Research Records: 業績追加(2014年1月30日)

以下の研究業績(紀要等)を追加した.

出張や実習を繰り返していた時間に校正した記憶で,半分忘れていた頃に・・・・年末だったような・・・・

 

宮本真二(2013)中池見湿原堆積物の花粉化石からみた最終氷期以降の植生変遷.地域自然史と保全,35,(2),95-102.

宮本真二(2013)袋状埋積谷としての中池見(巻頭写真および解説).地域自然史と保全,35,(2),表紙カバー・裏.

Oumi, Shiga and Lake Biwa: 【補足】「記憶」としての近江(2014年1月29日)

Minami Kusatsu, Kusatsu, Shiga Prefecture. Jan. / 2014. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Minami Kusatsu, Kusatsu, Shiga Prefecture. Jan. / 2014. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

 毎年恒例の滋賀県立大学「自然地理学」の集中講義で近江へ.

琵琶湖博物館に勤務していた頃は,年始の寒い時期に行っており,その寒さゆえに,

昨年度は初秋に行った.

しかし,今年は事情で,冬にもどした.

 

瀬戸内生活が二年目となると,近江,とくに湖北の冬は寒く感じた.(具体的には,日本海側の冬)

この期間に合わせて,滋賀時代の懐かしい友人に逢い,その道中の近江の様々な景観は,

昨年は感じなかったことだが,「懐かしい」ということと,「めずらしい」ものに自己の中で変化していた.

 

つまり,一年を経過することによって,近江は記憶された時代になりつつあることを痛感した旅であった.

近江の魅力や潜在力を感じ取ることもでき,研究の対象として冷静に観察することもできた.

つまり,フィールド・サイエンス一般にそうだが,「地元」を研究対象化することは,利点もあるが,そうでない

側面もあるということだ.

 

 

写真では確認できないが,比叡の稜線は,とても美しい.瀬戸内も景観も美しいが,この景観は近江ならではで,

今後が楽しみでもる.

University? or Universal?: 大学人な悩み?(2014年1月23日)

End ?. Jan. / 2013/ Myanmar

End ?. Jan. / 2013/ Myanmar

 ミャンマーのあの景観を想像できないくらい,なにかとあわただしい日常.

 その要因は,大学人なら共有できる先週あった「あれ」以降から,

 

 それで,小生の学部学生時代を一瞬思い出してみると,以下のキーワードが劣化する脳みそから「抽出」してきた.

 

 湾岸戦争開始,京都駅伝,コンビニ弁当など...で,しかしながら,試験を受けている自分を思い出すことが不可能であった.

 

 ・・・という意味は,いかにまじめでなかったか?!ということに関西人のオチがあるような・・・

 

 

  おべんちゃらでなく,岡山理科大学は,まじめな理系大学なので,文学部出のワタシは,気の毒に思うほどほどたくさん試験があるような気がします.

  →逆説的には,しっかりしているということです.

 

【写真解説】ミャンマーから帰国する前の空港での「儀礼」.ミャンマー・ビールは,うまい!(どこでも?.日本で飲んだことはないが.)フィールド・ワーカーなら,帰国直前の,旅の総括する一瞬としてこの瞬間の価値を共有できるだろう(飲んべえのいいわけ!?).まさに,「儀礼」.

Curator?, Research Scientist? or Researcher?: 博物館学芸員と職業研究者(2014年1月17日)

岡山理科大学 生物地球学部 は,次年度3年目となるので,専門性ある教育コンテンツが増加する.その中での議論をふまえ,以下のようなメモをバージョーンアップしてゆき,次世代の参考としたい.(・・というほど,偉そうなものでもないですが・・・)

大学に移って,2年目になり,博物館との関係などについて,聞かれることが増えてきたので,以下に順次まとめる.

 

 1.どうしたら博物館の学芸員になれますか?

・博物館勤務時代は,どうしたら学芸員になれるのですか?,という問いであったが,以下のように返答していた.

・論文を書いて,研究業績を蓄積すること.

→研究職でない博物館はこのような返答ではないと思うが,研究することが認知されている博物館では【真実】である.

→琵琶湖博物館は,学芸員=Curatorではなく,Research Scientistとしたことに,志がある.その意味は深い.

→私自身積極的に学芸員を目指したのではなく,結果としての職業選択であった.

→しかし,考古少年で,学芸員という職種の存在は,小学校から知っていた.

 

2.どうして博物館から大学に移ったのですか?

・研究者として職場を移ることは,プロの世界の常識.

→とむかしから思っていたし,恩師,先輩,後輩もそうであった.

→博物館から移動しないという選択肢はなかった.研究の進展具合や,業績の蓄積具合によって職場を移すことは本人のみならず,元の職場にも寄与できる.

・移れない人には,それなり理由がある.

→事実なので,誤解も何もないが,サッカーや野球という,プロの世界と同じ.

→日本のワークスタイルの変化という環境変化ももちろんある.

・多様な条件で,恵まれていること.

→少なくとも,先の職場では,大学から博物館へと職場を移した人はいない,という事実がこれを端的に表現しているだろう.

・博物館であろうが,大学であろうが研究の「らしさ」の違いはあるが,研究することは同じである.

→したがって,研究を博物館で思考する場合は,その職員の業績評価がより積極的になされることが,経験として今の博物館に強く求められ,それは専門性を高める行為にでもある.

 

3.今後,学芸員(博物館)を目指す人へ

・研究ができること

→研究条件が博物館が悪いとは,労働条件云々の議論は,研究ができること(業績の蓄積)の上に成立する議論であり,継続的な研究論文が蓄積できる能力が第一条件である.

→研究は「超個人的行為」(by 川那部浩哉(元 琵琶湖博物館・館長)であるが,他の多種多様な仕事と同じである.

→「超個人的行為」であることは,精神的な自立が必要である.

・流動的であること

→研究はエキサイティングな世界で,「個人」の評価が問われる世界である.その個人の評価を組織として構築する必要がある.公的機関にありがちな,方便がまかり通っている場面が多いように?というのは,言い過ぎではないと思う.

・趣味と博物館

→博物館は研究が必要である.

→研究は趣味ではない.仕事である.仕事である以上結果が求められることは,他の仕事と同じである.

・学芸員の仕事

→上記した研究以外の仕事は「雑芸員」と称されるように多様だと反論されるが,両者を経験した私にとって,大学も多様であり,私には方便にしか聞こえない.プロである世界の緊張感がよい成果をい生むのは,職業研究者という業種に限定的な議論ではない.

 

4.そのほか

上記に関わるこれまでの議論は,

宮本真二(1997)博物館における自然地理学の役割.立命館地理学,9,77-81.

宮本真二(2010)博物館と地理学.地理55(10),12−19.

宮本真二(2011)インタビュー博物館の地理学者10 滋賀県立琵琶湖博物館 宮本真二さん.地理,56(9),古今書院:90-91.

にもある.

Presentation in Myanmar: ミャンマーで発表(2014年1月14日)

2014年の年末年始がなかった要因その一つであるミャンマーでの出張で,以下の発表を行った.

ミャンマーは,琵琶湖博物館時代の最後の海外出張である2012年2月以来で,今回はドライゾーンに多く滞在したが,激動を感じつつも,「らしい」ミャンマーでもあった.

ミャンマー,バングラデシュ,ブータン,インド,日本からの参加者のみなさん,お疲れ様でした.

正月を感じたいが,仕切り直しする時間はないような?????

Shinji MIYAMOTO. “Historical Geomorphological change and human activity in Alluvial Plain of central Japan”. “International Networking Project to Share Experiences of Sustainable Development and to Cope with Natural Hazards on the Periphery of Bengal Bay”. By SEAMEO-CHAT, FREDA, ICCDI, Yezin Agricultural University, Myanmar, CSEAS, Kyoto University, Japan. Date: on 5th and 6th January 2014. Venue: SEAMEO-CHAT, Yangon, Myanmar.

“International Networking Project to Share Experiences of Sustainable Development and to Cope with Natural Hazards on the Periphery of Bengal Bay”. By SEAMEO-CHAT, FREDA, ICCDI, Yezin Agricultural University, Myanmar, CSEAS, Kyoto University, Japan. Date: on 5th and 6th January 2014. Venue: SEAMEO-CHAT, Yangon, Myanmar.

“International Networking Project to Share Experiences of Sustainable Development and to Cope with Natural Hazards on the Periphery of Bengal Bay”. By SEAMEO-CHAT, FREDA, ICCDI, Yezin Agricultural University, Myanmar, CSEAS, Kyoto University, Japan. Date: on 5th and 6th January 2014. Venue: SEAMEO-CHAT, Yangon, Myanmar.

 

 

博物館と大学:学芸員と大学教員(2014年1月3日)

 大学に移って,2年目になり,博物館との関係などについて,聞かれることが増えてきたので,以下にまとめる.

 1.どうしたら博物館の学芸員になれますか?

・博物館勤務時代は,どうしたら学芸員になれるのですか?,という問いであったが,以下のように返答していた.

・論文を書いて,研究業績を蓄積すること.

→研究職でない博物館はこのような返答ではないと思うが,研究することが認知されている博物館では【真実】である.

→私自身積極的に学芸員を目指したのではなく,結果としての職業選択であった.

→しかし,考古少年で,学芸員という職種の存在は,小学校から知っていた.

 

2.どうして博物館から大学に移ったのですか?

・研究者として職場を移ることは,プロの世界の常識.

→とむかしから思っていたし,恩師,先輩,後輩もそうであった.

→博物館から移動しないという選択肢はなかった.研究の進展具合や,業績の蓄積具合によって職場を移すことは本人のみならず,元の職場にも寄与できる.

・移れない人には,それなり理由がある.

→事実なので,誤解も何もないが,サッカーや野球という,プロの世界と同じ.

→日本のワークスタイルの変化という環境変化ももちろんある.

・多様な条件で,恵まれていること.

→少なくとも,先の職場では,大学から博物館へと職場を移した人はいない,という事実がこれを端的に表現しているだろう.

・博物館であろうが,大学であろうが研究の「らしさ」の違いはあるが,研究することは同じである.

→したがって,研究を博物館で思考する場合は,その職員の業績評価がより積極的になされることが,経験として今の博物館に強く求められ,それは専門性を高める行為にでもある.

 

3.今後,学芸員(博物館)を目指す人へ

・研究ができること

→研究条件が博物館が悪いとは,労働条件云々の議論は,研究ができること(業績の蓄積)の上に成立する議論であり,継続的な研究論文が蓄積できる能力が第一条件である.

→研究は「超個人的行為」(by 川那部浩哉(元 琵琶湖博物館・館長)であるが,他の多種多様な仕事と同じである.

→「超個人的行為」であることは,精神的な自立が必要である.

・流動的であること

→研究はエキサイティングな世界で,「個人」の評価が問われる世界である.その個人の評価を組織として構築する必要がある.公的機関にありがちな,方便がまかり通っている場面が多いように?というのは,言い過ぎではないと思う.

・趣味と博物館

→博物館は研究が必要である.

→研究は趣味ではない.仕事である.仕事である以上結果が求められることは,他の仕事と同じである.

・学芸員の仕事

→上記した研究以外の仕事は「雑芸員」と称されるように多様だと反論されるが,両者を経験した私にとって,大学も多様であり,私には方便にしか聞こえない.プロである世界の緊張感がよい成果をい生むのは,職業研究者という業種に限定的な議論ではない.