業績追記:Oral Presemtation(2017年12月19日)

以下を追記しました.

 

宮本真二・内野慎太郎「近代以降の岡山平野における洪水浸水域の変遷とその要因の検討」国際研究集会「アジアにおけるグローバル問題群を考える-南アジア諸国と日本の比較を中心に-」

(第12回南アジアにおける自然環境と人間活動に関する研究集会)主催:奈良女子大学文学部・共催:京都大学東南アジア地域研究研究所実践型地域研究推進室.日時:2017年12月17日(日).場所:奈良女子大学.

【新刊】自然と人間の関係の地理学:New Book(2017年9月6日)

標記の新刊で,序章を担当させていただきました.

 

「自然と人間の関係の地理学」こそが地理学の伝統だ!編者のよびかけに賛同した9人の地理学者による論攷。

著者 安田 喜憲 編
高橋 学 編
ジャンル 地理学
出版年月日 2017/09/30
ISBN/JAN 9784772241854
判型・ページ数 A5・206ページ
定価 本体4,700円+税
在庫 未刊・予約受付中

 

はじめに(安田喜憲)
第1章 日本の「環境考古学」の成立と地理学(宮本真二)
第2章 中世荘園の人と自然-紀伊国桛田荘の地形環境と灌漑用水-(額田雅裕)
第3章 近世前期の鉄穴流しによる地形改変と耕地開発(德安浩明)
第4章 水辺に生きる人間と自然の共役史(神松幸弘)
第5章 遺跡からみた火山活動と人々の応答(小野映介)
第6章 火山灰編年学にもとづく北海道の人類史,環境史,災害史の諸問題(中村有吾)
第7章 京都市大水害-GISからのアプローチ-(谷端 郷)
第8章 南太平洋の人類の移動と自然環境(森脇 広)
第9章 環太平洋の災害と文明(高橋 学)

アクセス解析は琵琶湖?: Increased Access(2017年8月4日)

アクセス解析をたまに実施し,公表します.

 

facebookや広報仕事のTwitterがあると,ブログの更新は滞ります.しかし,アクセス件数はここ倍増していますその要因は,

 

①2014/04〜2016/03 独立行政法人 大学入試センター 教科科目第一委員会委員(地理)が官報で氏名が公表されたこと.

②Twitterの学科学生のWebへの誘導.

③環境史研究(ネイチャー・アンド・ソサエティ研究 第1巻  自然と人間の環境史 宮本真二・野中健一編
ISBN978-4-86099-271-2(4-86099-271-7)/C3336)

 

しかし,実質的にはアクセス先をみれば①と③からの関心が確認できます.

これは,ありがたことなのでしょう.

 

また,博物館からも多いのは,転職情報が気になるのでしょうか?!!?琵琶湖からも多い?!

「学芸員」論:Curator?, Research Scientist? or Researcher ?:(2017年7月22日)

すごく,アクセス件数と問い合わせがある内容で,何度も返答します.

(ここから)

2017 年度版(アクセス解析したら,なかなかおもしろいですが,まあまあ)

*「文化学芸員」論や兼務職歴からアクセス件数が増加していますが,評価の部分を補遺しました.今後も継続します.

 

(ここから)

私は5年前まで,滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員でした.標記の問いには,大学に職を移しても継続的に回答しないといけないので,ブラッシュ・アップ継続回答とします.

 

岡山理科大学 生物地球学部 では,学部独自で学芸員の資格が認定される「野外博物館実習」も始まりました.

 

*以下,Q&A方式の回答ですが,定式はないので,個別の回答・相談には応じませんが,反論できる人はいないと思います.

 

1.どうしたら博物館の学芸員になれますか?

・琵琶湖博物館勤務時代は,「どうしたら学芸員になれるのですか?」という問いであったが,以下のように返答していた.

→「論文を書いて,研究業績を蓄積すること」に尽きる.

→研究職でない博物館はこのような返答ではないと思うが,研究することが認知されている博物館では【真実】である.

→この力は,どの職種でも活かせる.

→この力があるという意味を理解する.

→琵琶湖博物館は,学芸員=Curatorではなく,Research Scientistとしたことに,志がある.その意味は深い.

→私自身積極的に学芸員を目指したのではなく,結果としての職業選択であった.

→しかし,私は考古少年で,学芸員という職種の存在は,小学校から知っていた.

 

2.どうして博物館から大学に移ったのですか?

・研究者として職場を移ることは,プロの世界の常識.

→このように学生時代から思っていたし,恩師,先輩,後輩ら,さらには博物館時代の一緒に仕事をした同僚の一部の「生き方」もそうであった.

→博物館から移動しないという選択肢はなかった.研究の進展具合や,業績の蓄積具合によって職場を移すことは本人のみならず,元の職場にも寄与できる.

・移れない人には,それなり理由がある.

→私の経験をもとにした事実なので,誤解も何もないが,サッカーや野球という,プロの世界と同じ.

→日本のワークスタイルの変化という環境変化ももちろんある.

・多様な条件で,恵まれていること.

→少なくとも,先の職場(琵琶湖博物館)では,大学職員から博物館へと職場を移した人は日本の博物館にはいない,という事実が日本の博物館の実態を端的に表現している.

→私が15年間在籍した間に大学職員へ移籍した学芸員は約10人であり,日本の博物館としては異例の研究を重視し,流動性の高い博物館であったことが理解できよう(上述).逆の立場性を主張した人も個人的な経験でいたが,その実態は研究職でない立場であったことが説明されていない.

・博物館であろうが,大学であろうが研究の「らしさ」の違いはあるが,研究することは職種・職場を変えても同じである.

→したがって,研究を博物館で志向する場合,職員の業績評価がより積極的になされることが,今の博物館に強く求められ,それは結果として,専門性を高める行為につながる.

→このことは,大学という職業研究者集団の組織でも同じである.

→できないヒトは・・・です.が,(ネット時代なので科研費データベース.Web名前検索で研究業績は通知票のように明確です.なかには,本人はWikipediaに書き込んだヒトも!)

 

3.今後,学芸員(博物館)を目指す人へ

・研究力

→研究条件が博物館が悪いとか,労働条件云々の議論は,研究ができること(業績の蓄積)の上に成立する議論であり,継続的な研究論文が蓄積できる能力が前提である.

→研究は「超個人的行為」(by 川那部 浩哉(元 琵琶湖博物館・館長;現 琵琶湖博物館 名誉学芸員)であるが,他の多種多様な仕事と同じである.

→「超個人的行為」であることは,職業研究者としての精神的な自立が必要である.

・流動的であること

→研究はエキサイティングな世界で,「個人」の評価が問われる世界である.その個人の評価を組織として構築する必要がある.公的機関にありがちな,方便(言い訳?!)がまかり通っている場面が多いように?,というのは,言い過ぎ(過言)ではない!?.

→このような公務員としての学芸員というスタイルは,今後大きく変化することが容易に想像され,より専門性が問われる時代になることは確実である.

・趣味と博物館

→博物館は研究が必要である.

→研究は趣味ではない.仕事である.仕事である以上結果が求められることは,他の仕事と同じである.大学も同じ.

・学芸員の仕事

→上記した研究以外の仕事は「雑芸員」と称されるように多様だと反論されるが,両者を経験した私にとって,大学も多様であり,私には方便にしか聞こえない.プロである世界の緊張感がよい成果をい生むことは,職業研究者という業種に限定的な議論ではなく,「仕事」(=労働論)で説明できる.

 

4.今後の学芸員

・評価

→やはり,公務員制度として位置づけられていた学芸員は,評価外にあった.それは,ソトからの「個人」評価の対象でなかった,という意味においてである.

→組織としての評価が制度化されつつあるなか,次は,「個人」である.

 

 

5.文献

上記に関わるこれまでの議論は,

宮本真二(1997)博物館における自然地理学の役割.立命館地理学,9,77-81.

宮本真二(2010)博物館と地理学.地理55(10),12−19.

宮本真二(2011)インタビュー博物館の地理学者10 滋賀県立琵琶湖博物館 宮本真二さん.地理,56(9),古今書院:90-91.

にもある.

海外調査と予防接種:Vaccination(2017年7月8日)

人生初の海外調査は,安田喜憲先生に連れて行っていただいたシリアであった.学部生の4年(1992年).卒論の締め切りが迫る10月〜11月頃.

初の海外調査の準備の一環で,肝炎の予防接種を京都の洛北の病院で受けたことを思い出した.

 

少し計画的に接種しないといけない事柄があり,過去の履歴を確認しようとしたら,もう,沢山接種し続けていたことを再認識した.その後,大学院ではアフリカ,ヒマラヤなどのフィールドを広げ,職についてからも継続しているので.「俺の身体,ワクチン=毒だらけやんけ!」と(下写真).

 

最近では,南アジアなどの調査では,水には注意するが肝炎の予防接種もうけず,場合によっては水もふつうに飲んでいるので,いろいろな菌がおなかのなかには蓄積しているのではないかと???

 

でも,海外ではとても用心して行動している.