日記と記録,そして「過去」

日記をまとめる習慣は,高校生時代にさかのぼる.
・・と書いても,そんなことだれも知りたいと思わないでしょうが(笑),つまりは,このブログの内容はノンフィクションではない.


高校生は,田舎だったので,選択肢がなく,伝統ある進学校で生活した.反面教師が多いと感じた日々で,表面上の成績は良かった.(オイタする(80年代用語)友人が周りにいたが).毎週のテストで,クラス替えがあるような「異常」な高校だった.

そんな日々のなかでの,自己表現は新聞への投稿だった.(ほんとうは,投稿で掲載されると図書券がもらえるのがうれしかったのだが...)

何度か,掲載された.

そのなかで記憶にのこっているのは高校生最後の投稿.内容は受験至上主義での教師批判.いまから考えると青臭いが,掲載後,言われなき批判を受けた.本人は事実を投稿したまで,反省はしなかったが,いまでは反面教師として,いまでも再会したくないが,「感謝」はしている.


日記にもどろう.

ワープロもパソコンも買えなかった学生時代は,手書きの日記だった.いまでは,自分用の日記と,いまのブログと二本立てである.振り返ることは,ほぼないが,論文を書くときなどは,便利でもある.
しかし,日記は事実を記載しない.またこのブログでも,誇大表現がある.

ただ,毎日,文章にするという習慣化は,この職業を選択した結果では,よかったと感じている.
業界用語だが,野帳(フィールド・ノート)の存在をしった時には素直に「感動」し,いまでも愛用している.



ただしである.

過去,あくまでも過去のレンアイチュウの「記録」は・・ハハハ....

back spaceで消去できないのである.

過去のレンアイは別として,上記の反面教師にはあと10年ぐらいしたら再開したいと思う時もめぐってくるのだろうと感じている.


追伸
家人曰く.
「過去の研究をやっているから,過去に執着するのはマチガイ!」(らしい).


ハア.そうですよね.

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