African Fever: アフリカ熱とヒマラヤの経験と..(2014年3月15日)

5年ぶりにアフリカに「戻った」

 

■まだ,その微熱(知恵熱)がつづいていて,なかなか日本という東アジア世界に適応できてないことも5年ぶりに自覚している.

■科研費・基盤研究B「東アフリカにおける「早すぎる高齢化」とケアの多様性をめぐる学際的研究」(研究代表者:長崎大学環境科学部・准教授:増田 研)のキック・オフワークショップ,資料収集での出張(詳細は,増田さんのWeb参照).

■今年は初年度で,具体的なターゲットを共同研究者で明確にしないといけないと感じていたが(私自身の役割も含め),フィールド・ワーカーが大半であり,分かち合えた部分が多い,と実りのある短期出張だった.

■しかし出国前は毎度ながら,「今日は,何日の何曜日!?」という状態で,個人的な事情を話せば,今年の正月からのミャンマー出張前の師走に,投稿原稿を仕上げて,脱稿後,飛行機に飛び乗った.今回も前日前投稿原稿の作業があり,同じ状態だった.(・・・が,これはいつものことだし,以前は徹夜で空港に向かったことさえもあった).

■正直,「まだ.師走」なんです.師走に年度末が同伴した状態だろう.

(帰国しても,月末までにあと原稿2本,あるんです.)

■・・というように,忙しいことを理由にしたくないが,今年度の夏場以降は,走り回っていた状態で,本人はしんどいが,家人らはは,「楽しんでいる」ように見えるようだ.

 

□今回の旅での考えたこと.

①異分野,とくに医学的(医療)問題を主題としたときの地理学の立場.

②①を展開すれば,フィールドの一次データを,疫学的(量的データ)調査とどのように整合性(折り合い)を持たせるのか.

③①の補足で,専門性.

④文化人類学者の思考パターン(問い)の整合性.

⑤「融合的」地域調査のあり方.

⑥④にかかわって,プロジェクトの組織論.

⑦②の関係では,民族誌ではなく,「地域誌」,【地誌】の描き方.

                                  (順不同で,整合性はない)

 

・・・は,

 

総合地球環境学研究所プロジェクト研究「人の生老病死と高所環境――「高地文明」における医学生理・生態・文化的適応(研究代表者;総合地球環境学研究所・准教授:奥宮清人)

□・・での経験を,実質的にすこしは活かしたいと(活かさないといけない)感じて,コメント発表を,現地に入っても早朝3時頃から用意した.その過程でも学びも大きい.

 

□手をつける前の,思考実験の段階なので,「頭でっかち」になるが,増田さんらしいよい,人選(小生以外)のプロジェクトで,ケニア滞在中,声には出さないまでも,この出会いに「感謝」していた,と感じるのは,トシのせい?

 

□また,「融合研」(増田さんWeb)の経験が大きい.

□個人的には,山本紀夫・稲村哲也編著(2000)『ヒマラヤの環境誌─山岳地域の自然とシェルパの世界─』,八坂書房.

科研費・国際学術研究「ネパール・ヒマラヤにおける草地・森林利用の動態に関する民族学的研究」(研究代表者:国立民族学博物館・教授:山本紀夫)

・・・・・を学生時代経験させていただき,逆の立場性を意識するようになった.

 

□冒頭の微熱.

それは,知恵熱とも言い換えることができるが,小生がアフリカの大地に初めて立ったのは,1993年.それから20年が経って,当時の指導教官(先生)とおつきあいいただき,その先生が開拓された日本人のアフリカ研究の初期の著作を,現地で読み込みながら(1970年代初旬頃の地域誌),「唖然」とした.換言すれば,「めまい」さえ覚える気概を英語の論文から感じることになった.逆説的には,自己の現実を照射して,「唖然」としたことも今回のケニアでの学びでもあった.

□感情的な記述であるが,その迫力に圧倒され,知恵熱は,アフリカの微熱となり,帰国後の今も,アフリカの「高い空」を思い浮かべながら,学問の熱さえもアフリカという大陸で感じた.

□まだ,この熱は冷めそうになく,だからこそ,フィールドのリアル(実存)な問いでもある.

 

※トップページの写真は,ナイロビの投宿からの空.この空こそが赤道近くのアフリカを感じさせる.

※ついでに,業績(コメント発表)も更新した.