集中力

過酷なネンドマツだった.

インド,バングラデシュからの帰国後は・・・・・・いろいろありすぎて・・・.
でも,支えられて生きていることを実感した3月.成長したし,多謝.

昨日は,京都の国立大学へ午後から研究会と調査打ち合わせ.職場を出る前,むかむかさせられた.
でも,むかむかした自分もまだ若いなあ.

変わって,最近読破したのが「科学者という・・・」という新書と,読破中なのが「ミャンマーと
いう国への・・」.前者は自己の位置を確認するのにたいへん便利な一冊.後者は,アジアを知って
いたら(興味があれば)必読の一冊.

こういった余裕をあえてつくる時間もたいせつ.

でも,結局は「集中力」だ.

トシとともに・・・・だが.

機上に人になれるのか?

雨男の調査日

待ちに待った訳ではないが,現場担当者の心意気に共鳴でき,また遺跡らしい遺跡
の調査のため湖西の山中へ電車で2時間.まだ肌寒い.先の調査は1月の雪の中だったので
ましだが.

いわゆる中から高位段丘上の眺望のよい場所に立地する中世頃と推定される「庭園遺構」.
(ただし,ほとんど情報なし)

なかなか,日本ではお目にかかれない「国やぶれて山河....」が口にでそうな,
隠れスポット的遺跡.当時の都落ちした上流階級の生活者の息吹が聞こえそうで,
なんとも表現しがたい風情を感じる.
また,それが怨念を感じさせないような,オドロオドロシサがないのである.(科学者
の発言ではないが).

場末の定食屋で,おせじにもうまくない「わかめうどんといなり寿司定食」,630円を食
したあと,迎えに来て頂き,現場に入った.

先の調査の堆積層・相の記載断面を思い浮かべながら,サンプリング計画などを考えていたら「雨」.
この時期の雨は強くふらない.

しかし,フィールドノートと長靴の中はびしょぬれで,慣れているとはいえ,閉口する.
この集中は「好きだからだろう」と思うし,現場で議論することは,さまざまな
イマジネーションをかき立てられるし,道中の時間はよい読書時間である.
また,現場にきていた学生との会話も楽しい.10年前の自分を照射できるので,刺激である.

いま,春休みなんですね.駅ごとに学生さんの会話の内容も質も違って,おもしろい.
また,ネンドマツであるので,大人は忙しそうだ.

7時頃に最寄りの駅によって,海外調査で必要な薬や換金レートなどを確認していたら,8時.

帰りはバス.

その道中はもちろん・・・・.

フィールドにでると「興奮」し,体中泥だらけだったことを嫁に指摘された.近所の若夫婦に
「不信」の目が・・・

こうしてフィールド研究者の一日は終わる.

つかれる休日と終わらない一日

金曜日の午前中に吉報と思いきや,娘のガクドウから「お熱です」の電話.
急いで,バイクを飛ばして駆けつける.

しかし,元気じゃん!

ピンピンとはいかないまでも,風邪の初期症状.昼食を作って,寝かせるが,
遊びたいモードで,寝ないので,こちらは仕事しながら音楽を二人で聴いた.
夕方,近所の町医者で念のためインフルインザ検査.

モンダイナシ.

土曜日は,嫁との関係改善のための買い出しで,ぐったり疲弊.人混みはつらい.

日曜日は,ヒマラヤ研究で学生時代からお世話になっている某博物館の先生の退官
パーティーへ茨城へ家族と.本当は博物館も子供に見せてやりたかったが,風邪の人がい
るので,家で読書後に出かけた.

山屋と海外研究者同士の暖かくも熱い会で,ラテン系のノリで楽しいひとときだが,
つかれた.でも,みんないい表情で,こういった歳の重ね方は勉強になった.

そして今日.

海外モードと研究モードに移行したいが,各種書類の締め切りは,ネンドマツの恒例
行事で眼精疲労.

明日は調査だが,準備が・・・・・それに雨天・・・・・・・

まだ長いネンドマツ.

私の年休は?????

最後のツメ

昨晩,けっこうな高揚感と達成感があって,陽気になった大津から草津への通勤
ルートをバイクで走った.

仕事の段取りを考えているうちに,パスポートのコピーなどを始め,研究室にも
どると「電話」そして,メール.
修正と差し替えと,納品.

まあ,論文でも最後はこういったことは毎回で,落ち着いて対応できたが,帰国
以降,まともに休んだという実感がない.

結局は,睡眠不足なんだよねえ.

でも,イライラしているときには顔にでるようで,まだ「大人への階段」.
しかしそうはいっても,オチを考えながら工程を考えるのが,研究とオナジ.

こういったことを経験できることも,結果として「刺激」になる.

そういった意味において,充実した日々である.

3月は長いなあ.

明日こそ,研究モードにもどる(たい).しかし,ハードもソフトも進展しているなあ!

年度末は,人間性がよく分かる,たいへんおもしろい時期でもある.

緊張感

今日で,睡眠不足を招いた仕事は手が離れた(と思いたい).
インド,バングラデシュの記憶が薄れてゆく中,でも人に期待され,期待しているときは,がんばるのである.

でも,根本的に「研究したい」「させてほしい」「論文書きたい」の思いが強い.

でもね,恵まれていることに気づかないことや,自己を見つめられない人は,結果として「評価」の対象にもな
らないということを,感じる.

緊張感って,「大切」ですよね.

気持ちのモンダイ

・余裕がない(体力もココロも)とよい仕事はできないのが「結論」

・達成感も信頼の構築の上に成立する感情である,と学んだ.
つまり,「大人への階段を登っている途中」(山登りロマンティズムは,学生時代さんざん味わった)

しかし,勢いも必要.

私の研究室のデスク前の新聞記事には最後は「胸突き八丁」というコトバがある.
そう,論文も同じ.完成度を高めても最後は,自己に陶酔して睡眠時間を結果として削り,完成する.
そういう高揚感でいまはいる(酩酊中).山は越えたのだろうか!まあ,カンチェンジュンガくらいだろうか.

「きつい仕事」は,ガスを抜きながら・・・とはこの時期の当方の課題.

でも,いろいろな立場で職場にアイを感じてくれている方々に


多謝!!

久しぶりに熟睡したい!!!

テレビの情報量と志(こころざし)

「私,テレビ見ないんです」,「家にテレビはあるけど・・・」

といった一言で,相手の人は私に緊張する.
つぎのきっかけを思考しているのが,相手は手に取るように分かる.


海外にでると(いわゆる途上国),テレビを見ない環境が大半.そのような夜,
時間をどう「つぶす」?

それは「歌」である.

今回,あるバングラデシュの村に滞在していて(お尻を主体とした虫の攻撃履歴は過去参照)
結束ソースは「歌」なんです!

わたし,カラオケ大嫌いです!

しかし,

歌っちゃいました.なんと,「君が代」.



テレビはほとんど見ない生活があたりまえで,海外に出ると衛星放送(とくにNational Geogaphic TV)は,
必ず,見る「良質」な番組で,海外調査の楽しみである.

日本でもこういった良質な番組(つまりは,心の汚い大人でも感動できる番組)を見られる
環境整備は,「おとな」の役割だと,さいきん強く思う.

なんでか?

それは,「情報を疑う目」を養うからです!



人の生き方は美しく,かつ誠実,また「初心」がもっとも大事.
30代の人は,10代,40代の人は30代・・・の時の「日記」を読み返してみたら?

そう思う時期がさいきん,残念ながら多い.

その結果,私の「酩酊時間」がながくなる.(酒の飲む理由だけ?)


翌日は,バス通勤になる.ハハハ・・・・

当然,今の「バーボン」です!

バランス

ネンドマツという時期はほんとうにいろいろある.

まあ,小学校の夏休みの宿題とおなじで,この集中期間が結果として,前進に
つながればよい,と解釈している(したい).

睡眠不足もあるが,ドライアイがはげしい.たぶん長期的な視点からみると,「老化」
がはじまっているのだろう.

意識の中では,学生気分でヤングなのだが..
また,【ビンボウショウ】も抜けない.

でも,この感覚.新聞をよんでいて,だいじなんだと最近つくづく思う.

追伸
インド,バングラデシュモードはすっかり消えた(さびしいことに).
いまは,韓国モードに移行中!(移行したい)

まえむきと結果

人それぞれ仕事のペースがあるので個人の判断は瞬時には難しい.

ただし,「結果は何事においても残さないといけない」とは職業研究者として思う.

長い学生時代に師事した先生の言葉や,乱読時に印象に残った一節が浮かんだ.

「天才は10年で一本でも許されるが,凡人はできるだけ書け」

この意味は,仕事をその都度まとめてゆくと,結果として集大成に繋がるという意味.


このこと.別に研究だけではない.
関西風に表現すれば,仕事を計画するときに「オチ」をイメージして,工程を練ることだろう.

ここで表題にもどろう.

「まえむき」な精神の安定期というのは,結果として,いや必然として,よい結果につながる.

逆はない.

私のお尻も安定期にむかっている.

5才の夢

海外調査から帰国するといつもそうなのだが,日本のペースになかなかなじめない.
帰ってきてきてから,妄想するのは,帰国前の景観や人々に笑顔.

そういえば,日本ではよい笑顔をしている人におめにかかることが少ないのではないだろうか?.まあ,職場でしかめっ面してる自分も含めてだが....

こんなことがあった.
バングラデシュである村に滞在調査し,下宿させてもらっていた5才の子供との会話.

「大きくなったら何になるの?」

「そんなこと,大人になったらわかることでしょ!」

・・・自分の子供も含めてこうは返答しないだろう.

私は以下のように解釈した.

「子供はこどもらしく毎日をたのしくすごすんだ!」と.


いっぽう.日本の子供たちはどうか?
大人の価値観の強要されて,夢という目的を強要されていなだろうか?.そのレールに外れると・・・

この返答で私は,正直,大人として「答え」を見いだすことができなかった.
このように感じることも,海外調査の醍醐味である.

でも,この村で発生したお尻と各種体の部位にかまれた蚊と南京虫の傷跡は消えない.

自分の,5才の記憶は,父親に耕耘機に乗せてもらって田んぼの農作業だなあ.

ロマンティズムに沈殿すると,あの「におい」が原体験なのだろうと思う.