お金がないとこと,フィールド・ワーカーの耳学問

今日は,急遽,某プロジェクトの打合せのため,古都へ.長袖は暑いくらいの陽気だが,空気は澄んでいて北山を望む景観は格別だった.

「学生時代に4年間クーラーなしの生活をこの地で過ごしたが,こういった景観の美しさを感じることはなかった.悩んで,バイクで林道のツメでビバークすることはよくあったが...」・・・なことを,地下鉄から地上に浮上して5分間の徒歩で感じた.


このブログで【貧乏だった過去】(今も「裕福」とはほど遠いが,),を記述したが,苦痛ではなかった.

具体的に指摘すると,3000円以上の本は基本的に購入できず,読みたくてたまらない一冊(書き込みしたくなる衝動をおさえることができない一冊)は,図書館で借りて,土日に全ページ複写した.(書店さんゴメンナサイ).


今は,新刊情報と書評などで確認し,野帳にメモし,ついでのときに書店で手にとって目次と内容を確認し,その後,衝動買いを抑止するため一週間おいて,ネットで古本検索し,購入する.

その基準は,いまだ3000円.

いつも,高い本は前ページコピーする衝動はあるが,就職して同じ行動をしていたとき某先生から次のように指摘された.

「就職できたんだから,君が買いたいと思った本や,買うべきと思った本は惜しまず買いなさい」と.その意味は,購入することによって売れない学術書業界のすこしの安定につながり,今後につながる,と解釈した.
(実は,その先生が出された本を全てコピーしていたということを口走ってしまったからである).


つまり,お金が乏しいことは,工夫を生み出すということだとも言える.(ちょっと,疲れているので,論理的な整合性はない).



今日の,フィールド・ワーカーの集いは,現場で考えること.行ってみたい衝動を抑えることができない人たちの集いでもあり,いつも刺激的だ.


それは,当面とか,打算とかというワードで表現できない「力」を感じる.


【みなさん.良い生き方をされた(ている)という表情(達観か?)をされていて,元気と刺激をもらった一日】
異分野(そうも言えるかどうか,分からないし,括る必要もないだろう)の議論は刺激的だ.


ただし,お金がないので,明日からの学会は,関西から陸路東北遠征である.学生時代となんら変化していないが,その過程も疲れではなく,楽しみつつ思考したいと思っている.
(愚妻も怖い)



追伸
いまいち,オチがない.
深夜なので,お許しください.

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