業績追加:Essay(2014年3月17日)

以下の①雑文,②海外渡航歴を追記した.

とても完成度が上がった卒論だと思います(オベンチャラ抜きで)

 

・宮本真二(2014)2013(平成25)年度人類学専攻卒業論文集に寄せて.平成25年度岡山理科大学人類学専攻卒業論文集,岡山理科大学人類学教室,岡山理科大学.

 

 

2013(平成25)年度 人類学専攻 卒業論文集に寄せて

 

大学や学部によっては,こういった形で論文集を作らないところもあります.しかし,形になって初めてその「達成感」を感じる事ができるのでないでしょうか?

私自身,今でも研究したものを論文としてまとめ,その成果を公表する作業は,9割は「しんどい」作業で,残りの1割が上記のように,形になって公表された時に感じる達成感であることが,この仕事を選択した喜びの一つでもあります.

 

ここで,すこし昔話をさせていただきます.私が卒業した大学の卒業論文の締め切り日は,12月25日でした.つまり,クリスマス.このクリスマスを笑顔で過ごすために,何日かの徹夜を経験しましたが,提出したあと,京都でみたホワイト・クリスマスは今も青春時代の大切な思い出です.その後,同じような情景が繰り広げられ,修士論文は大学の研究室に2週間くらい泊まり込んで,富士山の朝焼けを見ながら年明けの1月7日に提出しました.さらにくどいようですが,博士論文は12月31日の豪雪となった琵琶湖畔の博物館の研究室で完成させ,コンビニまで吹雪の中,指導教官宛にメール便を送りに行きました.その後見た紅白歌合戦は今でも鮮明な記憶となっています.

このように,「しんどかった」作業も,時間が経つことでなつかしい想い出となり,達成感が自信に変わってきます.これは,どんな仕事でも同じだと思いますが,しんどいから「楽しい」とも言えるでしょう.

 

この卒業論文集は,これから続く長い人生のスタートの証に過ぎません.しかし,この達成感を大事にして,これからの長い人生を健康に留意して,楽しんでください.

2014(平成26)年2月20日

                         宮本 真二

Presentation:岡山県高校教員地理分科会講演(2014年2月19日)

昨日は,熊谷まで日帰り出張で,ブータンのフィールドに入るような感じの疲弊.

今日は下記の講演.

まだ,準備が.....

 

2013(平成25)年度 岡山県高教研地理歴史・公民部会 地理分科会

2014年2月19日(水)13:00〜  於:岡山県立一宮高校

宮本 真二(岡山理科大学)「世界と日本の土地開発の歴史」 南アジア地域(ブラマプトラ川流域)の民族移動と土地開発

 

下記に写真は,「岡山理科大学 生物地球学部」オリジナル・フィールドノート.

フィールドノート(野帳)を手にしたときの「わくわく感」を大事にしてほしい,と思い,広報委員として制作した.

私自身,一回生のときの鮮明な記憶がある.

 

Original Field note of Faculty of Faculty of Biosphere-Geosphere Science, Okayama University of Science

Original Field note of Faculty of Faculty of Biosphere-Geosphere Science, Okayama University of Science

Setouchi, Oumi and Scientist: 近江のジョッキ・ワインと職業研究者(2014年2月7日)

 いろいろに,気合いをいれないといけない作業が続いており,「今日は何曜日?,何日だっけ??」という日々が続き,今日も研究室と思ったが,なんと瀬戸内で積雪を経験することになろうとは....身動きとれません,状態だったが,早朝,トレッキングシューズをはいて,ヒマラヤを思い出しながら,30分程度で.
先週まで通っていた近江(滋賀県)では,雪を経験して,暖かい瀬戸内に「げ〜,なんちゅう,さむさや〜.はよ,かえりたいわ~!」(関西弁)状態だったので,「なんだかなあ」だったが,滋賀の知人に連絡すると,同じ状態・以上??!!
「まあ,そうですねえ」と.
岡山,寒い時期もあると指摘されますが,畿内にいたとき程じゃなく,「楽勝」です.
しかし,21号館にいると底冷えはします,...が,琵琶湖博物館のときの相部屋研究室も,空調がきかず,寒かったような・・・
この時期は,大学だと入試などの一大行事が沢山だが,研究者の動きの「うわさ」が耳に入るようになり,昨年度も記したが,「やっぱりね」,「さすがですね」,「よかったね」..ということを感じ入る.
つまり,誠実に職業研究者としての歩みを継続されている方は,「オテントサンがよくみてはる」(関西弁)と.
・・・早朝から,いくつかの懸案をメールで連絡し,リンク切れ・更新,デザインなどをすこしいじった.
【下の写真】は,先月末,近江の友人たちと懇親したワンカット.
40年生きてきて,「ジョッキのワイン」は初体験.
・・・・ワインだったのだろうか???.また近日中に・・・・・・・と.
Wine or Red Beer?. Jan. / 2014. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Wine or Red Beer?. Jan. / 2014. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Curator?, Research Scientist? or Researcher?: 博物館学芸員と職業研究者(2014年1月17日)

岡山理科大学 生物地球学部 は,次年度3年目となるので,専門性ある教育コンテンツが増加する.その中での議論をふまえ,以下のようなメモをバージョーンアップしてゆき,次世代の参考としたい.(・・というほど,偉そうなものでもないですが・・・)

大学に移って,2年目になり,博物館との関係などについて,聞かれることが増えてきたので,以下に順次まとめる.

 

 1.どうしたら博物館の学芸員になれますか?

・博物館勤務時代は,どうしたら学芸員になれるのですか?,という問いであったが,以下のように返答していた.

・論文を書いて,研究業績を蓄積すること.

→研究職でない博物館はこのような返答ではないと思うが,研究することが認知されている博物館では【真実】である.

→琵琶湖博物館は,学芸員=Curatorではなく,Research Scientistとしたことに,志がある.その意味は深い.

→私自身積極的に学芸員を目指したのではなく,結果としての職業選択であった.

→しかし,考古少年で,学芸員という職種の存在は,小学校から知っていた.

 

2.どうして博物館から大学に移ったのですか?

・研究者として職場を移ることは,プロの世界の常識.

→とむかしから思っていたし,恩師,先輩,後輩もそうであった.

→博物館から移動しないという選択肢はなかった.研究の進展具合や,業績の蓄積具合によって職場を移すことは本人のみならず,元の職場にも寄与できる.

・移れない人には,それなり理由がある.

→事実なので,誤解も何もないが,サッカーや野球という,プロの世界と同じ.

→日本のワークスタイルの変化という環境変化ももちろんある.

・多様な条件で,恵まれていること.

→少なくとも,先の職場では,大学から博物館へと職場を移した人はいない,という事実がこれを端的に表現しているだろう.

・博物館であろうが,大学であろうが研究の「らしさ」の違いはあるが,研究することは同じである.

→したがって,研究を博物館で思考する場合は,その職員の業績評価がより積極的になされることが,経験として今の博物館に強く求められ,それは専門性を高める行為にでもある.

 

3.今後,学芸員(博物館)を目指す人へ

・研究ができること

→研究条件が博物館が悪いとは,労働条件云々の議論は,研究ができること(業績の蓄積)の上に成立する議論であり,継続的な研究論文が蓄積できる能力が第一条件である.

→研究は「超個人的行為」(by 川那部浩哉(元 琵琶湖博物館・館長)であるが,他の多種多様な仕事と同じである.

→「超個人的行為」であることは,精神的な自立が必要である.

・流動的であること

→研究はエキサイティングな世界で,「個人」の評価が問われる世界である.その個人の評価を組織として構築する必要がある.公的機関にありがちな,方便がまかり通っている場面が多いように?というのは,言い過ぎではないと思う.

・趣味と博物館

→博物館は研究が必要である.

→研究は趣味ではない.仕事である.仕事である以上結果が求められることは,他の仕事と同じである.

・学芸員の仕事

→上記した研究以外の仕事は「雑芸員」と称されるように多様だと反論されるが,両者を経験した私にとって,大学も多様であり,私には方便にしか聞こえない.プロである世界の緊張感がよい成果をい生むのは,職業研究者という業種に限定的な議論ではない.

 

4.そのほか

上記に関わるこれまでの議論は,

宮本真二(1997)博物館における自然地理学の役割.立命館地理学,9,77-81.

宮本真二(2010)博物館と地理学.地理55(10),12−19.

宮本真二(2011)インタビュー博物館の地理学者10 滋賀県立琵琶湖博物館 宮本真二さん.地理,56(9),古今書院:90-91.

にもある.

お盆の大学と,締め切りと「長靴と」(2013年8月15日)

Okayama Univ. of Science. 5F. 21 Buil. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO. 15th/Aug. 2013

Okayama Univ. of Science. 5F. 21 Buil. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO. 15th/Aug. 2013

この時期,海外にでかけていることが多かったが,今年は,たまたま日本にいると,たまった仕事で大学に,ふつうに来てしまうのは,学生からの習慣.

ほかに行くところを知らない.

 

とうぜん,学生さんも,事務の人も少なくて,工事の人が大半で,閑散としたキャンパス.

 

理系の大学なので,実験系の学部の先生は夏休みも関係なく,出勤されている.フィールド系の先生は,フィールドへ..

 

「酷暑」で,日中は,立ちくらみそうなほど,瀬戸内の気候も厳しく,研究室も空調は効いていても暑い.

 

⇒あと,一度下がってくれると「快適」だが,窓際は暑く,熱中症に気をつけながら,いろいろな作業を進めた.

 

この期間はとても貴重.

 

・・・と思っていたら,家人らは,「・・・・・・」らしい.

学科でも,少なくとも三人の先生は,毎日研究室にいはる.

 

みなさん,「大学が好きで,研究大好きなんだと」感じ入る.

 

結構なことです...

 

【写真】

息詰まると,掃除に励んで,いろいろ片付く.

研究室前.誰もいないが,ヘルメットと長靴が目立つ.

Wikipediaの自己書き込みと,大学の夏休み?(2013年8月7日)

大学は学内のいろいろな工事が始まり,夏休みらしくなってきたが,いろいろな締め切りで,忙しい.

 

そのようななか,表題のように「Wikipediaへ自己書き込み」するヒトを確認.

知人を介して,知った直後,・・・となって,ある程度の知識があれば,「見合いの・・・」で,ネットでの露出があれば,評価に結びつくと感じているのだろうか!?

と,(苦笑).

 

秋からの学会で発表するネタを仕込んだり,原稿のコンテンツを考えたり,実験処理の手順を考えたり,科研費の購入品,海外調査の手配など.......自転車操業!

 

 

【研究室の比較写真】左は今年の3月(2013年3月).右は昨年の6月(2012年6月).「景観」変遷が著しい.今は,少し進化し,文献整理が進展.

 

Dr. MIYAMOTO's Laboratory (April. 2012)

Dr. MIYAMOTO’s Laboratory (April. /2012)

Mar. /Miyamoto Labo. /2013

Dr. MIYAMOTO’s Labo. (Mar. /2013)

Wedでの業績リンクの追加(2013年5月17日)

ここ数年,学会で発表したリストで,Webでプログラムなどの痕跡がトレースできるものを業績にリンクした.

 

いつも思うが,こういう作業は「きりがない」が,機会あるときに,充実させ,公表したいとおもうので,Webを開設した

過去10年間以上は継続して行っている.

 

隠すものもないし,プロセスさえも開くことは,職業研究者としての義務だと,心している.

 

また,この行為は次への展開につながる場・チャンスをつくることも実感している.

新年度に向けて(2013年3月29日)

・一年経ってみて,いまだ岡山生活慣れない日々ですが,バングラデシュから帰国後数日で,当地はいっそう春めいた陽気.

・したがって,大学構内の桜も,もうしばらくで満開の予感(Focus to Photo 1).

・一年前は,桜を眺めることなどない余裕なき日々でしたが,すこし大学の中と,大学周りは詳しくなり,状況が読み込めるようになった.(自宅↔大学の往復のみ!?)

・三年経たないと慣れない,ということも経験・実感として分かりますが,まだまだ岡山が新鮮な状態で,その感性でフィールドを開拓する二年目としたいと思います.

・新学部も「新鮮さ」が多々ある毎日ですが,4月からも着任される先生もおられ,より生物地球学部は,進化しつつあります.

・ようやく,落ち着き始めたのは研究室(一年前との比較が記録として,おもしろい.段ボールが ・・・.Compere with Photo 2 and 3)で,床置きの書籍はなくなった日々で,本を探す行為が格段に時短.

・また,同時に使わない資料も同時に処分しましたので,どこに何がある状態であることは極めて快適です.

・まだ,実験室の方は落ち着いていません......

 

 

・・・・・・このような新鮮な気持ちで,二期目の岡山理科大学 生物地球学部の新入生を迎えようとしています.

 

Okayama Univ. of Sci. / Mar. /2013. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Photo 1  Okayama Univ. of Sci. / Mar. /2013.                                      Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Apr. /Miyamoto Labo. /2012.                                             Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Photo 2  Miyamoto Labo. /Apr. /2012.                                Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Mar. /Miyamoto Labo. /2013. Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

Photo 3 Miyamoto Labo. / Mar. /2013.                                             Photo by Dr. Shinji MIYAMOTO

 

 

Open Campus in Okayama University of Science(2012年8月5日)

Open Campus, Okayama University of Science 2012-1

Open Campus, Okayama University of Science 2012

 

 

 

 

 

 

 

 

・今年二回目の岡山理科大学のオープンキャンパス

・早朝にバイクの駐車場所から,エスカレータで【登山】すると,私のバイクと同じカラーで統一されたキャッチが至る所に「分布」(上図).

・Open(解放・公開)と銘打たないと,大学の中身は見えない・にくい,と思いながらも,それも大学らしいとも感じる.

・つまり,社会からの一歩手前の時間を,社会から距離がある大学という「空間」も存在意義があるのではないかと・・

・一回目もそうだったが,自己の20年前を鑑み,【不安】と表裏一体の【期待】を,18才~16才の諸君らの顔から感じ入る.

・学ぶことは「喜び」であることも再認識.

・伝えることはは,学びであることも.

 

☆「 」をキーワードにすると,地理学が説明できる!?

 

Open Campus, Okayama University of Science 2012-2

Open Campus, Okayama University of Science 2012

 

脱稿と岡山理大のオープンキャンパス(2012年6月12日)

備前に来て二ヶ月あまりのまとめ。

 

1)まだ習慣として慣れないことが多い。

2)研究室が片付かない。

3)備前の地理的な感覚がまだ鈍い。

 

・・よりも、

・外食で「関西風のうどん」(昆布だしで、のどごしすっきり)が食えない飢餓感が・・・・・・

 

・な日々だが、ここ数週間取り組んでいた原稿が昨夕一応形になって、今後のおもしろさや課題が明確になってきた。ヒマラヤに初めて立ったとは、博士課程の一年の雨期だったが、

その時の解釈を見直さないといけない、と考えるようになってきた。説明のしやすさから固定的にとらえてきた土地開発史が、実はそうではなかった、事実を数値を眺めながら理解でき

初めてきた。

つまり、自己の解釈を、異なる領域で実施されてきた知見と整合させ、もう一度、「東部ヒマラヤ」に向かい合わないと、と感じることができた、という意味でも、この区切りは、有効

で、言葉を紡ぎ出すことはいつもしんどいが、勉強になる時間でもあった。夢と、明け方にヒマラヤの情景がでてきていたが・・・

 

その反動で、たまった事務処理もこなし始めないといけないし、次の懸案は私だけの仕事ではないので、その原稿群にも再度向き合わないといけない。

したがって、ますます、片付かない(泣)。

 

昨日は、岡山理科大学のオープンキャンパス。上記の原稿の仕事もあって、6時前に大学に着くと、下の写真のようなライムグリーンのキャッチが多い。遠路はるばるきていただいた親御さんらと

話していて、私の20年前は・・と記憶の糸をたどっていると、「早く、親元を離れたかった」こと「管理教育からの脱却」を意識していたことは事実。

 

 

Open Campus Entrance

Open Campus Entrance