長崎の記憶

長崎ネタ.

最初に長崎の地に立ったのは,中学生の修学旅行.
とても蒸し暑かったこと,そして,駅の高架から路面電車を眺めていたこと,さらに,写真の光景を覚えていて,ぜひ訪れたいと思っていた.

真実の・・・という語りがあったが,本当の彼の人間らしさというものを知りたいと感じた.深くは書かないし,この場では書くことではないのかもしれないが,〈思うところ〉があった.

【想像力】をはぐくむのは?ということを最近考えている.

個性的を重視するようり,想像力っじゃないの?と感じている.

追伸
仕事でもっともストレスを感じるという統計調査では,想像力なき「騒音」らしい.今回の旅ではなかったが・・・・・・・・・・

説明できないこと

混乱のシステム障害の渦中の航空会社をつかった旅の途中で,いくつかの速報を空港のTVで見た.

社会的に影響力のある立場にある人が,自己の一方的な主張でああいった行為を行うのは,間違いだと思う.

「世情」を把握できていないと思う. 「ズレ」ている.

少々,怒りに満ちた気持ちになった.

閑話休題

機内からは晴天だったので,模型のような複雑な西日本の地形が観察でき,地理屋としては大満足な時間であった.「土地に刻まれた歴史」を感じたひとときで,いろいろなアイデアが浮かんでは消えていった.

NamibIa

ナミビア隊の発表は終了.

当人の発表も.

睡眠不足による疲労感は,【いつものこと】だが,隊の学生メンバーの成長は刺激的である.

そう,人間はすてたものではない.

・・・と人間を評価できるほど,エラクないですが.

当人の発表は満足感とはほど遠いが,刺激的な日々で,ようやく旅を感じることができる.
(でも,いつものことだ).

いろいろな場面でがんばっている人との議論は【刺激的】である(さいきん,刺激的という表現が多いなあ.刺激を渇望している訳ではないが・・・)

・・・と,一段落ではある.

閑話休題.

普段,常駐先(つまり,家人との生活の場)では,テレビの時間は少ないので,旅の時間の動画の情報量に驚嘆している.

この情報量.

多くても,少なくても・・・と思う.

ほとんど,世の情報と隔絶している当方が生きながらえているのだから,必要ないのかもしれない.


今日,学会の会場階下では,アイドルのコンサートが開かれていた,でも,「読み方」がわかりませんでした.(ルビをうってほしい)

【セキサバ】と思いましたよ.

追伸
写真は,ナミビア2006のBush Fire.
恐怖の瞬間.

AFRICAN STUDIES in NAGASAKI, 2007

そう,今日から「アフリカ」である.

当方の発表の準備はいまだ継続中だが,アフリカであある.

アフリカと聞いて,日本,日本人は【遠い】イメージだろう.実際,遠い.

だが,しかしである,

学ぶべきことは多い.

ただし,アフリカを羨望の対象としているだけでは,研究者として・・・また,稚拙な理想もない場所である.効率の範囲ではなく,【打算的】な人間には太刀打ちできない領域.

それが,【アフリカ】だろう.

ただ,切実な歴史と現実をおっている(おってきた)場所である.

AFRICAを題材だけとした研究発表は辟易するし,そうすべき場でもない.

ただし,

【AFRICA】の幻想という時代でもない.現時の時代である.

いつも,そう感じている.現実とどう「折り合う」かだ.(あまりにも,切実なので,表現は適当ではない)

・・ということで,イメージはナミビアの一コマである.

長崎は・・・「晴れ」.

長崎は雨でなく,【曇りのち晴れ】

また,学会発表のため出張中である.

しかし,

いまだ,途中である.

せっかく異国情緒のある長崎にきているのに,ビジネスホテルの狭い一室で奇声を発しながら,悶々としないといけないのか!?.

自分がちゃんと準備してこないからである.

・・・と部屋から出る気もしない.

納得は到底できない.満足など,ほど遠い.


・・・長崎の夜は・・・・・・・・晴れている.

追伸
すこしは,文字だけではなくハイカラなブログにしなさいとの意見があり,3月のバングラデシュ調査の一コマをアップします.
「みんな,元気かなあ?」
みんな,いい顔している.

さらに続く

安易に妥協することで,自己を納得はさせたくない.

・・・と思いつつも,「これで,どうや」と思ってしまう.が,作業中にいろいろなアイデアが浮かんで,そっちに走ってしまう.

たぶん,飛行機の機内でも・・・・・

・・・と,しょうもない自分の日記はやめておこう.

今日,学部学生時代に授業に出ずに遺跡発掘のアルバイトをさせて頂いていた埋蔵文化財センター(山城盆地の小さな自治体)の元技師さんが出版された大著の「あとがき」を斜め読みした.

あの時代が描かれていて,感涙ではないが,「共有」できる時間と場があり,「言い訳はできない」と自分にムチをうった.

あのころ,発掘現場が終わると,食事をしてから報告書作成のための夜の部が始まった.何気ない会話が耳学問としてたいへん刺激的だった.また,現場も好きなようにさせてもらった.

その時の会話は,ロマンティズムに沈殿する訳でもないが,なぜか,授業よりも覚えている.(その授業.自分がやる段になってノートがなく,たいへん困るのだが)

明け方,西大路通りをバイクで超法規的速度で直進した.

もっとがんばらないといけないと思った.

・・・と【現実逃避】する弱い自分である.

まだまだ続く

休日にも机に向かう日々である.
学会発表や研究発表を今月に4件集中させたためだが,毎週末はチトつらくなってきた.

【休日】だが,朝から机に向かいつつ,洗濯機を回し,洗濯物もほしつつ,風呂を掃除しつつ,昼になった.午後からは,子供の参観日とPTAの総会.我がDNAを分けているとはいえ,全く行動が理解できないこともが不思議だ.PTAはある意味,女性集団のなかでの「忍耐」の時間.

取りかかるまでの思考の時間は長い.が手をつけると,かたちになりつつあることに満足感を感じることが楽しい瞬間.(だろうか?)

だが,

歩数は限りなく少なく,トイレの往復.

それは,所要時間15分程度の小学校の往復でも,体力のなさを実感した.

・・・・・オチを考える余裕が,いまだない.

後処理と夏日

昨晩は,力尽きて沈殿したが,今日から日常が戻った.

午前中は,出張の後始末などで終始し,午後からあわただしく遺跡の予備調査.

有機物の集積する堆積環境をどう解釈するのかがモンダイで,いろいろなアイデアが浮かんだが,いかんせん,学会発表や他の締め切りがあり,気持ちが集中させてくれない.しかし,その後,出土遺物を見せて頂き,その迫力に圧倒された.

暑い一日.

研究室に帰ってきた後,ファンド申請の議論で,研究のターゲットの検討.
研究は楽しくするのが,「理想の権化」だが,遊園地のような楽しさではない.文章化することはしんどいし,出すときはいつも「胸突き八丁」である.

でも,そういった過程はどんなクリエーティブな作業に共通する作業だろう.

院生時代の,鉄の彫刻をやっていた下宿階下ののみ友達も,深夜や明け方に「奇声」を発していた.(締め切りまぎわだったらしい).

自己を表現することは難しいが,「やりがい」はある.

その「やりがい」を発見する作業は,他人から教わるものでもない.自分でみつけるものである.

以上.

人ごみと発表

睡眠不足で体温が高く,テンションをあげた発表準備の影響で,人間GPSが誤作動し,目的大学にたどり着くまでに,たいへん時間がかかった.

某学会の会場は,シブヤであった.

スクランブル・交差点

登攀はよいが,下りが・・・どこで降りたらよいのか,迷った.また,人ごみは・・・

こんなに田舎人に慣れきっていたとは,自覚さえなかったので,少々自分に驚いた.

田舎は,人の少なさに安心した.


尊敬する研究者のコメントと議論は勉強になり,精力的な仕事をしている研究者の発表は積極的な批判精神があふれた発表で,刺激になった.

慢性的な睡眠不足を体で自覚する段階に到達した.

「心地よい疲れ」で,眠い.

以上.オチなし.

Tokyo

【私的東京論】

でも,東京は「苦手」である.その公立大学に通っていたが・・・・

なぜか.

単純である.

私にとって,「人が多すぎるし,都会だから」



いつも,東京駅に着くと「いや~なキモチ」になって,帰ることを考えている.

真面目に返答すると,都会で生まれ育った「経験」がないので,マチの楽しみ方を知らないのだと思うし,人の多さに対処できる術を身につけていないのだと説明できる.

ただし,好きな場所はある.

「上野駅」周辺と「上野公園」

この界隈に空気は,関西では味わえない.都市形成過程という視点で,歴史的に説明できる知識の一端は持っているが,博物館が集積する空間と,関東の落葉広葉樹の「空気」が都心で味わえる空間は田舎者にとってうれしい.東京で時間があると,必ず,上野に来る.

といいますか,東京の電車路線は複雑すぎて,単線路線で育った私は,記憶できない.


【追伸】
新幹線で仕事と読書をする予定だったが,「おばちゃん」のマシンガン・トーク(4人集団)が前の座席で2時間半展開されており,冷たい視線を「送信」しているにもかかわらず,集中することはできなかった.(この時ほど,ipodを携帯していればと思った瞬間はなかった(笑))


たのしい旅を邪魔するつもりはないけれど,「すこしは,仕事人もいることを配慮してほしいなあ.」

・・・と,オジサンは思った.

準備は続いている.