おみやげ考

以前,といっても数年前,あるバスの運転手さんに以下のような発言をいただいた.

「にいちゃん,滋賀県の人がいちばんおみやげに投資する金額がおおいらしいで」

その客観性は別として,滋賀県,いや近江のを特徴づける文脈かもしれないと解釈した.

ところで,当方である.

買い物は大の苦手である.それより人混みは敬遠する.

旅である.おみやげは,「義務」としてとらえるとツライ.また,荷物のエクスチャージが気になる.などなど・・・

結局,空港でとなる・・・

著名な,民族学者は「おみやげ不要論」を展開されていた.

再読しようか,と思っている.

結論
自分のための買い物さえ苦手なのに,他者への配慮を考慮した,買い物を自己に求めるのは,酷である.

珍道中?のインド北東部

昨日早朝に日本に帰国した.

その詳細は,毎度の帰国後の「混乱」で後ほど記述するが,以下に脳の記憶に残っていることを記す.

・柏崎での地震
 調査地への移動中の宿で,地方新聞の記事で確認した.そのなかで,atomicという記事が目にはいり,「日本にかえれるやろか・・・」と一瞬真っ青になった.

・数々の自然,人為的トラブル
 自然はland slideと台風による飛行機遅延,人為は飛行機欠航とその後のインド人とのチケット確保合戦.

・高度変化
 50メートル地帯から4000メートル地帯への移動.暑さと寒い箇所への移動にともなう,身体的かつ自然環境,人間の生活環境の変化.(私は,高山病にはならなかった)

・・・・と枚挙に・・・が,これだけおこったら,「怖いものなし?」の心意気?

記憶は薄れてゆくものだが,たぶん忘れることができないくらいのディープなインパクト.

その結果として,私は下痢に悩まされている・・・・・ハハハ.(結果ではないが).
おまけに,私のオートバイは,致命的な症状に・・・

追伸
8月は南部アフリカ地域調査.それまでの過程は想像したくない!?
さらに,台風も接近中.

結論
雨男である.

インド北東部は明日から

これまで,台風も含めて欠航は3回あるが,明日は4回目になるのだろうか?


明日から,インド北東部への調査.
毎度ながら,出発前は落ち着いて「明日からだ!」と気合い入る状態にはならず,睡眠不足で,「はるか」に飛び乗る状態だ.

これまでもずっとそうだったから,これからもそうなのであろう.

・・ということで,慎重にリストアップした持ち物確認リストを用意していが,最後は,なるようになる,と【確信】して,
機上の人となる.


基本的に雨男であるので,納得済みでもある.

でも,いろいろなことで,インドに電話すると声と電話から想像できるインドに空気が感じられて,体と心を慣らすのには
良い時間だった.

カルカッタは暑く蒸し暑いだろう.

追伸
写真は,乾期のインド北東部の焼畑の景観.

古本の快楽

出張先やその過程での読書は意外に集中してよめる.
もちろん,ある場所での調査結果は,その場所で読むと,よりリアルになる.

逆に,多忙で文字を追う時間が限定されてくると,その反動で,本の山が蓄積する.

・・・という訳で,意識外にヤマは高くなる.


本を探すことは,インターネットが整備されてて,容易になったが,「ヒットした」一冊にはなかなか出会うことはできない.

たとえば,「書評」を基準に本を選ぶことも可能だが,これもむずかしい.

やはり,アナログ的に手にとって,というのが一番たいせつなことなのだろう.


そのなかで,古本に巡り合う機会は,ネットが充実してきて各段に便利になった.いま,1960年代に出版された著名な初版本をよんでいるが,いまでは絶版で,文庫でも入手できない.

初版本は,装丁にも著者の心意気も感じられて,「迫力」が違う.


でも,コレクション化させるのは,本も「ホン」もうではないだろう.

追伸
写真は,インド北東部の家屋建築現場(2007年2月撮影)

現象を切り取ること

フィールドでの情報は,情報過多で,消化不良に陥る.

その結果として,テンションが挙がる.

そして,そのテンションが落ち着いた「時」に,吐き出す行為(ロンブンの生産)が始まる.

・・・だいたい.フィールド・ワーカーの心境はこういったことではないだろうか.

逆に,自分の感性を維持させるために,フィールドにあえて出向くことも,必要なことだと思う.

某雑誌で,あるベンチャー企業の社長が以下のような発言をされていた.

「社内で完結する仕事のみでは,次の展開はない」「街に出ろ」と.

街を楽しむ習慣や,感性は田舎者の当方にとってはないが,街=フィールドに置き換えると,・・・・・である.

そう,「発見」がある.発見は次に必ず繋がる.

それを,どう評価するのかを,聞いてみたいキモチである.

とはいっても,次の一節に救われる.

「日本の良心は,ある著名なフィールドワーカー(鶴見良行)の文庫本だけをもって,アジアに出かける若者がいる」(正確ではない)という最近斜め読みした一節である.
(実は,私も京都時代に講演会にでかけた記憶がある)

追伸
写真は,インド北東部の夕刻に観察した「火入れ」である.
どういった意味や目的があるかは,フィールドにでないと分からない.また,その迫力も.

フィールドに固執する理由

海外研究はもとより,野外での五感を駆使した作業は,生産性はよくない.

でも,たいへん必要だと思う.

なぜか,「ブレ」させないためだと思う.


海外においては,必然的に「異文化」の情報過多に陥り,時間がたつと,日本が多面的と,立体的にみえてくる「瞬間」が必ず訪れる.その瞬間が,指摘されてっきた「ブレークスルー」につながればと思う.

しかし,そこに住む人々の生活を垣間見ると,上記のことは「どうでも,よかろう」と思う場面がおおい.

それは,「笑顔」と表現すろと,ロマンティストと酷評されるのであろう.

「美しく」生きるのは甚だ困難である.

追伸
写真は,ナミビアでみたチーター保護区の一場面.

書きとめること

あわただしい毎日(自分の能力の無さ)を過ごしていると,忙しくしている自分が習慣化してくる.

は,よろしくないと思う.

こういう媒体も,速効性が求められているようで,私の本心とはかけ離れている感性をこの媒体はあるようだ.

とはいっても,何もない「思索の時間」をこの国の社会では共有されていないようで,研究の世界でも,【わかりやすく】,【成果のでやすい】,【役に立つ】というキーワードがもてはやされている・

もちろん,成果は重要で,評価の第一基準である.
しかし,研究史,いや歴史性をすこしひも解いてみると,役に立った研究成果が読み継がれることはない.

いま,1940年代の欧州戦線で【書きとめられた】歴史書を読んでいる.

迫力という陳腐な表現だけでなく,「次世代に読み継がれる一冊」という感覚を実感している.


追伸
写真は,ナミビアでの調査中のヒトこま.OさんとYさんがフィールドに挑み始めている.