ゴールデン・ウィーク論

震災後の不安定さは列島を覆うが、行楽ムードが、陽気な気候変化とともに感じる日々。

しかし、小生の気持ちはまったくそのモードにならない。よく考えたら、ここ数年は、この時期は原稿や各種の事務作業を集中して行う貴重な時間となっているし、そのような研究者仲間は多い。

しかし、この大型休暇は、歴史的な経験として構築されたのだとも感じる。つまり、1)年度末から年度初めの「あわただしさ」からくる肉体的・精神的な疲労回復2)季節の変化にともなう初夏へと向かう気候変化からくる肉体的適応時間の猶予期間

・・・と考え、観光や行楽の意義やその効果(非日常への逃避など)は理解できるが、人混みは、やはり疲弊するのはトシのせいだろうか?

・・・と妄想し、そうではなく、経験として人口が過密する空間(都市)で喜びを感じた経験がほとんどない、事実を思い知った。

平たく言えば、そのような場所・空間は、「たのしめない」のである。

しかし、なぜ、バングラデシュや、インド?。といえば、「おちつく」のである。それは、外国人としての立場性や、旅人としての無責任(注:沢木耕太郎風表現)なのかもしれないが、

そんなことを考えつつ、頭を抱えながらPC(弁当箱)に向う。

備考

ここ数日は、私用と半私用で東京から西日本を往復していた。そのような環境で、大学院生以来となる深夜バスで東京へ。

on the way to North-Eastern India from Bangladesh. Photo by Haruo Uchida, 2008

写真は、2008年の2月〜3月にかけて、バングラデシュからインド北東部へ陸路で越えた時の国境付近の景観。石炭採掘のため、丘陵地形は大きく改変されている(撮影:内田晴夫)。