今を「解釈」すること

新聞切り抜きは,1)お金がかからず,2)情報の「自己咀嚼化」=フワフワした情報に左右されない情報を自己納得化が可能で,自分の立ち位置が分かる.そして,3)再現性がある,という

Bush Fire, Namibia, 2006. Ptoto by Shinji MIYAMOTO

利点があ る.

何も意識せず,文章化するときに優先順位の一番上に「お金がかからない」ことを出してしまうことに,ビンボウショウがでる(家人には,だからあなたはダメなのよ!とダメダシを,よくくらう).

さらに,現在的な流れを把握するための媒体として,雑誌も重要.職業研究者としての,同族集団としての学術雑誌は,境界を専門領域としているので,多数の会員になっているが,自分が信頼をおいている雑誌は,いまのところ「AERA」である.

かつては,「ダカーポ」という雑誌を,学生時代,やりくりして買っていたが,残念ながら,休刊になった.

その最新号を,自宅でウダウダしながら読んでいると,
姜尚中(2011)「Love is 愛の作法: そこから考えること」.AERA,第188回.
に「救われる」想いを感じた.

「(略)「不謹慎」とうそぶく相互監視状態にもめげずに多様性を取り戻してほしいです.」(引用)

の一節のみでは,意味不明だが,

「多様性」は流行語のように,さいきん巷にあふれているが,私流に表現すれば,人間の個々の存在を許し,許容することの「余裕」こそが大事だと.

現在進行形の災害を意識することは,日本に生活の基盤を構築している私たちは,その情報の波にさらされている.

そんななか,笑顔でいることを批判や中傷する言説には,たいへんな違和感を感じる.

・・・というような,「切り抜き」は,ここ20年以上の趣味である

(アナログ派)

 

【閑話休題】

写真は,2006年のナミビア調査.移動中,Bush Fireに出会った.この場面では,写真を撮るくらいの余裕があったが,・・・その後.身の危険を感じた.あとで聞いたところによると,Bush Fireは短時間に拡大するため,ムラさえも飲み込み,死者がでることも,めずらしくないという・・・・・・よい,経験と勉強になった.

研究史の「迷路」と,「喜び」

ここ数日,「地域研究の意味」にこだわって,さまざまな領域の文献研究を行っている.

・・・と,このように記述すれば,聞こえはいいが,実際は,締め切りに追われた仕事の中で,文献を読み込んでいくうちに,「はまって」しまって,つぎから,つぎへと,研究史上の迷路のなかをさまよっている,というのが実際だ.

ここでは,具体的に展開しないが,1950年代初頭という,戦後(第二次世界大戦)明けの混乱期においては,敗戦国日本の規範のなかで,学問・科学の領域の再編成が行われた時期,当日の言説はメタな議論が横行し,志を感じることができる.

これから見ると,技術は進歩・進化したが,学問は??や,いまの議論は・・・???とも感じてしまう.

数年前に自分の立場性や位置に悩んだ時期に上記の研究史に触れ,刺激を受けたが,今更ながら再度その波が覆ってきている

宮本真二(2004)フィールドからの環境史−地理学からの応答−.日下雅義編『地形環境と歴史景観−自然と人間との地理学−』,古今書院,7-21.

世代論で議論することを好まないが,自己に照射してみると,今後の研究の方向性を検討する時になっているというのを実感する.

また,科学や学問を志す「次世代」の方には,「流行(はやり)」に惑わされず,上記の時期の研究史の熱き議論に触れて欲しいとも思う.

なぜなら,もう半世紀以前の言説に,私が「共感」できること自体,学問をする「喜び」でもあるからである.

 

【閑話休題】

写真は,2005年〜2008年まで通っていた南部アフリカ,ナミビア共和国のクイセブ川中流域に分布するHomeb Silt層.

左下の木の木陰が唯一の日陰で,40度を超える砂漠の日射の中,フンコロガシと格闘しながら,ガケに挑んだ.

その成果は,

Shinji MIYAMOTO (2010) Late Pleistocene Sedimentary Environment of the “Homeb Silts”Deposit, along the middle Kuiseb River in the Namib Desert, Namibia. African Study Monograph Supplementary Issue, 40, 51−66.

熱帯生態学会と,ブータンと,照葉樹林

共同研究者の安藤和雄(京都大学・東南アジア研究所)さんから,昨年11月のブータン調査をもとにした学会発表を行うという連絡を頂きました.大西伸弘(京都学園大学)さんとも連名発表.

安藤和雄・宮本真二・大西伸弘:「東ブータンのBrokpaとMonpaに関する調査ノート-アルナーチャルプラデシュとの比較の視点からー」.第21回熱帯生態学会,琉球大学,2011年5月28・29日.

私はこの学会員ではないのですが,かつて大学院生だったときに当学会のシンポジウムにて連名発表者となり,その内容の一部が公表されています.

岩田修二・宮本真二(1996):ヒマラヤにおける環境利用の歴史的変遷.TROPICS(日本熱帯生態学会誌),5,243-262.

成果の内容は公表された時点(私の手を離れた)で,「忘却の彼方」ですが,その時の懇親会で,梅棹忠夫さんがおられたこと,さらに「照葉樹林」という日本酒がだされていたことは鮮明に覚えています.

ただし,梅棹忠夫さんは「あこがれ」の方で,近寄りがたく,お話しもできませんでした.

また,学生時代は交通費の捻出にも苦労していましたので,シンポジウムは午後なのに,深夜バスで早朝のの京都に到着し,みんぱくの玄関前で,熱い最中,時間をつぶしていたことも,内容に関係なく覚えています.

 

柳田邦男にみる組織論と危機管理,そしてオープンに

昨晩,以下の文章を昨晩読んでいて,とても感じ入った.

柳田邦男(2011)「巨大地震の衝撃 日本よ! この国はどこへ行こうとしているのか. 効率主義との決別を.」毎日新聞2011年4月12日夕刊.

《特に90年代以降,国や自治体の財政が悪化し,企業の生き残り競争が激化する中で,人減らしや組織をスリム化する効率主義が「闊歩」するようになった.「けれど,効率化という目標の前では,『前提条件がもし崩れたら』という発想は排除され,次善策も『ありえないこと』として削られる.それでは災害は絶対に防げない.どんな組織・システムも遊びや余剰部分があってこそ安全を保てるのです.」

最後の朱色部分は,「組織」の問題へと昇華できるだろうと思う.確かに,「仕事」である限り,組織の効率化や合理性の追求はとても大事だし,現代社会のネット環境に「適応」することも,スキル(=技術論)としては,プロの仕事人として身につけなくてなるまい.

「好き」とか「嫌い」の問題ではなく.

(とくに,ブラックボックス化しやすい,「研究」という領域を生業とする人間は,積極的にこのネットを利用して仕事をするのだけでなく,ネットを使ってブラックボックス化を防がないといけないと思う).

つまり,

上記の柳田は,危機管理「システム」に焦点をあてた「対談」で述べているが,危機管理をのぞいても,組織論として一般化できるのではないか,と感じ入った.

とくに,組織を管理する立場の人と年代の方は・・・・と思う.

【閑話休題】

右の写真は,南部アフリカ,ナミブ砂漠での調査中のテント内で,自己の足元の一瞬.フィールドワークの危機管理において.「余裕」は,身を守る上で,大事.

地域を理解・説明する方法と視点

異分野,もしくは隣接の領域の研究者(あくまで,

地理学の私からみた)と一緒に研究をしていただけるようになって,表題のような学部の2回生から3回生くらいのときに考えたようなことを,いま,再び勉強している.

・・というより,もNew Geography後の変革の影響をもろに受けた私たちの世代は,「科学として地理学」の重要性が教育ベースでも盛んに指摘されていた(と思う).

しかし,他の領域(フィールド・サイエンス)の見方を学ぶにつれて,地理学の独自性や,その方法論の存続基盤の「危うさ」を自己に置き換えて考えるようになった.

もちろん,いまの職場もじゅうぶん異分野の集合体なのだが,フィールド・サイエンス=野外科学という土台のなかで,地域をみてゆく時に,逆に,「地理学的」なものに関して説明も専門性も求められているように感じる.

このような,自己の流れのなかで,いま,勉強しているのは,「地誌」である.(正直に告白すれば,サイエンスとしての地理学に興味があり,マジメに勉強していなかったのだが...).

「・・・学」という,名前での新しさを強調する時代ではないが,「地誌」にかかわる熱き先輩達の「告白」に関する文字列を追って行くと,考えさせられるのだ.

とくに,衰退や危機をあおる世代(運動世代)下の,私たちの視角と,そろそろちゃんと考え,アピールしないといけないと考えるようになったことも事実だろう.

・・・トシだろうか..

 

【写真】写真は,カルカッタ(現:インド,西ベンガルの州都)のIndian Museum. サダルストリートのシーク教徒がこまめに切り盛りする,定食を食べてかた,ここに立ち寄ることは,厚みが感じられで,落ち着く空間でもある.

構想中と,科学の厚み

また,紹介したいと思うが,恩師の一冊をここ数日熟読していたり,いまというか,次の原稿を仕込むために,勉強していおり,思考モードになっている.

 

・・とくに,謹呈いただいた一冊は,むかしからお話されていた一冊が,先生らしいまとめ方をされていたので,ちゃんと読まないといけないと思い,読み続けると,良書で,その迫力に圧倒された.

いま取り組んでいる,インド・ヒマラヤの研究でも,相当,刺激を受ける一冊.

また,別件で構想中の論文のため,これまで見向きもしなかった領域にたいして,自己での再評価モードで,その研究史にいどんでいる.

 

・・という,意味不明なブログ.

 

ただ,新しいアイデアだと,一瞬喜んだものの,似たような議論は繰り返し・・・.研究史というは,科学の厚みを再認識

 

写真は,2010年9月の,インド・ヒマラヤ(アッサム・ヒマラヤ)調査の一こコマ(石本恭子撮影).

フィールドで記載するこは大事.

 

 

年度あけ

昨日は、一つの原稿を脱稿し、ほかのいろいろな年度末仕事をおえ、疲弊しつつ、帰宅。

自宅で、年度末自己お祝いで、アルコール充電のしすぎで、たまった本を深夜読んでいたら、寝不足で。。。・・・

 

今日は、年度初めで、全て事務処理は年度末で終わったと思っていたら、年度を繰り越して、再度、到来などなど・・・・。

などの合間に、査読や、本の原稿確認などなど。。。。。

・・・というように、年度を無事のりこえることができたことに「チアーズ」と、いきたいが、たまった原稿や、宿題は・・・・・・。。。。・・・・

ただ、来週研究発表をお願いしている方の、発表レジュメが届き、それは、さすがに、一流のプロの研究者のもので、たいへん、感動し、刺激を受けた。

【閑話休題】

写真は、今年2月のインド北東部、アルナーチャール・プラデーシュ州、ボンディラでの宿の一角。

私は、エスプレッソが大好きで、写真のようなコーヒーをドリップで朝飲むのが大好き。夕方だと、エスプレッソをチビチビしながら、研究に関係のない文庫本を読むのが、趣味でもある。

ちょうど、ガラスコップがなく、白いプラスチックの水入れ(インド式の入浴方法の時に使用するやつ)に水道の水をいれ、携帯電熱器でわかして、ドリップし、シエラカップで飲む。

「うまい!」のです。

ささやかなフィールドでの楽しみです。

追記: 衛生上・・・という人がいるかもしれないが、もう、私は気にならない(しない)。