大晦日だが,家庭の用事をこなしつつ,仕事をしている.
ただ,数日前にインドから帰国以来,掃除も含めてこの一年を振り替える時間が少しもてた(もちたい)ので,心機一転,来年も「未来のために,がんばりたい」と思います.
このブログをはじめて3年目になりますが,まったく研究者の端くれともおもわれない「しょうもない内容」ですが,研究者という社会適応に不向きな人間の
1)できるだけ,日常を安易に,かつ,
2)わかりやすさ,そして関西人としてはもっとも重要な,
3)おもしろさ重視して,
精神的かつ肉体的に余裕があるときに不定期に更新してゆきたいと思いますので,お暇なときに,おつきあいのほど,よろしくお願い致します.
来年も,世界平和が達成されることと,みなさまの健康と多幸を祈念いたします.
ほんとうに,さまざまな方のご援助をいただきました.
「ありがとうございました」.また,「来年もよろしくお願いいたします」.
あと今年も数時間ですが,私もいろいろ思考・妄想したいと思っています.
【追伸】
今年最後の写真は,今月上旬で南米大陸の半乾燥地域,ペルーの海岸部の砂漠の景観です.アフリカ南西部のナミブ砂漠で仕事をしてきましたので,また,この景観から現場で考えるヒントやアイデアをたくさんもらい,「興奮」しました.また,地道に,世界を「ヤク」のように歩きながら,(某,古都の研究者からいただいた言葉です),学んでゆきたいと思っています.
月別アーカイブ: 2008年12月
ペルーの遺跡調査
帰国して,ペルーのフィールド・ノートを,家庭での事務処理作業の合間に読み返していた.
そうすると,記憶が鮮明になる.(さいきん,人の名前がまったく覚えられないし,覚える意志もなくなったが・・・)
写真もそうだが,私は,文章も【言葉(口で発生する)】で組み立てようとするので,自己の熱い想いで書きなぐったフィールド・ノートはたいへん,貴重である.
しかし,過去の海外調査で,2回紛失しそうになった(1回目は,オーストラリア,二回目は,関空).
南米大陸がはじめてだったということもあるが,いまだ整理できないくらい,日々が,刺激的だった.海外は,どこでもそうだが,毎日は,「陶酔するような日々」で,病的になるのだろう.
嫁に言わせると「日本でもアルコールで陶酔しているらしい」.(泣).
そう思いながら,写真(添付)も見ていると,海岸部に立地する遺跡で,調査途中に現場で放置されていた遺物の写真に目がいった.日本だと,貝塚の遺物だろうが,その道の人がみたら,「豊かさ」が理解されるだろう.私も再度,驚いた.
南米の「文明」が,盛んに議論されていたが,その意味の一端が今回の初踏査で理解できたようだ.アンデスに魅せられた先生方と,院生時代,ヒマラヤ調査で同行させていただいたが,その言説もようやく納得できた.(みなさんのアンデス愛に圧倒されたというのも事実).
・・・のように,貴重な年末の時間だが,一気に家庭の立場を向上させようとして大掃除をがんばら「させられた」が,達成感はあるものの,やはり,肉体的に疲弊はする.
そう思っていても,尊敬する国内や海外の研究者から激励メールなどをいただき,ほんとうに,ありがたい,とつくづく思う.
いろいろな,構想と妄想を考えるよい時間(年末・年始)としたいが,いまだ,大掃除は集結していない.
また,次と次の論文の構想をじっくり思考したいと思っている.
一瞬の不安
海外には,10代から出ていた.
10代からというのは,当時の大学の状況を表しているだろう.つまり,4月の一二回は,マジメに授業に出て,その後・・・・・・・.
私もその通りになってしまい(悪い,先輩や同級生のおかげ),授業のために大学に通った記憶に,正直言って乏しい.文学部だったこともあり,変な人が多かったのも,言い訳にすることができる.
(しかし,大学で教える立場に,奇遇でなったとき,当時のノートが皆無に近く,ほんとうの困るし,マジメに授業に出てこられても,その経験がなく,困惑する.).
大学に通うことが,時間の無駄ではないだろうが,当時の私は,その生活が,「無駄」だと判断し,海外へ出た,のだろうが,高尚な目的はない.
【閑話休題】
船で海外に出たこともあるが,今は,飛行機を通常使う.
写真のように,飛行機に預けた荷物が出てくるまでは【不安】がつきまとう.とくに,途上国(航空産業が高度化していていない国)を調査地にし,出てくるのが遅いと,「今回は,やはり,ローストか・・・・・・・・」と,毎回,思う.
(院生時代,熱帯アフリカにたどり着いたときは,地質調査用の機材を,銃と誤解され,銃口が顔面という場面もあったので,それなりに度胸だけはある.)
この「不安」が,「事実に置き換えられた」ことは,いままで,幸いにしてないが,最初の関門でもあることに,今も変わらない.
この「関門」は,なかなか病的なものでもあると,最近感じている.
【追伸】
写真は,カルカッタ(コルカタ)の国内線から出てくる当方の荷物.これで,今回,着替えることができる喜びを実感できる瞬間.
帰国したら,すでに年末
11月のバングラデシュ,12月のペルー,インドの現地調査や研究発表が終了し,数日前帰国した.
帰国したと途端,日本は今年最大の寒波だそうで,関空の出口から調子を崩した.
帰国直後から,事務処理,研究会や,ほかの雑用で忙しい.
「忙しいというのは,忙しくしむけているアンタ」といいうのが,妻の指摘.(とうぜん,私の非効率,無能力の意味を含んでいる).
そうかも,・・と感じつつ,今も,今日までも,誰もいない研究室で,寒さと格闘しつつ,PCに向かっていた・・・ ただ,たまりたまった,ホコリと,論文を書くときに散在していた本や論文の形だけの整理はでき,一瞬,年末を感じた.
しかし,海外をともにする研究者は,みな年末,年始は貴重な時間と考え,仕事をされている. そう思い,雪崩が発生しそうな山積した本から,いくつかを選定したり,PCのバックアップや,PCを持って帰ったりして,「ゆっくり勉強・思考」したいと,多くの荷物で帰宅し,今.
上記の嫁の指摘の「忙しくしむけているアンタ」,というのは,事実だろう(泣).
追伸
写真は,数日前まで滞在していたカルカッタ(コルカタ).変化しないこと,すること,・・・理解を超えた街で,魅力的だ.
冬のカルカッタにて
先日まで、インド、アッサムのゴウハティ大学で開催された国際ワークショップに参加し、研究発表を行うため、インドに来ています。
いまは、それも終了し、各種交渉と資料収集のため、カルカッタに来ています。
上記のワークショップは、事務作業も関与したのですが、なかなか、たいへんであったこともあり、たいへん盛況で、成功し、ほんとうに満足感が高い日々でした。(また、こちらにくる飛行機内や宿でも準備を夜を徹して行いました。いつもですが。。。関空もまた、徹夜での出国でした。ここ3回連続。。。。)。
また、インドの研究者たちの層の厚さも痛感し、今後も共同研究を行うため、各種の深い交流ができたことも収穫でした。
一転して、交渉のカルカッタは、気候はいいのですが、難航中です。
ただ、焦らないように、じっくりと交渉します。ただし、「気合い!」はインド人との交渉は必要ですね。
少々、疲れていますが、やはり、カレーはインド(笑)。
写真は、ワークショップの開催場面で、以下は、口頭発表内容です。
(ここから)
Shinji MIYAMOTO*1a and Kazuo ANDO*2
*1 Cultural History and Geo-Science Research Group, Science Research Department, Lake Biwa Museum (Oroshimo-cho 1091, Kusatsu, Shiga 525-0001 JAPAN)
*a corresponding author: miyamoto@lbm.go.jp
*2 Center for Southeastern Asian Studies, Kyoto University (Shimo-Adachi-cho 46, Yoshida, Sakyo-ku, Kyoto 606-8501 JAPAN)
Buried Humus Soil Layers and Land Development in Central and Eastern Himalayas
International Workshop in North East INDIA
“Agricultural Ecosystem and Sustainable Development in Brahmaputra Basin”, 19 and 20th/Dec. /2008,Department of Geography, Guwahati University,Assam, INDIA
5ドル(5US$)の憂鬱
今回のペルー・アンデス調査では,某,米国系航空会社を利用した.この航空会社は,博士課程1年,年度末の「(生き方に)迷っている時期」に,某奈良で同じように迷っていた院生友人をそそのかして(某奨学金を利用して),【三ヶ月間オープンチケット,オーストラリア7万円】という当時でも,いまでもとんでもない格安チケット(滞在も,90%キャンピングだったので1月いても10万円以内だった),で旅行して以来(10年以上前で,その成果は学会発表済)だ.
(その後,某教授から豪州まで電話で呼び出された).
このチケットは,グアム,トランジット一週間というとんでもないものだった(とんでもないが,お金がなかったので,グアムでは,お金持ちの日本人ギャルとプライベートビーチを尻目に,毎日,毎日,「なまこ」にまみれつつ,泳いでばかりで,珊瑚礁地形を,堪能した.(途中,合流した友人は,大手電力会社に就職していたので,たかって,こういった地形アドバイザーみたいな商売もいいんじゃないかと励まされつつも,先の見えない生活に悩んでいたし,また,「なまこ」をはじめて食した人間を尊敬した.)).
グアムでは,移動するにも公共交通機関がなく,お金が必要なシステムで,二度と行かないだろう.ただし,戦争というものの位置づけをグアムでの米国のプロパガンダをみて,感じ入り,今のアジアでのフィールド.ワークに活きている.).
前置きが,長くなったが,こういったように【思い出深い】航空会社だった.
この航空会社,ビールを飲むにも,ワインを頼むにも【5ドル】の会話.
「はああ,.....という感じ」
別に,泥酔するほど若くもないし,それなりに旅の経験を積んでいるつもりだが,「5ドル」,「5ドル」を連発されると・・・・
(こちらは,20時間近く,狭いエコノミーなのだし,徹夜なのに・・・)・
まったく,サービス精神に欠けるので,こちらも火がついて,1ドル札を腹巻きからさっそく用意して,北米までのルートで,3回,「こちらから」,ねだりにゆきました.
(その後の,北米ー南米ルートは,ラテンのノリで圧倒され,緊張でお酒の概念が浮上してこなかった・・・・).
しかし,
さすがに,帰りは疲弊の極地なので,「1回」におさえました.
なんだが,むなしいような感じがして・・・・・・・.
【【結論】】
「究極に,メタボなキャビン・アテンダントから「5ドル」とは,指摘されたくない!」
明日は,インドです!もちろん【徹夜】!.研究発表の準備は,機内でします.
(写真説明)
写真は,ペルー北部乾燥地域の海岸からみた大西洋.この写真を撮影した地点でもプレ・インカの遺跡が確認されている.
早朝だったが,とても感動した.
一日だけの日本
当初の予定では,南米から直接インドだった.タイの騒動で,昨晩,一時帰国.
はじめての南米は,刺激的な日々だった.いつも,旅は刺激的だが.
帰ってゆっくりする間もなく,明後日はインドでの研究発表.準備はこれからだが,なんとかなるだろう.
いつの間にか,クリスマス.ペルーも夏のクリスマスだった.
時差の影響か,眠くならない.
地球の裏側(ペルー)で日本とヒマラヤの原稿、アフリカも
今日は、リマで挨拶回り、地図類、書籍類の入手で、首都フィールド・ワーク。
そのなか、出国前から続いていた、表題の各種原稿の入稿や、改稿、学会の仕事、ペルー後のインドでのワークショップ事務作業を、連日、連夜時間を見つけて、行ってきた。成田で最後の予定が、PCは地球の裏までついてきた。(はあ)
その一つが、たったいま、終わり(脱稿)し、脱力感・・・・・。書き始めると、夢中になり、・・・・
シャワーにもあび、洗濯もしたいが、元気が・・・腰が・・・・。
ただ、人の表情の豊かさ、と優しさは、リマの魅力である。日系人の方もほんとうに親切で、自己の表現のなさや、薄さを痛感。
明日からフィールド再会である。
体をはってがんばろう!
(ネット環境は、異国情緒というものを排除する「装置」、とも表現されよう)。
追伸1
南米で、眼精疲労と腰、肩こりになるとは・・・・・・・・・・
追伸2
写真は、数日前の洗濯。もう身体も、ウェアも「美しくはない」。
カラフル(派手)な街と「重さ」
各種打合せ、交渉、挨拶回りで、各種の機関に出むく。
そんなから、車中からは写真のような景観が。アフリカなどの植民地を経験した街、さらにアジアの街とは違った、「原色」があふれている。とくに、目についたのが、1)スペイン系大手企業の看板、2)車の色。だろうか。
1)に関しては、このペルーという国が経験してきた歴史がある。さらに、2)も無関係とは言い難いが、ここに限ったことではないが、古い車を修理を重ねながら使い続けている場面がおおく、「消費大国ニッポン」はとも考えてしまう。
これは、車などの消費財だけでなく、景観を構成する重要な要素としての建物もそうだ。
とくに、インドではカルカッタ(現コルカタ)に代表される、植民地時代の重厚な建築物は、賛否両論はもちろん承知しているが、使い続けてきた歴史の「重さ」に圧倒される。
ここ、リマでもそういった場面に出逢う。
日本は、どうか?
「リトル・トウキョウ」?
南アメリカとアフリカの砂漠の比較
昨日から,フィールドにでて,写真のようなペルー砂漠に忽然と現れる,プレ・インカ時代の「神殿遺構」を調査した.
遺構そのものの迫力は,かつてシリア砂漠でみたアパーメア遺跡やパルミア遺跡を思い出すような迫力だった.さらに,道中では,南部アフリカのナミブ砂漠との対比の眼で,観察することができた.
その結果,車中だったが,もっとも印象的だったのは,ナミブ砂漠で確認されて,調査中の河成堆積物と組成がよく似ている細粒堆積物らいしきものが確認されたことである.
このように,ベースキャンプに帰ったのは,午後11時前だたが,隊長以下,さっそくメールを開いて日本からの仕事と,原稿の作業で,「午前様」となる.
ただし,大西洋を挟んだ比較を,文面での理解から,現地確認できた理解は,大きな収穫だった.
この興奮で,睡眠時間は圧縮されてゆく.
結果として,14時間時差は解消されてゆくのだろう.