研究会行脚2

昨日の研究会も刺激的だった.

 少しずつだが,研究のバージョンがアップするのが,批判を受けて自分で実感できる.しんどいが,こういった「締めきり」は,たいへん重要だ.


【研究は,ひとりではできないし,他者との議論や,自己の感性の維持から,常に「頭の緊張」を維持していないと,自己のレベルを維持もしくは向上させることはできない.また,そういう手続きがないと,刺激的な(質の高い)成果をだすことはできまい】(自己の今は,棚に上げています)

これは,仕事一般の「プロ論」だとも思う.


・・・・・・・ということは,真実だと最近,確信しています.



休日だが,明日の下記タイトルの発表の準備を今晩します.


宮本真二(滋賀県立琵琶湖博物館・研究部・環境史研究領域)・安藤和雄(京都大学・東南アジア研究所)・アバニィ・クマール・バガバティ(ゴウハティ大学・地理学教室)
「ヒマラヤにおける土地開発史の地域的相違」
第2回 高地文明研究会(高所プロジェクト全体会議),総合地球環境学研究所,2009年2月1日.

研究会行脚

昨日までは,日本の沖積平野の共同研究で,英語論文の担当部分をまとめ,越後からの研究者と打合せなどで,たいへん刺激を受けた.

「プロ」同士を感じる刺激だ.


そして,今日から,研究会発表行脚が開始され,さらに刺激をうけている.


「計画的に準備しなさい!」と自分自身に言いたいが,海外研究に限らず,自分ではどうしようのないことはあり,この時間まで準備だ.毎回だが,マニュアル本には3ヶ月前から準備しなさい,など,実態を無視した記述が多い.

ただし,この締め切りは,研究を進展させる締め切りになる.その継続がほんとうに大事だと思う.

これは,「夏休みの宿題の追い込み」に似ているとも感じる.

さあ,もどります.


明日(もう,今日だが)の発表タイトルを下記します.


宮本 真二※(滋賀県立琵琶湖博物館・研究部・環境史研究領域)・安藤 和雄(京都大学・東南アジア研究所)・モハメッド・セリム(バングラデシュ農業大学)
「バングラデシュ中央部,ジャムナ川中流域 における先史時代以降の地形環境変遷と 屋敷地の形成過程」
京都大学 防災研究所・生存圏研究所・東南アジア研究所・生存基盤科学研究ユニット
「気象災害軽減など人間活動の持続可能性に関する研究集会南アジア地域を中心として」研究集会.京都大学.

次への動機

休日での仕事も繰り返していると,正直,「なんでやねん」と思うことがある.そうするように追い込んでいる自分の問題だが,人間なので,比較することがる・・・

・・・そう考えてみて,昨日は,今年の国際学会の発表要旨の仕事を自宅で作業し,脱稿した.その脱稿の後は,無性に精神的に疲弊する.

その疲弊を埋めるのは,充電だが,私の場合は,文字を読むこと(活字を追うこと)が,いちばんの充電だ.

その時間を少し見つけたが,ここ数日の締め切りを考えると,考えたくもないが,本当の休日を見つけることことこそが,しんどい.

まあ,なにかしないといけない「焦燥感」は,むかしからあったので,性分なのだろう.

そう考えてみて,また,仕事にかかる.

「未来に向けて,明日からもがんばろう!」というのは,先輩から頂いた言葉だが,明日を今からに置き換えようと思う.

予定は未定か

一つの仕事が終わって,はい,つぎ.

・・と思っていたら,「子供が熱」・・・

まあ,この時期,インフルエンザが流行中,共働きでもあり,急きょ,帰宅して,看病しつつも,インドとの交渉や,事務仕事・・・・

日本でも,PCはついてくる.

「いいのか,わるいのか」.

みなさんも体調管理お気をつけください.

【オチなし】


写真は,2008年8月の国際地理学連合で訪れた,チュニジアの一場面.あの乾燥度が,ほんとうになつかしい.

休日のメモ

休日だが,いろいろなデッドラインで,精神的に落ち着かなく,仕事モード(泣).(家人は,・・・・・・・・).


一昨日,バングラデシュでの仕事を館内のセミナーで発表した.学会や研究会の発表もそうだが,自己への締め切りをあえて作らないと,研究はすすみません.(怠けてしまいます).

このネタを発展させ,今月末までに論文を書き,研究会も再度発表します.
(こう,宣言することによって,追い込むことで,継続性からくる,【安定】を維持したい).

・・・・こんなブログ書く暇があったら・・・・とも・・・・(泣).


宮本 真二※(滋賀県立琵琶湖博館 研究部 環境史研究領域)・安藤 和雄(京都大学 東南アジア研究所)モハメッド セリム(バングラデシュ農業大学)・ニッタロンダ・デカ(ゴウハティ大学・地理学教室・院)「バングラデシュ中央部,ジャムナ川中流域平野に分布する屋敷地の形成過程」,2008年度琵琶湖博物館研究セミナー,2009年1月16日.


写真は,2008年11月のバングラデシュ調査時に,ダッカのお寺で出逢ったお坊さん.
知り合いの某ラオスの地域研究者にそっくりで,驚歎し,正月早々ご本人さんに送信し,いたく喜ばれた(笑).

プロ論とアマ論

いろいろ仕事が集中し煮詰まっているが,まあ,どうにかなると思い(願い)つつ,休日もPCに向かう.

表題だが,結局は,言説に「責任」がもてるかどうか,だと思う.

→意味不明なので,補足すれば,研究を自覚する人間同士の関係において,である.

だが,これは研究者集団という世界だけでなく,どの世界(業界)でも共通する【前提】だと,つくづく思う.

したがって,「フワフワした」または,80年代用語だが「軽い」,または「軽薄」な,さらには「最先端」だとか,「最新」のという,キャッチ・コピーは,・・・・・・・・である.


そう,宣伝して(されて),今は・・・という人や,無責任な・・・・・という人を経験してきた.

また,「プロ論」という言説が,美化されたり,拡大解釈されるが,本質的には,日本でもプロとは「自覚」と「責任」だろう.


そういった意味に於いて,「地に足のついた」という姿勢と,自己を自覚しつつ発言する姿勢や言説に共鳴なり,共感できる研究者(だけでなく,ヒトだが)に,【信頼】である.



【打算は,薄さを強調させる.】



そう,アラウンド,40(某,院生に指摘された(泣))に近くなると,経験主義で,そう感じている.



写真は,ペルーの海岸部,半乾燥地域に分布する遺跡で説明をしてもらった地域のアマチュア遺跡解説者の方.迫力(いや,押しの強さか?(笑))から愛を感じた.
すてきな,カットだ.


批判されること

大学学部学生時代は,大学に居つかなかったことは,ここでは再三述べた.

大学院は,いろんな大学や場所から来ている人の集団で,「刺激的」だった.

まず,

1)覚悟
2)批判


1)は,先輩はみんな「おじさん」だったが,好きなことをする手間の覚悟があり,怖かった.30代を超えても,好きなことに熱中する姿勢を,今となっては感じ入ったのだと思う(教わったとは思わないが,先生との関係では得られないものはあった)

2)今でも,怖く,素直に批判して頂けるのは,「目の上の「たんこぶ」」だが,ありがたい.
(学部学生時代,「歳をとると,(歳をとることだけで)批判されなくなるから,批判される近い人は大事だと指摘いただいた先輩のコトバさえも鮮明だ).

そういった意味で,批判の一瞬は,いつも「へこむ」(90年代用語)が,ありがたいと思う.

写真は,バングラデシュのカレー.
ほんとうに,おいしい!

フィールド・ワークと旅論

大学の講義のかけもち週間は終了した.

が,

何を書き留めようかと,考える時間がなかなかもてないが,

寝るための最近の一冊は,「沢木耕太郎(2008)「旅する力.新潮社」になっている.

ただ,ここ,数日だが.

その中で,以下のような一節に出逢う.

「わかっていることは,わからないということだけ」

このコトバから,イメージできることは沢山あり,それは旅することが本質的に好きだということなのだろうと,感じている.

「旅論」を書くほど,老いてはいないが,旅は開放だけでなく,研究者にとって「問題を発見すること」において,たいへん,たいせつな【行為】だと,さいきんつくづく思う.

ただし,その旅の仕方が問われるのが,とおりいっぺんの,人にあって,物をみて,・・・・・・・というのは,打算の極地だと思う.

某研究者のコトバがある.

「覚悟」が必要だと.

今日,読んで,切り取った新聞記事にも「直感」の重要性の指摘があったが,感性と自信に裏打ちされた「覚悟」は本物だとおもう.

このように,夜はふけてゆく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・.



写真は,バングラデシュのある村で滞在調査をさせて頂いている時に,寝る前に,調査道具の確認をしている場面.この時間を,「サンダル時間」と表現した若手アフリカ研究者がいるが,至福の一時でもあるし,興奮をおさめる時間でもある.(なかなか,冷めないが).

大学の集中講義かけもち開始

本日から,日本列島にいる間の,標記が開始された.
感想を,キーワードで記す.

・優秀
・まじめ
・記憶重視
・知識の意味


このキーワード,当方の,学部学生時代とまったくの「逆」,なので,「こんな,しょうもない内容と人間で,正直申し訳ない」・・・・・・・・・・・・・・・という心境に,いつも,なる.

ただ,上記の「姿勢」で,私のような,当時,「大学によりつかなかった人間」も,刺激を受けるのは,若さパワーだろうか?(・・・と表現したら,年配になるので,断定はしない).



なんだろうか・・・・.月並みな表現だと「若さ」と「素直」,「柔軟」だろうか.....

ただ,老婆心ながら,強調したいのは,

【記憶できるくらいの知識は,社会にでたら,それほど,重要でない】
・・・ということだろうか.

【経験】こそ,20代の「感性の受け皿」が豊かな時期(多感)時期にこそ,大切だ.

なぜなら,閉鎖された空間としての講義(授業)で,得られる知識(もどき),は,【きっかけ】でしかない.
つまり,知識を得る作業は,「本」でもできるのだ,


その.「意味」を,ゆっくりと,自由に,また,のんびりと模索いしてほしい,と思う.

そう,感じた一日だった.

フロンティアの海外フィールド・ワーク

海外調査,とくに「歩く」ことを重視している研究者で,フロンティアは魅力的だ.

聞くところによると,海外に行って,資料だけの購入で満足する人も多いらしい.でも,それで,地域研究の醍醐味はあるのだろうか,と常に思う.


高地研究を志向する研究室に院生として在籍していた関係で,「山に登りために,研究があるのか」または「その逆か」という討論は,若気の至りで,よくした.

感情的な議論にまでいつもなってしまい,深夜から明け方,富士山を望みながらなったが,いまとなっては,どちらも正解だと思うし,答えようがない.


思いこみ,と志しは表裏一体だと思う.
(今風の表現だと,この思いこみは,「オタク」だとの表現されるだろうが,すこしの昔は,「一生懸命」,「だったような.).

そう考えてみて,フロンティア=前人未踏=だれも入れなかった場=入りにくかった場所を,いま,いろいろな援助とご教示で研究フィールドにしているが,

想いは.「つねにワクワク」である.(深夜なので,稚拙な表現は勘弁ください).

この「ワクワク感」がなくなると,私は,研究することをやめると思う.

なぜなら,このフロンティア=未開拓地=テラ・インコグニータと解釈すれば,【未開】でもある.

この,下敷きは安田喜憲(1982)の雑誌「地理」の一節を,学部学生時代に熟読し,感銘を受けたことによる.

その後,教えをうける立場になったとき,緊張しながら,汚いコピーをもって,先生に,上記の「テラ・インコグニータ」の意味を研究室でおうかがいした記憶は,いまでも鮮明だ.

写真は,地理やなら必ず訪れるペルーの行政機関のマーク.