ブータンに出張し,研究の発表と,その後のツアーに参加していたが,
いまは,
バンコクの空港ラウンジで,怒涛のようなメールと格闘しようと・・・おもっていたら,サーバーが混雑しているようで..容易に仕事がはかどらない.
岡山に転職して,空港も福岡に今回から変更して様子見・・・・
写真は,Druk Air! in Paro
・今年二回目の岡山理科大学のオープンキャンパス
・早朝にバイクの駐車場所から,エスカレータで【登山】すると,私のバイクと同じカラーで統一されたキャッチが至る所に「分布」(上図).
・Open(解放・公開)と銘打たないと,大学の中身は見えない・にくい,と思いながらも,それも大学らしいとも感じる.
・つまり,社会からの一歩手前の時間を,社会から距離がある大学という「空間」も存在意義があるのではないかと・・
・一回目もそうだったが,自己の20年前を鑑み,【不安】と表裏一体の【期待】を,18才~16才の諸君らの顔から感じ入る.
・学ぶことは「喜び」であることも再認識.
・伝えることはは,学びであることも.
☆「 」をキーワードにすると,地理学が説明できる!?

Open Campus, Okayama University of Science 2012
下記の修士・博士論文において関係した新聞の取材を受け,その記事が公表されたので,業績にアップ.
勉強になったこと.
①電話取材で,いかに正確・的確な情報を端的に伝達できるか?
②キャッチも含有するレトリック.
・・・とくに,出てきた(部分校正)物をみて,会わなくて伝える難しさが勉強になった.
取材者の力量と感性についても考えさせられた.
しかし,師匠の発言と同じ記事に出ていることの幸福は,すこしは恩を返せたのかと・・・・・
・・・・・・でも,「論文書け!」と怒られるだろうな(笑).と感じ,冷や汗をかいた・・
宮本真二(2012)「奇跡の中池見 ラムサール条約登録 ②厚さ40メートルの泥炭層」:福井新聞:7月11日.【取材】
昨日まで,所用で近江に滞在.
琵琶湖を見ていると、懐かしさよりも,今後の比較研究テーマのアイデアがよく浮かぶ.
下は,開催期間中訪問できなかったが,記録として業績に追加した.
宮本真二「ヒマラヤから考える環境問題」岡山県環境保全事業団・環境学習センター「アスエコ」主催「おかやまの大学のココがすごい!~大学環境展~」,2012年6月.
追伸
大津市の教育委員会の問題.「役人」気質の一端だと経験上,理解・納得している。
ネットの利便性を享受できる機会があった.
1995年頃に山本紀夫先生(国立民族学博物館・名誉教授)のプロジェクトに入れていただいて,長期の滞在調査をネパール・ヒマラヤに参加させいただいた.
文部省科学研究費,国際学術研究「ネパール・ヒマラヤにおける草地・森林利用に関する民族学的研究」,(研究代表者;国立民族学博物館教授:山本紀夫),(研究協力者).
宮本真二・岩田修二(2000):自然環境の変遷-ジュンベシ谷の二万年.山本紀夫・稲村哲也編『ヒマラヤの環境誌』,八坂書房,235-255.など.
http://www.yasakashobo.co.jp/books/detail.cgi?recordID=12
今からだととても視野が狭いなかでフィールドを歩いていたが,毎日毎日とてもよく歩いたし,多様な分野の方とのフィールド調査の醍醐味を味わえ,鍛えられた.
そのときに,フィールド調査でいろいろサポートしたり,遊んでくれたシェルパの友人からメール.とても頭の回転が速く,英語も上手く,帰国後も手紙のやりとりは続いていた.
しかし,ネパールは,その後民主化のなかでいろいろなことが起き・・・一時途絶えていたが,3年前に訪問し,再開できた.その彼からだった.
つたない英語で,将来の夢をテントで語り合ったり,不安を共有したり...
でも,元気そうでほんとうによかった.
Dear friend Dr. Miyamoto, namaste!First of all congratulation for your new job and thank you very much for informing me your new adresses.
I could not read your mail earlier as there is no internet facilities in our area.Nowadays Iam at Kath・・・・
いろいろなデッド(締め切り)が増加してきて,フィールド・ワークどころか,フィールドでもインド・アワーク!?な日々.
以下の様に,放送されたデータが,大学のWeb(以下にリンク)で公開されています.
ご協力いただきました皆様,誠にありがとうございました.
「仲間」からは,いろいろな反響が届き始めています(キーワードは,「映画みたい」「衝撃」「らしい」「情熱??」(番組名)」?)
※だが,私自身TVからは隔絶された生活にあり,今のはやりの言葉で説明されても,理解できてない(泣).
私自身,「地理学って何?」に対する明確な返答は見いだせないでいる.本厄だが,不惑!?
(ここからは大学のWebからのコピペ)
岡山理大の研究力を,4つの研究室を通して紹介します! 動画でどうぞ!
その2「地理学って?」
自然と人間、その交わりの記憶は土の中に眠っている。フィールドワークを通じて自然と人間の関係を解き明かす宮本研究室を紹介します。
http://www.ous.ac.jp/cm/index.html
備前に来たときには,研究室も底冷えする様相であったが.「暑い」.・・というか,いつの間にか夏!
しかも,今日は,七夕!
6月(三月目)の総括
1)休日は二日.
2)いろいろ出張.(学会,研究会,打ち合わせ)
3)交換留学生のホームステイ→ブラジル風英語vs和風英語
4)TV取材→登山!
5)原稿投稿→返却→直し.
6)本の編集作業→催促など
7)鼻炎完治.
8)オープンキャンパス
9)前期講義終了.
10)研究室整備→一進一退.
11)夏の調査計画→海外調査
12)事務処理の堆積.
13)関西風うどん→先日の関西出張で二度食い.
14)業界は狭い→同学や他大学,博物館業界ネタで,いろいろな知り合い多しで,ウワサも!?.
15)ネット環境への適応→前の職場は15年前のシステムで今の状況に慣れる日々.
16)国内調査→水辺の比較研究(備前,播磨,近江などを含む低地比較研究を再開).
17)学生時代の調査での電話取材→伝えるのは難しい.
結論としては,充実はしているが,まずまず多忙.
この半年くらいの生活スタイルは朝方(フィールド仕様)に変え,早く研究室に入るようにしている.しかし,朝方の脳が疲弊していない時は,事務作業は正直,したくないが,そうも言うことさえもできない状況も多々.
いろいろな共同研究の企画などがあるが,この夏から初秋の締め切り原稿も「いろいろ!」
大学広報の仕事で、標記の取材を受けていた。
以下の情報は、大学のWebより!
こだわりのあるティレクターさんや、すこし(だいぶん?!)変わったカメラマンさんの姿勢は、刺激的で勉強にもなり,共感できた.
しかし,午前3時からの登山は、眠い。
公共の媒体で、汚い顔が・・・・しかし,これも仕事.
(ここから)
いろいろな締め切りや、催促などで忙しいなかでも、出張などが続く。
(忙しいなら、出張するなということは、フィールド・ワークをするな同義!?である。)
このところの動きは、以下の3つ。
1)共同研究のあり方
2)岡山の考古学
3)琵琶湖とエコトーン研究
1)共同研究のあり方
昨日までは、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所における共同研究
「社会開発分野におけるフィールドワークの技術的融合を目指して」
(代表:長崎大学・増田 研)に、一年ぶりに参加した。
昨年は、海外調査との日程が合わず参加できなかったが、刺激的であった。
その前の週には、広島大学で開催されていた文化人類学会に人生で初めて参加して、
以下のようなことを感じ入った。
(仲間へ流した感想の一部。地理学者は一人だけ)
1)「実際的に、方法論が(ある程度)融合させられたモデルとなる地域 (フィールド)調査を構想・計画する段階」にある。 ・・ということです。机上において、異分野との研究者で、いまの現状に納得できないフィールド志向 の(話せる)研究者同士が、うだうだ議論することは必要ですが、実際の成果を 見せる段階になっていると思います。(若手(次世代)を意識した地域調査の一つのあり方の提示) 既存の領域との技術的データの精緻といった観点から、批判することはあまり融合を志向する立場からは、
生産的ではないように感じます。それよりも、データの加工段階で、異分野の視点から、解釈の多様さを議論する ほうが、生産的だと考えます。
2)「もっとも共同研究を苦手とする文化人類学(宮本、2011)は、「問い」(問題意識)を他の領域でも共有で
きるものとして、地域(フィールド)調査を企画・立案する段階」です。 そのなかで、保健医療や公衆衛生を「大きな問い」として、融合させた地域調査は、この共同研究の「落としどころ」かもしれませんね。
2)岡山の考古学
岡山の考古学といえば、「考古学研究会」?。・・・・思うところは多々あるが、入会した。
フィールドを開拓しないといけないが、日本考古学(そもそも、「日本」と冠する意味はあるのかと??大いに疑問)とは違う視点での研究を展開したい。
3)琵琶湖とエコトーン研究
共同研究を持ちかけられているので、前の職場(琵琶湖博物館)や、県内の大学関係者のネットワークを活かした調整も再開する予定。
・・・ということを、琵琶湖の上(下の写真)から考えていた。