夏のカンサツカイ

人生の勉強になった一日.

県内の某所で,活断層の観察会の一日だった.基本的に雨男なので,結果をそのように予想し,対処していたが,逆で,ナツだった.

距離的には,フィールドワーカーとして,たいしたものではなかったが,気疲れはあった.しかし,さまざまな人生の先輩から学ぶことは多く,充実した一日だった.(先輩だけでなく,子供の感性にも).

その中で,近江の図書館論,強引に展開すると「文化度」についての車中議論があった.

「あたりまえのことを,あたりまえに感じると,そうでなくなったときの反動は大きい」
「段取りされた【答え】ほど,深く,学びのないことはない」

・・・と,想像力?高まる議論が展開された.

考えてほしい.

結論

いま,当然となっている対象物や現象の意味や過程(歴史といってもいいのかもしれない)を思考することこそ,【知的】ではないか.知的な生産活動は【想像力】である.この【想像力】,他者への『おもいやり』にもつながる.

そう,メイテイしながら,「まとめ」入っている.

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