、「原色日本甲虫図鑑(2)」からゴミムシの「形態」の記述(276箇所)を引用しているにもかかわらず、事前に著作権者からの許諾を得ることをせず、また引用箇所について出典の明示やかぎカッコ等による明瞭な区分などの適切な引用を怠ったこと。
    2) 研究者として本来わきまえるべき著作権に対する認識が欠落していたこと。
    3) 研究グループ内の役割分担では、「形態」情報に関しては琵琶湖博物館学芸員の専任事項で、当該学芸員が直接学生アルバイトに「原色日本甲虫図鑑(2)」から「形態」情報を転記するよう指示したものであり、それら一連の行為については他のグループ員の知るところではなかったことが認められること。(調査の過程で判明した事実)
    上記に加え、WEB図鑑「日本&滋賀のオサムシ」の「形態」の記述、WEB図鑑「滋賀のトンボ」の「解説」の記述及び「滋賀県で大切にすべき野生生物 滋賀県レッドデータブック(2005年版及び2010年版)」の「種の概要」の記述においても、一部に不適切な引用が認められた。これらは、滋賀県の県費を用いて、不正行為に関与したと認定された琵琶湖博物館学芸員が単独で作成したものである。
  3. 認定した不正行為に直接関連する経費の支出について
    「日本産環境指標ゴミムシ類データベース『里山のゴミムシ』」は、平成22年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)による成果であり、交付額4,400,000円のうち、不正行為に直接関連する経費は251,536円である。
  4. 不正行為のあった研究成果における重み及び学術的、社会的影響
    本件は「形態情報」の不適切な引用であったため、学術的に誤った情報を掲載していなかったこと、また新たに判明した事実の公表ではなく、既存の情報をデータベース化したものであったことから学術的影響は少ないものと考えられる。
    また、今回のデータベースの掲載内容について著作権者との関係以外において、社会的混乱を招くような社会的影響は少なかったと考えられる。
◆研究機関が行った措置
  1. 競争的資金等の執行停止等の措置
    競争的資金等の経費の支出はなかったことから、執行停止等の措置は講じていない。
  2. 被告発者に対する滋賀県の対応(処分等)
    不正行為にかかる調査結果報告書を受け、被通報者の懲戒事由の該当性等について審議し、平成28年11月9日付で被通報者に懲戒処分を行った。
  3. 当該データベースに対する対応
    ・平成28年2月10日から、琵琶湖博物館ホームページに掲載されているWEB図鑑の公開を停止しているが、今後掲載内容を協議の上再開する予定である。
    ・通報者である「原色日本甲虫図鑑(2)」の著作者に対し謝罪を行った。また、通報者を除く著作者10名のうち6名に対し謝罪を行った。他の4名は故人であり相続人の特定が困難であることから、琵琶湖博物館ホームページで呼びかけを行い、連絡のあった方に対し適切に対応を行う予定である。
◆発生要因及び再発防止策
  1. 発生要因
    研究グループの中で形態情報を担当した被通報者である琵琶湖博物館学芸員が、本来わきまえるべき著作権に関する認識が欠落し、他の著作物から適切な引用を行っていないにもかかわらず、そのことを認識しないままでいたことが、大きな発生要因である。
    また、琵琶湖博物館がこれまで行ってきた情報発信に対するチェック体制や、コンプライアンス教育の不十分さについても、発生要因の一つであると考えている。
  2. 再発防止策
    ・琵琶湖博物館では、ガイドラインを踏まえ、研究活動上の不正行為の防止及び対応に関し、平成28年7月に「滋賀県立琵琶湖博物館における研究活動上の不正行為の防止等に関する規程」を制定した。また、同規程に基づき研究活動にかかる行動規範及び不正行為防止計画を策定したほか、公的研究費の適切な管理等を行うための取扱い要領等を制定したところであり、これらの規程等を職員に周知徹底する。
    ・研究者等の規範意識の向上を図るため、著作権、研究者倫理、不正防止及び公的研究費の取扱い等に関する研修を年1回以上実施し、コンプライアンス推進責任者が受講状況を管理監督する。
    ・ホームページなどで情報発信する場合に著作権法に抵触する行為が発生しないよう、チェックリストを作成し確認する。
◆配分機関が行った措置   科学研究費補助金について、盗用と直接的に因果関係が認められる経費の支出が251,536円あったため、返還を求めるものであり、科学研究費補助金の成果として作成されたデータベースであることから、当該資金への申請及び参加資格の制限の対象となる。このため、資金配分機関である日本学術振興会において、経費の返還を求めるとともに、資格制限の措置を講じる予定である。

 

【追悼(一周忌)】:河角龍典(To Dr. Tatsunori KAWASUMI):環境考古学:Environmental Archaeology(2015年4月29日)

Environmental Archaeology

河角龍典(左)&宮本真二(右)(写真:小野映介 撮影(新潟大学)).(2000年頃.滋賀県,守山市,下之郷遺跡)Environmental Archaeology (Photo by Dr. Esuke ONO, Niigata Univ. )

もう一年.でも,まだ認められない一年.

河角 龍典さん(かわすみ たつのり.享年 43才)

「河角」と一年後輩なので,20年以上呼び捨てしていた関係は変化なし.

研究者を志して約20年.

安田喜憲(1980)『環境考古学事始ー日本列島二万年ー』,NHKブックス(日本放送出版協会).

 ・・に出会って,研究者を志して,今に至った.あこがれの先生でもあり,師匠である.

 振り返るほどの過去はないが,この一冊. この著者を師匠にもち,関係していただいたさまざまな方々の影響で,研究者として生き残ってきた. しかし,地理学者との共同研究は行ったことがない.つまり,周辺(あくまで地理学に)の隣接科学の方々の共同研究でいままで生きてきた実感がある.

 さらに強調して指摘すれば,「日本」考古学は環境を対象化してこなかった(できなかった)事実が指摘できる.

 そう言った意味で,マージナルなサイエンスを,地理学者がほとんどいない日本の博物館にも所属したし,今の職場もマージナルなフィールド・サイエンスを志向する場でもある.

 【河角の話に戻ろう】

 冒頭の,20年前,写真に写った研究者(左.具体的には,一年下の後輩.筆者は右)と遺跡巡りや調査などで,いろいろ遊んだが,その彼は最近亡くなった.

 その彼と冒頭の著作を共有し,夢を語り合った.

 冒頭の「環境考古学」である. 日本考古学の,研究者はいまでこそ,環境を我が物顔で語るが,日本の「環境考古学」を,上記の地理学者が提示した事実を,研究史上で位置付け,第二世代の私達が引き継いでいなないといけない現実を目の当たりした.

 追伸

 河角とは,彼が19才の大学の入学の時から知り合って,20年以上.上記と重なる.いろいろな齟齬はあったが,酌み交わした杯は,私の人生で,君が多分いちばん多い.説明できなことは沢山あるが,..というのが言い訳で.....

「日本」の考古学:Archaeology as Science?(2016年3月6日)

「日本」の考古学と科学や,研究者の矜持を,時々考える.

 

40歳世代として「なぜ,考古学は,「日本」考古学,という「 」のがつくのだろうか?,と機内で考えていた.

 

→「王道」と称する考古学は,発展段階論を唯一の(ように)ふるまって,「 」つきの考古学の唯一性を声高に主張し,その言説に酔ってきてきた(いまだに).

 

しかし,考えましょう,と.

 

「日本」考古学は,【ねつ造】を生みました.それは事実です.

 

研究レベルの業界の社会的な意味(埋蔵文化財の行政職員の研究者(らしく)としての振るまい?!)を精査し自覚的な振る舞いは必要だと最近感じます.あまりにも,研究や論文と主張される紀要?論文もどきが税金を使って精算され続けています.

 

「研究って,プロの成果です」.

 

なぜ,上記のように思い,書き留めた訳は,以下の怒りです.

 

結論

前職の琵琶湖博物館に考古学の「研究職」ポストは無くなると...その意味です.

また,不都合な関係のヒトと共著にするヒトとか....そういう情報を,ソトに出ると,聞こえてきます.

「矜持」の意味を考えています.

Curator, Research Scientsit or Professor?:博物館学芸員と大学教員(2015年8月22日)

*更新時告知時にアクセス数が多く,いつも聞かれるので...誤植更新に..

 

 ※学生さん,もしくは,これから博物館学芸員(美術館は領域外)を目指す方は,経験に裏づけされた「事実」ですので,レトリック上や認識のうえでの反論は受けつけますが,以下は,事実ですので,ご参考にしてください.

 

1.どうしたら博物館の学芸員になれますか?

・琵琶湖博物館勤務時代は,「どうしたら学芸員になれるのですか?」,という問いであったが,以下のように返答していた.

→「論文を書いて,研究業績を蓄積すること」に尽きる.

→研究職でない博物館はこのような返答ではないと思うが,研究することが認知されている博物館では【真実】である.

→この力は,どの職種でも活かせる.

→琵琶湖博物館は,学芸員=Curatorではなく,Research Scientistとしたことに,志がある.その意味は深い.

→私自身積極的に学芸員を目指したのではなく,研究活動を行った結果としての職業選択であった.

→しかし,考古少年で,学芸員という職種の存在は,小学校から知っていた.

 

2.どうして博物館から大学に移ったのですか?

・研究者として職場を移ることは,プロの世界の常識.

→このように学生時代から思っていたし,恩師,先輩,後輩の「生き方」もそうであった.

→博物館から移動しないという選択肢はなかった.研究の進展具合や,業績の蓄積具合によって職場を移すことは本人のみならず,元の職場にも寄与できる.

・移れない人には,それなり理由がある.

→私の経験をもとにした事実なので,誤解も何もないが,サッカーや野球という,プロの世界と同じ.

→日本のワーク・スタイルの変化という環境変化ももちろんある.

・多様な条件で,恵まれていること.

→少なくとも先の職場では,大学から博物館へと職場を移した人はいない,という事実がこれを端的に表現しているだろう.

→私が15年間在籍した間に大学に移籍した学芸員は約10人なので,日本に博物館としては異例の研究を重視した博物館であったことが理解できよう.

・博物館であろうが,大学であろうが,研究の「らしさ」(様相)の違いはあるが,研究することは職種・職場を変えても同じである.

→したがって,研究を博物館で思考する場合は,その職員の業績評価がより積極的になされることが,経験として今の博物館に強く求められ,それは専門性を高める行為でもある.

→このことは,大学という職業研究者集団の組織でも同じである.

 

3.今後,学芸員(博物館)を目指す人へ

・研究力

→研究条件が博物館が悪いとか,労働条件云々の議論は,研究ができること(業績の蓄積)の上に成立する議論であり,継続的な研究論文が蓄積できる能力が前提である.

→研究は「超個人的行為」(by 川那部浩哉(元 琵琶湖博物館・館長;琵琶湖博物館 名誉学芸員)であるが,他の多種多様な仕事と同じである.

→「超個人的行為」であることは,職業研究者としての精神的な自立が必要である.

・流動的であること

→研究はエキサイティングな世界で,「個人」の評価が問われる世界である.その個人の評価を組織として構築する必要がある.公的機関にありがちな,方便がまかり通っている場面が多いように?というのは,言い過ぎではない.

→このような,公務員としての学芸員というスタイルは,今後大きく変化することが容易に想像され,より専門性と結果が問われる時代になる.

・趣味と博物館

→博物館は研究が必要である.

→研究は趣味ではない.仕事である.仕事である以上結果が求められることは,他の仕事と同じである.大学も同じ.

・学芸員の仕事

→上記した研究以外の仕事は「雑芸員」と称されるように多様だと反論されるが,両者を経験した私にとって,大学も多様であり,今の私には方便にしか聞こえない.プロである世界の緊張感がよい成果をい生むことは,職業研究者という業種に限定的な議論ではないだろう.

 

4.そのほか

上記に関わるこれまでの議論は,

宮本真二(1997)博物館における自然地理学の役割.立命館地理学,9,77-81.

宮本真二(2010)博物館と地理学.地理55(10),12−19.

宮本真二(2011)インタビュー博物館の地理学者10 滋賀県立琵琶湖博物館 宮本真二さん.地理,56(9),古今書院:90-91.

にもある.

滋賀県立大・8回目の集中講義:8 times parttime lec. (2015年1月5日)

Kusatsu1

 

今年もこの季節が到来.

 

昨年の今はミャンマーに出張していたので,すこし遅れて実施していたが,年始は滋賀県立大学で自然地理学の集中講義.

 

滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員を退職して,大学に勤めるようになってからも呼んでいただき,今年で3回目.

年数回は滋賀に訪問しているが,たまに訪れることによって,その変化に敏感に感じ取ることができるようになった.

 

タイトルにもあるように,滋賀県立大学での講義は,なんと8回目.ここ数年感じるのは,学生さんの変化.最初は,「おとなしい」という印象が強かった学生さんも,ここ数年は,多様で元気な学生さんも.

しかし,こう変化を感じるようになったのは,世代格差を理解できないくなったのかとも・・・!反省.

 

しかし,この底冷え感は変化しない.

湖南(滋賀県南部)に住んでいて,この時期に彦根にくると,もう,耐えれないくらいの寒さを感じた.

 

 

彦根くる途中に,約10年間暮らした草津駅やその近辺などで,知人にも会ったり,彦根でも!!というのも狭い近江の特色だろうかと...と考えてみても.すこしづつ街の変化もあり,その変化を感じ取る旅も.心地よいひとときでもある.

 

滋賀で就職できる前は,東京で暗い院生時代を送り,近江の経験は「開けた」という意味だが,その段階では,今の大学人となってからは,「展開」し「伝える」役割を,年寄りっぽくも感じる.

 

今の職場の岡山も大都会ではないが,数年をそこで生活すると,草津駅がとても小さく感じた一日だった.

たまには,過去を考えるのも悪くない.

 

 

 

 

 

Kusatsu2

生地談話会:琵琶湖博物館:橋本さん(2014年12月9日)

第89回生地談話会開催  2014年12月09日

第89回生地談話会が、12月8日、滋賀県立琵琶湖博物館の橋本道範さんをお迎えし開催しました。
演題は「15世紀における魚介類の首都消費と琵琶湖漁撈―フナ属の旬に注目して―」で、室町時代天皇の食事を担当していた貴族、山科家の日記の分析により、特 にフナ属に注目して、首都での魚介類の消費実態を紹介されました。歴史学という生地にはめずらしい内容で、勉強になりました。

*次回(第90回)は、2014年12月19日(金)16:45~18:05、 真鍋 真(国立科学博物館)さんによる「最新恐竜学」です。

【写真】パワーポイントを使って講演中の橋本道範さん。


Setouchi, Oumi and Scientist: 近江のジョッキ・ワインと職業研究者(2014年2月7日)

 いろいろに,気合いをいれないといけない作業が続いており,「今日は何曜日?,何日だっけ??」という日々が続き,今日も研究室と思ったが,なんと瀬戸内で積雪を経験することになろうとは....身動きとれません,状態だったが,早朝,トレッキングシューズをはいて,ヒマラヤを思い出しながら,30分程度で.
先週まで通っていた近江(滋賀県)では,雪を経験して,暖かい瀬戸内に「げ〜,なんちゅう,さむさや〜.はよ,かえりたいわ~!」(関西弁)状態だったので,「なんだかなあ」だったが,滋賀の知人に連絡すると,同じ状態・以上??!!
「まあ,そうですねえ」と.
岡山,寒い時期もあると指摘されますが,畿内にいたとき程じゃなく,「楽勝」です.
しかし,21号館にいると底冷えはします,...が,琵琶湖博物館のときの相部屋研究室も,空調がきかず,寒かったような・・・
この時期は,大学だと入試などの一大行事が沢山だが,研究者の動きの「うわさ」が耳に入るようになり,昨年度も記したが,「やっぱりね」,「さすがですね」,「よかったね」..ということを感じ入る.
つまり,誠実に職業研究者としての歩みを継続されている方は,「オテントサンがよくみてはる」(関西弁)と.
・・・早朝から,いくつかの懸案をメールで連絡し,リンク切れ・更新,デザインなどをすこしいじった.
【下の写真】は,先月末,近江の友人たちと懇親したワンカット.
40年生きてきて,「ジョッキのワイン」は初体験.
・・・・ワインだったのだろうか???.また近日中に・・・・・・・と.
Wine or Red Beer?. Jan. / 2014. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Wine or Red Beer?. Jan. / 2014. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Oumi, Shiga and Lake Biwa: 【補足】「記憶」としての近江(2014年1月29日)

Minami Kusatsu, Kusatsu, Shiga Prefecture. Jan. / 2014. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Minami Kusatsu, Kusatsu, Shiga Prefecture. Jan. / 2014. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

 毎年恒例の滋賀県立大学「自然地理学」の集中講義で近江へ.

琵琶湖博物館に勤務していた頃は,年始の寒い時期に行っており,その寒さゆえに,

昨年度は初秋に行った.

しかし,今年は事情で,冬にもどした.

 

瀬戸内生活が二年目となると,近江,とくに湖北の冬は寒く感じた.(具体的には,日本海側の冬)

この期間に合わせて,滋賀時代の懐かしい友人に逢い,その道中の近江の様々な景観は,

昨年は感じなかったことだが,「懐かしい」ということと,「めずらしい」ものに自己の中で変化していた.

 

つまり,一年を経過することによって,近江は記憶された時代になりつつあることを痛感した旅であった.

近江の魅力や潜在力を感じ取ることもでき,研究の対象として冷静に観察することもできた.

つまり,フィールド・サイエンス一般にそうだが,「地元」を研究対象化することは,利点もあるが,そうでない

側面もあるということだ.

 

 

写真では確認できないが,比叡の稜線は,とても美しい.瀬戸内も景観も美しいが,この景観は近江ならではで,

今後が楽しみでもる.

Curator?, Research Scientist? or Researcher?: 博物館学芸員と職業研究者(2014年1月17日)

岡山理科大学 生物地球学部 は,次年度3年目となるので,専門性ある教育コンテンツが増加する.その中での議論をふまえ,以下のようなメモをバージョーンアップしてゆき,次世代の参考としたい.(・・というほど,偉そうなものでもないですが・・・)

大学に移って,2年目になり,博物館との関係などについて,聞かれることが増えてきたので,以下に順次まとめる.

 

 1.どうしたら博物館の学芸員になれますか?

・博物館勤務時代は,どうしたら学芸員になれるのですか?,という問いであったが,以下のように返答していた.

・論文を書いて,研究業績を蓄積すること.

→研究職でない博物館はこのような返答ではないと思うが,研究することが認知されている博物館では【真実】である.

→琵琶湖博物館は,学芸員=Curatorではなく,Research Scientistとしたことに,志がある.その意味は深い.

→私自身積極的に学芸員を目指したのではなく,結果としての職業選択であった.

→しかし,考古少年で,学芸員という職種の存在は,小学校から知っていた.

 

2.どうして博物館から大学に移ったのですか?

・研究者として職場を移ることは,プロの世界の常識.

→とむかしから思っていたし,恩師,先輩,後輩もそうであった.

→博物館から移動しないという選択肢はなかった.研究の進展具合や,業績の蓄積具合によって職場を移すことは本人のみならず,元の職場にも寄与できる.

・移れない人には,それなり理由がある.

→事実なので,誤解も何もないが,サッカーや野球という,プロの世界と同じ.

→日本のワークスタイルの変化という環境変化ももちろんある.

・多様な条件で,恵まれていること.

→少なくとも,先の職場では,大学から博物館へと職場を移した人はいない,という事実がこれを端的に表現しているだろう.

・博物館であろうが,大学であろうが研究の「らしさ」の違いはあるが,研究することは同じである.

→したがって,研究を博物館で思考する場合は,その職員の業績評価がより積極的になされることが,経験として今の博物館に強く求められ,それは専門性を高める行為にでもある.

 

3.今後,学芸員(博物館)を目指す人へ

・研究ができること

→研究条件が博物館が悪いとは,労働条件云々の議論は,研究ができること(業績の蓄積)の上に成立する議論であり,継続的な研究論文が蓄積できる能力が第一条件である.

→研究は「超個人的行為」(by 川那部浩哉(元 琵琶湖博物館・館長)であるが,他の多種多様な仕事と同じである.

→「超個人的行為」であることは,精神的な自立が必要である.

・流動的であること

→研究はエキサイティングな世界で,「個人」の評価が問われる世界である.その個人の評価を組織として構築する必要がある.公的機関にありがちな,方便がまかり通っている場面が多いように?というのは,言い過ぎではないと思う.

・趣味と博物館

→博物館は研究が必要である.

→研究は趣味ではない.仕事である.仕事である以上結果が求められることは,他の仕事と同じである.

・学芸員の仕事

→上記した研究以外の仕事は「雑芸員」と称されるように多様だと反論されるが,両者を経験した私にとって,大学も多様であり,私には方便にしか聞こえない.プロである世界の緊張感がよい成果をい生むのは,職業研究者という業種に限定的な議論ではない.

 

4.そのほか

上記に関わるこれまでの議論は,

宮本真二(1997)博物館における自然地理学の役割.立命館地理学,9,77-81.

宮本真二(2010)博物館と地理学.地理55(10),12−19.

宮本真二(2011)インタビュー博物館の地理学者10 滋賀県立琵琶湖博物館 宮本真二さん.地理,56(9),古今書院:90-91.

にもある.