フィールドに固執する理由

海外研究はもとより,野外での五感を駆使した作業は,生産性はよくない.

でも,たいへん必要だと思う.

なぜか,「ブレ」させないためだと思う.


海外においては,必然的に「異文化」の情報過多に陥り,時間がたつと,日本が多面的と,立体的にみえてくる「瞬間」が必ず訪れる.その瞬間が,指摘されてっきた「ブレークスルー」につながればと思う.

しかし,そこに住む人々の生活を垣間見ると,上記のことは「どうでも,よかろう」と思う場面がおおい.

それは,「笑顔」と表現すろと,ロマンティストと酷評されるのであろう.

「美しく」生きるのは甚だ困難である.

追伸
写真は,ナミビアでみたチーター保護区の一場面.

旅先の食事

もともと食べ物には執着がなく,いまでもそうだ.

具体的には,「空腹がみたされればそれでよい」という感覚.
旅先でもそうである.いかに食生活の出費を抑えて,書籍や地図などの現地でしか入手困難なものに,限られた資金を投入しようと画策する.衛生状態というのも,じゅうぶん気をつけているが,旅の最初はおなかの調子が悪くなるのも,【通過儀礼】としてパタン化している.

そういう意味で,そこに住む人々がおいしそうに食べるものを食べたい衝動が抑えきれない,という意味では,執着があるのだろう.
でも,値段が一番の価値基準であることにブレはない.
大学院の博士課程1年のときに,私費(といっても奨学金)で,豪州に調査にいった.超格安オープンチケットで,現地にいる友人とキャンピングで,滞在も超格安だった.とうぜん,風呂など無縁の生活で,帰国前の友人宅のバスルームは,ひどい状態になった.
また,その後,の一週間程度のグアムトランジットでは,お金がないので,泳いでばかりいた.(すごい,チケットだった)

よって,いまでも味覚感覚に乏しく,家人に強く批判を受ける.
閑話休題

写真は,カルカッタ(コルカタ)で,お茶を製作中.誇り高い表情がいい味出しています.

思索と妄想@INDIA

写真は,カルカッタ(現コルカタ)市内で見られる沐浴である.

10年前以上,初めてのインドでは,ガンジスの沐浴を見たので,東インドで,それもカルカッタでぜひ見たいと思っていた.

インドという国は,日本人の評価は二分されるようだ.固定的なイメージでとらえると,好きか,嫌いかという評価が個人にとっては重要である.フィールド・ワーカーにとっては,「合うか,合わないか」とも表現される.

わたしにとっては,旅で歩くことは,すべて新鮮に映るし,食べ物も執着がないので,上記の評価は適切ではない.

なにが言いたいかといえば,インドはインドである.(表現できる適切なコトバが・・・)


「豊穣」と稚拙な表現で,日記を書いたのは,これも10年前以上のトルコという国だったが,そうでもないのがインド.

だまされるのも作法・・・・・そう受け入れてしまう自分に苦笑する.

あるくと見えてくることがたくさんある.


そういう,時間を日本でも持ちたい・・・と思いつつ,雨天を二輪で爆走した.


雨のライディング

梅雨の時期は,バイク乗りにはよろしくない,と一般的には指摘される.

実は,私にとってはそうでもない.もしろん,カッパを着る面倒さや,蒸し暑さは閉口する.

しかし,

乗り方を変える楽しみがある.

「お尻の・・・・・を絞めて」というのが,教科書的な表現.

でも,それも気圧は日々ごとの違う原動機に合わせて乗るのがツウの味わい方.

もう,オタクの領域だ.



研究と全く違うが,この時間は結構重要なのである.

追伸
写真は,バングラデシュの早朝の朝市の一場面.父親への尊敬のまなざしと,子供のプロ意識は驚嘆である.

最悪の運勢

文字中毒としては,朝刊は【中毒一日】のスタートボタンとなる.

某M新聞を愛読している.
運勢は「最悪・最低」との記述だったので,梅雨のバイク通勤時も注意していた.

日中は,・・・・・・・・・・なりそうなので敢えて記述しない.
・・・が積極的に解釈しようとする自分が心でいることが,余裕がある証拠.

その間においても,原稿は忘れたことはなにのだが...

あ~研究したい!
と,思う自分は,いい状態だろう.

夜になっても,雨は続く.
雨中のバイクも,乗り方が変わって楽しいのだが,シールドが曇り,速度を落とすと,アオルヤカラがうっとうしい.

・・・と,「最悪」にはならなかった(と思いたい)が,人の生き方は勉強になった.

暑く熱く

金曜日は,終始処理に終始する一日が習慣化してきたが,後ろ向きでもない.

・・・と,思考する一日ではないという意味である.その時間と余裕はない.
だれのせいでもないのだし,自分のせいかもしれないが,しょうもない議論モドキには付き合っている時間はない.

夏の予定が決まってきた.

一緒に考え,歩き,生活しという濃密な時間を共有できる超個性的なフィールド・ワーカーの皆さんと,地域研究のあり方の議論は刺激的である.当然職業研究者として「結果」はシビアだが,そのシビアな世界で生きている人々との会話は緊張感があって心地よい.(みなさんそれぞれ,個性的ですが,よい生き方をされていると見習うことが多い).
一緒に仕事をさせていただく幸せもある.この年代でできること,すべきことを自覚しなすることが自分なりに耳学問で理解できつつある.

・・・と学んでいる.

学ぶということはたいへん幸せである.また,批判してくださる方々の存在は感謝である.

・・・・と妄想しつつ,子供の誕生日を祝った.

結論

「この子の年齢の蓄積と,同時並行し自分は成長しているのか!?と自答した」

熱く誠実に生きようと再確認した.

役所の巡検

インドとバングラ,韓国もそうだが,ここ数ヶ月の間で,まともに家人と休みを共有した記憶がない.

今日も,ナツの調査のための必要書類をとるための巡検.

ここ数ヶ月は休みといえば,原稿書きや仕事を休日にしていた癖があり,よろしくない.そういった意味において,今日の様な仕事の延長もよくない.

追伸
強制的に休むのも仕事だと思った.

図書館論

近江は図書館が充実している.

そう感じ,その恩恵を【実感】している人は,それほど多くはないだろう.

それが,残念である.

京都で,学部学生時代を過ごしたが,上記のことは院生時代の東京でも【実感】せず,こちらに就職して『驚嘆』した.

その後.家人の司書講習のテキストや,日々の生活でこの『驚嘆』と【実感】は,確信に昇華した.本が身近にある日常はたいへん,貴重である.とくに,途上国と呼ばれ,政治的に不安定な場では,読みたい本が公的機関で保証されている空間が存在すること自体が,驚異でもある.

そういった意味において,

享受されている環境の意味や,価値についてゆっくり妄想する場と空間,さらには時間は大切にされてもいいのではないかと思う.

さらに,展開すると,それに携わっているいる人々は,その「幸福」を考える時でもあると思う.

安易な「サービス論」ではなく.

自戒も込めてである.

追伸
「本がなくなる日常は想像できますか」

さらに続く

安易に妥協することで,自己を納得はさせたくない.

・・・と思いつつも,「これで,どうや」と思ってしまう.が,作業中にいろいろなアイデアが浮かんで,そっちに走ってしまう.

たぶん,飛行機の機内でも・・・・・

・・・と,しょうもない自分の日記はやめておこう.

今日,学部学生時代に授業に出ずに遺跡発掘のアルバイトをさせて頂いていた埋蔵文化財センター(山城盆地の小さな自治体)の元技師さんが出版された大著の「あとがき」を斜め読みした.

あの時代が描かれていて,感涙ではないが,「共有」できる時間と場があり,「言い訳はできない」と自分にムチをうった.

あのころ,発掘現場が終わると,食事をしてから報告書作成のための夜の部が始まった.何気ない会話が耳学問としてたいへん刺激的だった.また,現場も好きなようにさせてもらった.

その時の会話は,ロマンティズムに沈殿する訳でもないが,なぜか,授業よりも覚えている.(その授業.自分がやる段になってノートがなく,たいへん困るのだが)

明け方,西大路通りをバイクで超法規的速度で直進した.

もっとがんばらないといけないと思った.

・・・と【現実逃避】する弱い自分である.

まだまだ続く

休日にも机に向かう日々である.
学会発表や研究発表を今月に4件集中させたためだが,毎週末はチトつらくなってきた.

【休日】だが,朝から机に向かいつつ,洗濯機を回し,洗濯物もほしつつ,風呂を掃除しつつ,昼になった.午後からは,子供の参観日とPTAの総会.我がDNAを分けているとはいえ,全く行動が理解できないこともが不思議だ.PTAはある意味,女性集団のなかでの「忍耐」の時間.

取りかかるまでの思考の時間は長い.が手をつけると,かたちになりつつあることに満足感を感じることが楽しい瞬間.(だろうか?)

だが,

歩数は限りなく少なく,トイレの往復.

それは,所要時間15分程度の小学校の往復でも,体力のなさを実感した.

・・・・・オチを考える余裕が,いまだない.